第2部 我々は何者か:心身一体 vs 霊肉闘争 · 第3章

東洋と西洋の人性論:人性は変化するのか、固定されているのか

約92分 · 注23件

1) 西洋の人性論:変化しない人間の本性

精神崇拝の哲学体系は、数千年にわたって西洋の哲学史を支配した。しかし物極まれば必ず反す(物極必反)。精神崇拝が極みに達した20世紀のイデオロギーの時代を最後に、西洋の哲学体系は、人性論をめぐって本質的な問題に突き当たることになった。精神は人間を支配しないという人性論の鉄則にぶつかったのである。イデオロギーの時代に、ファシズムは、闘争的な適者生存論を人間の本性と取り違える社会ダーウィニズムに従い、惨憺たる失敗に終わった。ファシズムは、本能が人間を支配できるという人性論の上に築かれていた。共産主義は、人間の本性を変えることができるという空虚な社会ダーウィニズムに依拠したために失敗した。マルクスは、進化によって精神が人間を支配できるという人性論の上に、共産主義の理論を打ち立てた。「共産主義は、進化論的な手段によって成し遂げられるものである」。303

しかし、人間の本性の進化は、我々が引き起こすこともできなければ、その未来を予見することもできない。人間の本性は精神が支配するものではなく、本能と精神が結びついて表れるものである。ホモ・サピエンスは、東洋であれ西洋であれ、みな同じ人間の本性を持って生まれる。精神と本能からなる人間の本性は予測できる期間のうちには変化しない、という考えを持って、哲学体系は人間の営みに向き合わなければならない。人間が考え出したあらゆる哲学体系は、結局、正しい人間の本性の上に築かれたのか、それとも誤った人間の本性の上に築かれたのかという問題によって、その真偽が決まるのである。

東洋と西洋の文明は、人間の本性をどのように分析してきたのか。人間の本性は、哲学的には性善説、性悪説、性無善悪説(あるいは西洋のタブラ・ラサ、白紙説)の三つに分けられる。こうした画一的な区分には簡潔さという長所があるが、東洋と西洋の人性論の根源的な違いを見落としている。人性論において、西洋は「創造されたものは変わらない」という存在論(ontology)に従い、東洋は「すべては常に変わる」という変化論(transformationism)に従う。西洋の見た人間の本性は、生まれたときから変わらない。存在論的な人間の本性にもとづく神との契約、あるいは社会契約論が、西洋の人性論には必要となる。東洋の見た人間の個性は、「生まれ持った本性の範囲内で、精神の働きによって変化」する。東洋の人性論は、社会契約ではなく、変化論にもとづく人間の個性の涵養に力を注ぐことになる。本能は発光体、精神は反射体の役割を果たすのである。

西洋の性悪説、性善説、そして白紙説は、いずれも存在論に従う。西洋の性悪説(啓示宗教とホッブズ)によれば、人間は悪く生まれ、そのように「存在」するのだから変わらない。性悪説によれば、人間は悪い性格を持って生まれ、死ぬまで変わらない。死ぬまでに反省し悔い改めなければならず、生きているあいだは生存のために、預言者や国王に権利を譲らなければならない。西洋の性善説(プラトンやルソー)によれば、人間はもともと善く生まれ、善い人性は変化しない。善い人性にもとづいて、人間は真理を探究し発見する道を進むことができる。真理を発見した者が指導者となり、残りの人間を導いていく。真の実在は変わらない本質である「イデア」にあり、それを発見した者が指導者となる。あるいは、個人の利害を超えて共同体全体の公共善を目指す「一般意志」を見いだそう、というのである。西洋の白紙説(アリストテレスとロック)によれば、人間は何もない白紙のように生まれるので、教育によってすべての人間が真理に到達することができる。形相は現実のなかに内在すると見て、経験と観察を通じて本質を追い求めようという立場である。人間は、白紙の状態にあっても、望むものを自由に選ぶことのできる存在である。人間は生まれたときから自然権(生命、自由、財産)を持っているので、政府はそれを保障するために存在する、という主張になる。

かつては、善悪論にもとづく人性論、そしてそれを基盤とした社会契約論と結びついた人性論が主流だったが、いまではその適切性の多くが失われた。かつての西洋の人性論とは次元を異にする自然哲学の人性論が、近年西洋で提起された。オルソン(Olson、1932―1998)教授が、リーダーシップが人間の社会でどのように形成されるのかを帰納的に分析しながら、人間の本性について新しい説明を示している。オルソン教授が示す人性論は、多くの点で東洋の人性論と軌を一にしている。オルソン教授の人性論は、存在論に立脚したかつての西洋の人性論とは異なり、変化論にもとづいているからである。

古代の人性論:宗教の性悪論、プラトンの性善論、アリストテレスの白紙論

西洋では、人間の本性論は長いあいだ宗教の教義に従っていた。宗教では、人間の本性を性悪説から始める。啓示宗教において、人間は神が自らの形にかたどって造ったものである。キリスト教では、地上よりはるかに重要な死後の世界で、善い人は天国へ行き、悪い人は地獄へ行く。中世の千年のあいだ、教会の性悪説は、トマス・アクィナスの原罪論の哲学などによって一部修正される面もあったが、本質は徹底した性悪説にもとづいている。性悪説において、本能は人間の救いを妨げる存在と見なされる。

