第3部

我々はどこへ行くのか

全5章 · 注135件 · 約4時間

21世紀に入って、「我々はどこへ行くのか」という問題は、かつてなく大きく我々に迫っている。我々が激動の時代を生きているからである。西洋が世界を支配する時代は暮れつつある。同時に、気候変動が我々の生態系を脅かしている。AI革命は、未来がどのように変わっていくのか見通しにくい状態へと、我々を追い込んでいる。

産業革命と交易の世界化という新しいパラダイムの登場は、人類の生活を楽にし、未来に多くの可能性を開いた。同時に人類は、産業革命と交易の広がりが引き金となった貪欲の道へと入った。かつて我々は、世界がみなともに発展できるという楽観的な見通しを持っていた。さまざまな未来を約束した20世紀のイデオロギーの時代がそれである。しかしいまでは、そうした楽観的な見通しを捨てなければならないだけでなく、人間の貪欲のために、人類の未来を憂える状況に直面することになった。

産業革命以前には、人間は自然を損なうことはできないという大前提のもとで、人間の経済活動が営まれていた。東洋と西洋の政治経済思想は、こうした枠のなかで、東洋と西洋でそれぞれ異なる二つのパターンをかたちづくりながら、それぞれの長所と短所を発揮して発達した。しかし、産業革命から二百年が過ぎたいま、我々は、知らず知らずのうちに産業革命が人間にもたらした問題に、はじめて直接ぶつかっている。それは、地球規模の問題が突然現れるとともに、人間がそれに対する対策をまともに用意できない状況に至った、ということである。

産業革命以前には、交易は互いの益となるように物を交換するにとどまっていた。しかし産業革命以後は、発達した技術と科学を用いるなかで、人間と自然、そして国家間の関係が革命的に変わることになった。まず人間は、地球上の資源を大量に用いて、持続不可能な状態へと急激に追い込んでいる。ほかのどんな動物も持たない、人間だけが持っている貪欲が働いているのである。国家の次元で、資源や物品が、互いの利益となる交換を越えて、貪欲の対象となる関係へと入った。先進国と途上国のあいだの貧富の格差の拡大、地球温暖化、それによるパンデミックの発生は、いずれも人間だけが持っている貪欲を背景としている。産業革命以後は、巨大な資本とそれを支える力を持つ国力が合わさって世界へと伸びていくなかで、無慈悲な利潤の追求が可能になる。

気候変動は人間がつくり出した問題であり、人間の生き方、さらには生存の可能性に直接の影響を及ぼしている。人間は自然の一部である。地球に生きるそれぞれの世代は、環境をよく守って後の世代に引き継がなければならない。ところがいまの世代は、こうした役割に徹底して失敗している。巨大な気候変動の被害がいまや日常となってしまった状況を、子孫に引き継ごうとしている。自然を「搾取」するやり方で自らの利己心を働かせながら、それを制御できずにいるのである。こうした傾向は、とりわけ「自然を征服と管理の対象」とした西洋の文明で強く働いている。啓示宗教の自然征服の教義は、「人間は自然の主人である」というデカルトの考えへと引き継がれていく。こうした人間と自然の関係は、東洋の思考では別の方向を取っている。東洋では人間を自然の一部として理解し、人間と自然の調和と共生を強調する。

東洋の役割が重要になったのは、一、二世紀のうちに突然起こったことではない。東洋の文明と結びついているのである。東洋は、西洋よりほぼ二千年早く、すでに民族国家を形づくっていた(もちろん、西洋の民主主義における指導者の平和的な交代の制度を東洋は学んできたので、民族国家と民主国家を区別する必要がある)。民族国家の形成には、必然的に民本主義の政治経済体制が生まれ、発達することになる。西洋は、1648年のヴェストファーレン条約以後になってようやく、民族国家を形づくりはじめた。西洋を見ると、ギリシアとローマは征服国家の運営体制であり、中世の千年は啓示宗教の体制で生きてきた。西洋の啓蒙の時代になって、西洋ははじめて東洋の思想に目を開くことになる。このとき西洋の思想家たちは、東洋の「自然哲学」に心酔した。政治経済にかかわって、西洋は東洋の道家の無為の思想から大きな影響を受けて、自由放任(レッセフェール、laissez-faire)主義を打ち立てた。フランスの重農主義者たちの影響が大きかった。

この過程で、東洋と西洋の政治経済体制は異なる姿を備えることになる。東洋は、私益と公益は衝突するという原則のもとで、個人の自律を管理しようという無為の思想を掲げた。西洋は、国家の干渉を避けながら、個人の自律を放任するようになった。アダム・スミスの「見えざる手」(invisible hand)の理論が、それを代表することになる。公益と私益は収斂するという理論である。東洋の政治経済は、見えざる手ではなく、「略奪の手」をどう管理して個人の自律を保障するかを掲げる。まさに無為の思想の要である。

こうした東洋と西洋の政治経済体制のあいだの隔たりは、次第にその結果を現すことになった。西洋では貧富の格差が日に日に広がり、社会の二極化が進むことになる。西洋の政治と経済の最大の障害となっている。一部では、二極化の拡大が、結局は西洋が唱える自由民主の体制を弱めるだろうと推測している。

国家間の競争で勝った者がすべてを取るという貪欲の追求は、とりわけ西洋の世界征服の時代に脚光を浴びた。それが時期的に産業革命とかみ合いながら、西洋が世界を支配することになった。ここ数世紀は、西洋の世界支配へとつながった。しかしいま、21世紀に、世界は新しい局面に入った。西洋の世界征服のなかで、東洋の興起によって、世界は新しい局面に置かれることになった。産業革命の結果として交易が世界規模に広がり、気候変動をもたらすことになった。同時に、交易の拡大は世界規模の人的・物的資源への貪欲の追求へとつながり、いまやAI革命の時代へと移りつつある。

産業革命とともに始まった西洋の世界支配は、21世紀に入って大きく弱まりつつある。これからの世界はどうなるのか。東洋の台頭が、これからの世界を描くうえで大きな役割を果たすことになる。西洋の世界支配を可能にした産業革命は、西洋の独占物であった。ところが、いま浮上しているAI革命は、中国、韓国、日本など東洋の影響力を抜きにしては想像しがたい。産業革命が「筋肉の革命」であったとすれば、AI革命は「精神の革命」である。さまざまな結果と解釈がありうるが、二つの革命を貫く一つの現象がある。それは、生産性の向上と同時に起こる貧富の格差の深まり、すなわち社会の二極化である。諸刃の剣にたとえられるAI革命に、我々はどう立ち向かうのか。

第1章から読む →