ギリシア神話でも、善悪論は似たように描かれている。プロメテウスが泥で人間の形をつくり、女神アテナが息を吹き込んで人間が生まれた。しかし最初の女性パンドラが禁じられた箱を開けたことで、人間の社会の善悪が始まった。旧約でも、人間はギリシア神話と似た形で造られたと信じられた。全知全能の神が一週間をかけて地と天と星々を造った。続いて神の形にかたどって泥をこねて男を造り、そのあばら骨から女を造った。最初の人間であるアダムとイヴは、神の命令に背いて禁じられた善悪の実を食べ、罪を犯すことになる。キリスト教の善悪の実とギリシア神話のパンドラの箱が、悪を開く根源となる。

キリスト教では、こうした原罪の意識が人間につきまとうことになる。したがって西洋では、中世までは原罪の意識に押しつぶされて、人間の本性についての合理的な議論ができなかった。すべての人が悔い改め、まもなく訪れる最後の審判に備えることが、何よりも重要だったからである。アウグスティヌス(Augustine、354―430)の人間本性論の哲学も、基本的には善悪論にもとづいている。彼の原罪論によれば、人間は、害をなす欲望(hurtful desire)である強力な「情欲」(concupiscence)を持って生まれた。すると、精神と本能の分離を当然視していた神の文明において、本能は糾弾の対象となる。人間の祖先が犯した原罪の論と、人間が生まれながらに持っている情欲の論は、宗教改革のときもそのまま生き残った。ルターやカルヴァンなど宗教改革の指導者たちは、人間の本性の本質として、原罪論と情欲論を掲げた。いずれにせよ、原罪を洗い流すために、人間は懺悔と悔い改めを続けなければならず、その一環として善い行いをして天国へ行けるようにしなければならなかった。こうした原罪論が、千年以上にわたって西洋の世界を覆った。こうした宗教の力のために、西洋では近世に至るまで、人間の本性に哲学的に迫ることができなかったのである。

近世以前の人性論において、宗教の性悪説に対置される哲学は、プラトンに見いだすことができる。プラトンは、人間は生まれたときから何らかの「生得観念」(Innatism)を持っていると考えた。プラトンは、人間には真実を探し求める本性があると考えた。彼の性善説は、人間の内部に真実と絶対的な真理を探し求める生得観念があるという主張にもとづいている。そのためにプラトンは、魂の重要性を強調する。彼は「魂の眼は、肉体の眼の一万倍も重要である。なぜなら、魂の眼だけが真理を見ることができるからである」と主張し、生まれながらに持っている魂の眼を通じて真理をつかまなければならないと説いた。魂と本能を区別する、二元対立的な人性論である。

アリストテレスは、定まった人間の本性はないという白紙説を唱えた。それを「タブラ・ラサ」という言葉で表した。タブラ・ラサはラテン語で tabula rasa と書き、何も書かれていないまっさらな「空白の石板」(blank slate)という意味である。日本語では白紙説と呼ぶ。結局、tabula rasa とは、人間の本性を論じるにあたって、人間は何の本性も持たずに生まれるという主張である。アリストテレスは、人間の本性は精神にあると信じていたので、本能の役割を認めない。精神は本能の軛を脱して、自由に新しい領域へと進み、人間を導いていくことができると考えた。形而上学の出発である。この点で、東洋の変化人性論とは出発点において違いがある。東洋の変化人性論は、本能の役割を認めながら、精神の働きによって人間の個性が変化するという変化論である。西洋の白紙説は、白紙の状態が本能を無視するという存在論的な価値を持っている。

近代の人性論と社会契約:ホッブズの性悪論、ルソーの性善論、ロックの白紙論

西洋の近代の人性論は、ギリシアの人性論と似た方向へ向かっているが、社会契約をともなうことが特色である。近代の社会において、西洋は神の律法の代わりに、精神に頼って人性論を評価しはじめた。そのため西洋の近代の人性論では、十戒に代わる社会契約を念頭に置いて、人間の本性を想定することになった。西洋の宗教において、神と人間の関係は、両者のあいだに結ばれた「契約」(covenant)が中心である。「いま、わたしは契約を結ぶ」(出エジプト記34:10)。この契約に代わるものが切実に必要だったのである。

近世に入ると、西洋では理神論の登場とともに、人間の精神が神に取って代わりはじめる。この時期に西洋では、人間の本性についての議論と社会契約論がともに登場する。宗教に頼った神と人間のあいだの契約の代わりに、精神が命じる「社会契約論」(social contract)が現れるのである。人間どうしの契約が必要になるが、ここで、人間とは何者かという本性が重要になる。人間の本性によって、社会契約論の中身が変わるからである。神の教義の代わりに、人間の精神にもとづいて王や政府の存在を認める社会契約論が出てこなければならなかった。

社会契約論を支える人性論が、ともに登場する。ホッブズ(1588―1679)、ロック(1632―1704)、ルソー(1712―1778)の人性論と社会契約論が、西洋を代表する。西洋の文明の善悪説は、人性における変化を認めない。善であれ悪であれ、そこで終わりである。法律と制度で治めなければならない。人間は悪い行いを犯したのだから、悪い人間として死ぬまで神に悔い改めと懺悔をしなければならない。神がその結果を裁く。近代の精神の時代に入っても、西洋は存在論的な人性論の基本をそのまま保つ。ホッブズの性悪説でも、悪い人性は変わらない。悪い人間の本性は、強力な王権を認めて個人の安全を守らなければならないという議論に用いられた。ロックは、善悪ではなく白紙説を唱えた。彼の白紙説もまた、教育によってすべての人を自由を擁護する善い人間にしようというものである。善い人間をつくる教育と法律に頼ればよいのである。ルソーの性善説でも、善い人間の個性は変わらない。善い人間の本性に頼って社会契約を結び、それに依拠しようというのである。一般意志を有効にする法律と制度をつくることに、重点が置かれることになる。

ホッブズは、自らの社会契約論のために、人間の本性として性悪論を掲げた。ホッブズは、自然状態の社会を「万人の万人に対する闘争」と規定した。そして、人間の生活は「孤独で、貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い」と記した。304 人間は悪い本性を持って生まれた。こうした人間の本性は変わらないという存在論に従っている。彼は1651年に刊行した『リヴァイアサン』(Leviathan)で、悪い人間の本性を繰り返し強調している。ホッブズは、1642年から1651年までの10年にわたって続いた、王党派と議会派のあいだの激しいイングランド内戦を目の当たりにして、自らの哲学的な思想を打ち立てた。彼は、闘争のなかで生きる人間の行いをよく観察したのであろう。彼の社会契約論は、悪い人性を持つ人間たちが、ほかの人間たちの悪い行いから自らを守るという命題から出発する。民は王に守られるという利益を得て、その代わりに自らの権利の一部を王に譲り、忠誠を尽くすというのである。

ロックは、人間の本性の判断においてホッブズと異なる。ロックは、人間は本性を持たずに生まれるという白紙説を唱えた。白紙説はアリストテレスが最初に唱えたが、イギリス経験論の思想家ロック(1632―1704)が改めて唱えて、西洋でふたたび広まった概念である。「人間は、はじめは白紙の状態で生まれ、身につけたもので満たされて人となる」。だからロックは、教育の重要性を強調する。

街を歩いている人間の十中八九は、その有用さがそれぞれ異なる。善いか悪いか、役に立つか立たないか、それはすべて教育によって決まる。人間を分けるのは、まさにこれなのである。305

ロックは、教育によって、人間に自由を追い求めることのできる本性を持たせることができると考えた。一般の個人も指導者も、ともに自由を尊ぶように教えることができると確信していた。だからロックは、個人の自由を無視する権力者を取り除くことができるという抵抗権を唱える。孟子の民本主義の根幹である民貴君軽(民を貴しとなし、君を軽しとなす)の思想と似ている。ロックの白紙説は、存在論に立脚した絶対性を強調することになる。人間はどこに生まれようと、生まれつき自由主義の白紙を持って生まれるという主張である。ロックは、自由を尊ぶ政府が、自由を尊ぶ民と契約を結ぶことができると主張する。ロックの社会契約論では、自由主義が最も重要な基本となる。ルソーの思想もまた、フランス革命を通じて、自由を個人の最も重要な権利として主張する。ロックは、すべての人が自由主義の思想を身につけ、それによって社会を設計することができるという社会契約論を唱える。ロックの思想は、アメリカの建国の過程に大きな影響を与えた。

ルソーは、ホッブズとロックの後に、新しい社会契約論と人性論を示す。ルソーは、ホッブズの性悪説とは違って、性善説を唱える。ルソーは、ホッブズとスピノザを、邪悪な人性を唱えたとして激しく批判する。彼によれば、人間はもともと善く生まれた。ルソーは、野生の動物は気高い気質と健康な肉体を持っているが、動物が家畜化(domesticated)されるにつれて、そうした良い気質をすべて失い、ひ弱で均衡を欠いた気質と肉体を持つようになると考えた。人間も、もともとは「真摯な友情、誠実な敬意、完全な信頼」を持っているが、文明社会で暮らすうちに、それらが「嫉妬、疑い、無関心、恐れ、憎しみ、欺き」へと変わる。そこで、文明の悪い影響を抑えるために、人間は政府を立てる。政府を通じて共同の利益を追い求めようというのである。ルソーは「一般意志」(General will)が重要であり、それは個人の利益ではなく社会の構成員全員の利益を代表し、常に正しく、自由と平等を追い求めると説明した。こうした一般意志を実現するために、社会契約が民と政府のあいだで結ばれなければならない、というのである。ルソーの人性論と社会契約論は、当時の西洋に大きな影響を与えた。フランス革命で生まれた政府は、ルソーの影響を受けた。自由、平等、博愛が三大目標となる。

オルソンの現代の人性論:盗賊と住民の相互利益からリーダーシップが生まれる

こうした西洋の社会契約論に対して、近年西洋では、リーダーシップの形成について新しい説明が現れている。西洋の人性論と社会契約論は、西洋の哲学の中心である存在論に立脚したものである。しかし近年、「自然哲学」にもとづく人性論が提起されている。西洋の典型的な哲学の枠組みを抜け出した、自然主義に立脚する変化論的な人性論である。東洋の自然哲学が唱える人性論と似ている。オルソン(Olson、1932―1998)教授の理論が、その代表である。

オルソンの人性論と荀子(じゅんし)の人性論を比べると、二人とも人間の本性を利己的で欲望中心のものと見て、集団的な協力は自然には生まれず、外的な要因が必要だと強調する点で似ている。オルソンは、人間は私益を優先する存在であり、公益は法律や制度のような強制力や選択的なインセンティブがあってはじめて可能になる、という見解を示した。荀子もまた、人間は本能的に私益を追い求めるが、法律と教育を通じて公益を追い求める能力を持てるようになる、という見解を示した。オルソンは20世紀の現代の人で経済面に力を注ぎ、荀子は古代の人で倫理に力を注いだ面がある。しかし、古代と現代という違いにもかかわらず、二人の思想家は人性の面で似た見解を持ち、政治と経済の面で公益を追い求める人間の個性をつくっていかなければならない、という見解を示した。オルソンの人性論は、西洋の人性論のなかではじめて変化論を唱えた点が特色であり、東洋と西洋の人性論を比べるうえで、重要な東西の合致点をなしている。

オルソンは、伝統的な西洋の思想家たちが力を注いだ、当時の政治状況に合わせて推論された人性論と社会契約論から距離を置いた。そして、現実的な自然哲学に立脚して、人間の社会でリーダーシップがどのように生まれたのかを分析している。オルソン教授は、指導者と住民のあいだで一致する利益のために政府が生まれたと見る。

部族の単位を超える人間の社会の統治体制は、社会契約論や、権限を自ら譲り渡すような状況のなかでつくられるのではない。むしろ、暴力を最大限に行使する能力を持つ者たちのあいだで、合理的な利益を探る過程のなかでつくられるのである。306

これは、自然な自己保存の原則に立脚している。東洋の人性論が基礎とする自己保存の原則と軌を一にしている。東洋の文明から見れば、政府は社会契約ではなく、結局、支配者と被支配者の相互の利益が一致するところから生まれるものである。政府ができた後も、指導者と住民の相互の利益のあり方によって、政府が保たれるか、弱まって消滅するかが決まるという過程を示している。こうした過程は、指導者も住民もまったく同じ人間の本性を持って生まれるが、その人間の本性から、生まれた後の努力によって、相互の利益を追い求めようとする人と自分の利益だけを取ろうとする人とに分かれる変化の過程を経ながら、指導者と被支配者のあいだで絶え間なく続く牽制の状況を示すものと見ることができる。

指導者と住民の「相互利益」(encompassing interest)が社会を構成する基本的な動機である、という理論である。彼の理論は、人類の社会生活は初期には一つの行動原則によって動いていたと推測する。それは、他人のものを奪う略奪(raid)である。オルソンはこうした者たちを「移動型盗賊」(roving bandit)と表現した。ところが長い時が流れると、盗賊たちのなかに、毎年収穫したものを奪ってくるよりも、収穫のよい場所に定住して毎年ほどよく奪うほうが得だと気づく者が現れた。そこで彼らは、一か所にとどまる「定住型盗賊」(stationary bandit)となる。

定住型盗賊になると、彼らは住民から奪う程度を調整しなければならないことに気づく。移動型盗賊のようにすべてを奪い尽くすのは得にならないことを知るのである。住民に一年分の食べ物と次の生産に使う物資を残して奪うほうが、定住型盗賊のためになる。そして、食糧を増産するために道路や貯水池や市場をつくってやれば、住民にとっても定住型盗賊にとってもよりよいことを知るようになる。

一国の指導者が住民のために社会の基幹産業を興すのは、社会の基幹産業のなかに自らの利益が含まれているという「相互利益」のためである。307

こうなると、定住型盗賊は強盗から指導者になる。オルソンは、盗賊と住民のあいだの「相互利益」が指導者を生んだと説明する。

したがって定住型盗賊は、鹿を捕らえる狼ではない。むしろ、牧場で飼う動物たちがよく守られ、水も自由に飲めるようにする牧場主に似たものとなる。308

オルソンのこうした洞察は、1920年代の中国の満洲で、軍閥がどのように形成され、どの軍閥が勢力を確保するのかという状況を調べるうちに悟ったものである。オルソンは、満洲の軍閥どうしの争いにおいて、移動型盗賊と土着の盗賊を比べた。移動型盗賊が敗れる原因は、住民の支持を得られなかったことにあった。定住型盗賊が住民の支持を得て「指導者」となり、結局勝利する過程を見て、彼は自らの理論を打ち立てた。309 まさに盗賊と住民のあいだの相互利益論である。オルソンの理論は、西洋のさまざまな社会契約論よりも現実的である。東洋の指導者の「天命」(Mandate of Heaven)の思想も、ここから引き出すことができる。民をよく暮らせるようにすれば指導者には天命があり、それに失敗すれば天命は去るのである。

オルソンの卓越した洞察から、我々は人間の本性について重要なことを知ることができる。オルソンの理論は、社会契約論を唱えるために性悪説や性善説を持ち出したのではなく、人間の本性をありのままに見て、指導者がどのように生まれたのかを調べようというところから出発している。自然哲学的な人性論にもとづいているのである。近世の西洋の思想家たちの人性論とははっきり異なる人性論を構想している。指導者も住民も、みな自分の利益を図る人間の本性を持って生まれたのであり、それにもとづいて関係が形づくられるというのである。自分の利益のために生きるのが人間の本性だが、指導者は相互利益のために、目の前の当座の利益を住民に譲り、持続可能な利益を取る姿勢を発揮する、と見るのである。東洋の文明は、2500年前、戦国時代を経ながらこうした状況を目の当たりにして、人間の本性をつかみ、政治倫理の哲学を打ち立てた。東洋の社会で指導者が現れる過程を、オルソン教授は、移動型盗賊から定住型盗賊が現れる過程とよく似た状況として描いたのである。

小盗は拘せられ、大盗は諸侯と為る(小盗者拘、大盗者為諸侯)。(『荘子』雑篇・盗跖)

軍隊の編成もまた、同じく相互利益から生まれる。指導者と住民の合意によるのである。定住型盗賊、すなわち指導者は、自らと住民を守るために軍隊もつくる。住民は、こうした賢明な指導者に出会えば、引き続き導いてくれることを願って、「国王万歳」(Long live the King!)を望むようになる。結局、王と住民は、互いの利益のために、政府という制度を自然につくり出すことになる。しかし、政府ができたからといって事態が片づいたわけではない。政府を導く者たちと住民のあいだで、相互の利益を確保するための力比べは続く。これを通じて、オルソンは、定住型盗賊と住民の関係から生まれる自然な政治経済学の理論を築いた。双方のあいだの相互の利益が核心である。

こうした哲学的な考えは、西洋が悩んでいる一つの問題に明確な答えを示す。本性か養育か(nature or nurture)という問題は、西洋でいまなお重要な哲学的問題として残っている課題である。利益を追い求めるのは誰もが持つ本性であり、養育によって、定住型盗賊と住民のあいだで精神を働かせ、互いの利益になる方向へと譲歩の線を探すのである。東洋の哲学の核心である。養育がなければ、誰もが生まれ持った目の前の利益だけを図る、悪い政府と悪い住民になってしまう。この点は、とりわけ指導者にとって問題となる。実際、西洋では20世紀に至るまで、自分の利益を図るために住民の未来を考えず、莫大な税を取り立てる愚かな王たちが存在した。

歴史がそれを証明している。専制的な王たちは、自らの軍事的な目的のために、できるかぎり税を取り立てることが多かった。西洋の歴史で、最大限の専制的な権限を持っていた王たちを考えてみよ。ブルボン朝の王たち(とりわけフランス革命が起こる前の王を含む)は、できるかぎり最大限の税を取り立てた。スペインのハプスブルク家の王たちも同様であった。ローマ帝国もまた、結局は税を引き上げる努力を続け、少なくとも歳入の源の限界まで極大化した。310

この点は東洋も同じである。皇帝が善政を施せなければ、住民の利益を捨て、結局はとことん目の前の自分の利益だけを図る状態が生まれる。天命が去るのである。東洋で王朝が交代するとき、新しい王朝が取った最初の措置は、税を下げることであった。滅びる王朝が、すでに税や収奪の限度をぎりぎりまで引き上げていたからである。税を下げるのは、民心を得て善政を施し、天命を確かなものにしようという考えである。オルソン教授の人性論にかかわる理論は、宗教の原罪論や、ホッブズ、ロック、ルソーの人性論の理論よりも、はるかに人性論の本質に近い。そして、人間の本性、政府の成り立ち、成り立った後の課題についての説明を、驚くほどよく言い表している。

人間の本性に内在する利益によって、指導者と参加者のあいだの問題を解いていった点は、東洋の人間本性論と似ている。西洋の文明は、本質的に理論と制度をつくり出す方向を目指している。それを基礎として、西洋は民主的な制度を推し進めた。そして、合理的な政権交代という制度をつくり出した。東洋が失敗した制度の面で西洋は成功し、東洋は西洋からこうした制度を学んでいる。問題は、政権交代をどのように成し遂げるのかという制度にある。西洋のあらゆる政治体制は、政党制度によって保たれている。政党制度ははたしてきちんと働くのだろうか。問題は、政党制度でさえ、いまなお人間の本性にしがみついている人間が管理するということである。国民の利益すなわち公益と、政党の勝利すなわち私益とが相反する状況で、西洋の政党が私益を犠牲にして公益を追い求めることができるのかどうか、という点にある。人間の本性はそれを許すだろうか。

戦争のように皆がともに滅びる状況に陥る前には、人間の本性は公益よりも私益を取るものである。第二次世界大戦が終わって久しいいま、現在の政党は公益よりも私益を取ることに慣れている。人間の本性がそうだからである。気候変動や貧富の格差の深まりのような世界的な問題は、公益にあたる部分である。ところが政党は、こうした問題の解決を二次的な問題と見て、目の前の次の選挙で勝つための方策、すなわち私益を先に立てることに慣れている。ここに、オルソン教授がつかんだ民主的な制度の問題がある。民主主義は、王や大統領や首相など国の指導者が国家の財政を思うままに使うのを防ぐよい制度だが、利益集団が競い合って自らの利益を追い求めることに対しては、あまり効果のない制度であることを指摘しているのである。

民主主義は、その指導者が社会の余剰を恣意的に引き出して使うのを防ぐうえではきわめて有利な位置にあるが、長く安定を保っている民主主義において、特殊利益集団が国の経済政策全体を左右しないように防ぐのは、きわめて難しいことである。311

オルソンは、「個人が集まった集団は、私益のために働くのであって、公共の利益のために働くのではない」という事実を直視していた。だから彼は、特殊利益集団がつくる政治経済の政策は公共の利益を損なうだろうと見通して、懸念を表明している。西洋の民主主義は、最高指導者が公益を損なうのを防ぐことに成功した制度をつくり出したが、新しい挑戦に直面している。西洋の民主主義は国家主義(statism)への備えはよくできているが、特殊利益集団すなわち集団主義(tribalism)への備えは著しく足りない、という点を指摘したのである。現在の西洋が経験している、政党と資本を扱うビジネスとの癒着についての卓見である。312

2) 東洋の人性論:生まれ持った人間の本性のなかで変化する人間の個性

東洋と西洋の思想家が人間の本性を研究するとき、彼らはそれぞれ、自らが置かれた東洋と西洋の哲学的思考の範囲内でそれを検討することになる。西洋は人間の本性に「存在論」的に迫る。人間の本性は、神が人間を創造したときから変わらない。西洋はすべてが定まっている人性論を想定するので、宗教の律法、すなわち法律と制度を通じて人間の個性を管理するという手法を取ることになる。ここで定めた人性論は、神との契約、あるいは社会契約を枠組みとして掲げることになる。東洋は「変化論」的に迫る。生まれたときに持つ人間の本性は同じだが、その範囲内でそれを表す人間の個性は変化していく。人性論をどう管理して肯定的な「人間の個性」をつくっていくか、というのが東洋の文明の核心である。

東洋では、人性論は変化論に従う。人間は同じ本性を持って生まれるが、その範囲内で、生まれた後の教育と努力によって人間の個性が変化する、というのが東洋の人性論の核心である。こうした人性論は、本能と精神の関係において、本能を発光体、精神を反射体として分析することになる。313 すなわち、人間の個性は、生まれた後に陰陽のように「変化」するというのである。超自然的な神ではなく自然の道を信じた東洋では、古代に神と人間のあいだの契約がなかったように、近代にも社会契約説は必要でなかった。道という自然の法則にもとづく東洋の人性論が、古代にも現代にも変わりなくそのまま働いているからである。

東洋の人性論は変化論に立脚している。人間は生まれながらに同じ人間の本性を共有しているが、生まれた後に人間の個性を形づくっていく。互いに結びついた本能と精神が、個人の努力によって、限りない変化を見せる個性をつくり出していく。ここに人間の社会の不規則さと魅力がある。西洋の哲学には、精神と本能の関係において分離を唱える二元論(dualism)がある。デカルトの主張がそうである。これに反対する一元論(monism)がある。マルクスの唯物論的な一元論である。西洋式の二元論と一元論の区分である。しかし、東洋の心身論や理気論の内容を分析すると、それらは心身一元論や心身二元論を唱えたのではなく、精神と本能は「補い合い、調和をなす」という相補論である。314 これは、精神と本能を結びつけるスピノザの連繋論と似たところがある。しかし東洋の相補論は、心身一体論のように、精神と本能を区別しない。西洋は精神と肉体の関係を「分離か、同一か」で論争したが、東洋ははじめから分離そのものを問題とせず、調和と均衡を重んじる「相補論」を唱えたのである。

東洋の人間の個性の涵養 vs 西洋の社会契約論

西洋の社会契約論は、千年以上にわたって西洋の世界を支配してきた神と人間のあいだの「契約」論に支配された西洋の人々が考え出したものである。神の文明に支配されている西洋の人々のための努力である。西洋の法律と制度を重んじ、社会契約論からも助けを得て、指導者の民主的な交代の制度を確立した面は、人類史においてきわめて重要な前進である。この点は東洋が学ぶべきところである。しかし東洋の文明から見れば、社会契約論の基礎となった「西洋の人間本性論」には足りないところがある。

ホッブズの性悪論は、指導者がなぜ秩序を保たなければならないのかについての説明が足りない。指導者は性悪論の例外にあたるのか、あるいは指導者だけが神や精神によって利他心を持つようになるのか、説明がない。ロックの白紙説は、精神が反射体ではなく発光体として本能から解き放たれるという誤り、ないし危うさをはらんでいる。自由を教えればすべての人が受け入れる社会秩序になるという白紙説には、現実性がない。ルソーの性善説は、人間ではなく文明に問題を見いだし、逆に人間の本性は善であると推論している。ところが文明もまた人間から生まれるものなのだから、善い人間の本性からなぜ悪い文明が生まれたのかを説明できないという問題がある。彼が唱えた一般意志は、全体主義の思想へと流れることがありうる。ホッブズは、戦争と極端な闘争が続く状況のなかで育ちながら、人間の本性が悪く表れるのを、正常な人性論と見誤ったように思われる。こうした傾向は、西洋のマキャヴェリ(1469―1527)と韓非子(紀元前280―233)が、まさにホッブズのように戦争と闘争が続く状況で一生を送りながら、ホッブズと似た「人間は悪である」という人性論を打ち立て、それに従って彼らの現実政治(Realpolitik)論を築いたことと似ている。そしてホッブズは、こうした人間の本性にもとづいて、無秩序のなかで秩序を保つのに必要な、しかし平時には当てはめにくい社会契約論を設計したように思われる。

ロックの白紙説は、人間の本性を否定する。教育によって人がつくられるという理論は、教育を重んじることに貢献した。同時に、ドグマ的な教義に惑わされうるという、きわめて危うい道を開いておく。白紙説によれば、人間は本性から自由である。本性がないと見れば、人間は「何でもできる人間」となる。未来のために、また仮想のユートピアのために、ドグマ的な教義で教育すれば、人間を倫理を無視する怪物にしてしまうことができる。教育や教義を誰がつかさどり、訓練させるのかが、結果を決めてしまう。ロックも儒教も、ともに教育を重んじる。しかし、西洋のタブラ・ラサ式の教育と東洋の儒教の教育とでは、人性論における基礎がまったく異なることを認識しなければならない。西洋は、「タブラ・ラサ」式に、人間には本性がないのだから、何であれ教育と訓練によって可能であるという立場である。東洋は、本性はあると主張しながら、その本性の範囲内で、倫理と教育によって人を人らしくすることができるという、人間の個性の養育に力を注ぐ。本性の範囲内での個性の教育を強調するのである。この次元で、東洋の教育は倫理の原則に反することができない。しかし、人間の本性を認めないロックの性無善悪論は、倫理を超え、あるいは裏切る思想を打ち立てることを可能にする。

ルソーの性善説は、キリスト教の性悪論に対置される革命的な人性論である。西洋の哲学体系に新しい可能性をもたらしている。しかし、彼の性善説と一般意志への確信は、根拠が弱い。ルソーの性善説に由来する一般意志は常に正しくありうるという確信は、根拠のない確信である。こうした「確信」は、民主的な政府をつくることよりも、むしろ独裁体制を正当化するのに悪用された。実際、1789年のフランス革命は、ロベスピエールらが持っていた当初のよい意図にもかかわらず、結局は恐怖政治で幕を閉じた。20世紀のイデオロギーの時代にも、ファシズムと共産主義の独裁政権は、自らが唱える政治はすべて「一般意志」を反映していると主張した。ロックとルソーの人性論と社会契約論に助けられて、西洋の文明では個人の自由がとりわけ重要になる。「我に自由を与えよ、しからずんば死を」(Give me liberty, or give me death!)と叫んだパトリック・ヘンリー(1736―1799)の主張のように、自由がまるで絶対的な道徳であるかのように認識されはじめた。しかし自由主義は、結局、自己保存というより根本的な命題の前で力を失う。イギリスの「ブレグジット」(Brexit、イギリスのEU離脱宣言)は、まさに強力な道徳である「自由主義」よりも、人間の本性にもとづく「自己保存」のほうが重要だという鉄則を、我々にあらためて教えている。イギリスだけでなく、アメリカをはじめとするほかの西洋の国々も、状況が厳しくなれば、国家と国民を守るために、自由や人権よりも重要な自己保存の原則を追い求めざるをえない。こうした自己保存の原則が、近年西洋で急速に力を得ている。自由、平等、博愛は重要な宣言である。できるかぎりそれを守ってこそ、社会や国家は健全になりうる。しかしそれらは精神の創造物である。結局、状況が変わっていけば、これらの原則を絶対的な命題として守ることは不可能になる。本能と妥協しなければならないからである。すなわち、精神と本能の関係において本能が行いの源であり、精神は本能に刻まれた枠のなかで自由を享受する、という点を噛みしめなければならない。

西洋の「社会契約論」の代わりに、東洋は「人間の個性の涵養論」を示している。東洋と西洋が人性論において根本的な違いを見せているからこそ、そうした異なる方向の設定が可能なのである。人間の個性を涵養する人性論では、本能と精神をどのように分析し、その結びつきをどのように想定しているのか。新しい脳が本能をなくすことができないように、その逆も成り立つ。古い脳が人間の精神の能力そのものを生み出したり消し去ったりすることはできない。人間がほかの動物と同じように基本的な欲求と感情を持っていることは、宿命的である。同じように、人間が精神の能力を持っていることも宿命的である。それをなくしたり変えたりすることはできない。すなわち人間は、本能的な宿命の範囲内で、精神の能力の自由を享受する。ラッセルは、精神と情熱を葛藤と対立の関係として見てきた西洋の文明の重圧のなかでも、精神と情熱は結局は調和をなさなければならないのではないか、と推し量っている。

欲望、情緒、あるいは情熱(どの言葉を選ぶかは読者の自由だが)は、行動の原因として考えうる唯一のものである。理性は行動の源ではなく、その調整者にすぎない。315

人間の存在は、結局、「宿命のなかの自由」という条件を持って生まれる。人間は動物のように生きることができるのにそうしないのではなく、どれほど努力してもそうすることができないのである。人間は、動物とは違って、新しい脳を持って生まれる。ここで人間は二つの可能性を発揮することができる。古い脳の本能を利己心に満ちた貪欲にするのも新しい脳であり、本能にある小さな利他心を動員して、指導者となりうる人間の個性を発揮させるのも新しい脳である。しかし、利己心は利他心よりもはるかに強く人間の本性のなかに存在していることを、覚えておかなければならない。

人間は、憐れみよりも復讐に傾きやすい。(スピノザ『エチカ』第4部付録第13項)

こうした人間の本性のあり方を、道徳心を振りかざして責めることはできない。なぜなら、利己心すなわち欲望こそが人間の本性の核心であり、我々が生きている理由であり、文明を動かす力だからである。

欲望は人間の本質である。すなわち、人間が自らの存在を保とうとする努力である。(スピノザ『エチカ』第4部定理4、第4部序言)

しかし本能は、精神の力によってどのような方向へ「表現」されるのかという「人間の個性」を決める力となる。本能的な行いと習得した行いも互いに密接に結びついていて、両者を区別することも誤りであることが、医学によって証明されつつある。

これまでに積み重ねられた証拠によれば、「本能的な」行いを「習得した」行いとまったく無関係な別の行いと見ることは、不正確で誤りであることが明らかになりつつある。両者は互いに混じり合っているのである。316

本能的な行いと習得した行いを区別するのが不正確だという表現は、本能と精神が互いに影響を及ぼし合っていることを示している。倫理的に言えば、利己心と利他心の葛藤のなかで、人間は利他心を育てていくことができる。逆に、人間は利己心を極限まで育てていくこともできる。人間は、本能が与える「宿命的な範囲」を認識しながら、その範囲のなかで精神は思う存分自由でありうる。これが人間の持つ自由のすべてである。精神が本能を無視して自由に活動することはできないのである。

こうした人間の本性にもとづく人間の営みが、そのまま歴史に表れることがある。西洋の近世の歴史がそれを示している。西洋で啓蒙の時代と理神論が登場したことで、西洋の人々のあいだで有神論への信仰がすっかりなくなったわけではない。西洋の思想家のあいだには理神論が広く行き渡ったが、多くの人々は、理神論の精神的な説得とは関係なく、有神論をそのまま信じ、頼っている。宗教は、宗教に込められたドグマを退ける過程、言い換えれば、聖書や神の言葉が絶対的ではないという過程を経ても、人間に必要な要素として残る。なぜなら人間の本性は、精神的であるよりも、心情的で本能的な面が大きいからである。とりわけ、本能は発光体、精神は反射体という人性論を受け入れれば、宗教の必要性はなお残ることになる。

こうした「心情的」な現象は、人間の持つ知的能力は限界と可能性を同時に持っているという「矛盾」によって説明される。こうした矛盾は、近代の西洋の文化で長いあいだ退けられてきた。古典物理学は、こうした矛盾を退けながら形づくられた。しかし、光が粒子と波動の二つの性質を持っていることなどが証明されたことに見られるように、矛盾をむしろ自然の基本的な性質として受け入れることもできる。原子より小さな物質の単位は、あるときは粒子のように、あるときは波のようにふるまう。光もこうした両面性を示す。317 実際、アインシュタインが光の粒子説を証明したことによって、精神と肉体のように二元的でありかつ一元的なものが自然界にも存在することが証明された。光の二重性は、あらゆる自然に普遍化されつつある、より深く重要な二元性を意味するものであり、自然の普遍性なのかもしれない。

光は、ある状況のもとでは粒子の流れとしてふるまい、別の状況では波としてふるまうと考えられている。この「波と粒子の二重性」は、我々の常識とは一致しない。しかしそれは、光についての実験の結果とはよく一致するのである。318

光のように二元的でありかつ一元的な性格を持っている、人間の精神と肉体の関係は、次のように描かれている。

肉体と魂が一つの純粋で根源的な二元性をなしているとは、私は考えません。私には、それらはむしろ、いくつもありうる分裂のうちの一つであるように思われます。そして、このありうる分裂は、私がきわめて不正確にではありますが主体と客体の対立と呼んだ両極性(分極性)を通じて、現実のなかに現れてくるのです。319

結局、思惟の面から見れば、自然における一元と二元の調和は、例外ではなく普遍的な法則と見なければならない。西洋の哲学ではこれを矛盾と見たが、東洋の哲学では、陰陽論に見られるように、矛盾の調和ないし補完が自然に内在しているという事実を、当然のこととして受け入れた。

本能は発光体、精神は反射体

東洋の人性論において、本能と精神の役割を最も説得力をもって説明したのは李栗谷である。「あらゆる現象は、気(本能)が発して、理(精神)がそれに乗って表れる」という説明である。これとほぼ同じ人性論は、西洋ではおよそ3世紀後に現れる。ラッセルがこうした人性論を表した。彼は「精神は本能の主人ではなく、召使いにすぎない」、「精神は本能をなくすことはできない。調整するだけである」と表現した。フロイトも似た人性論を持っていた。「精神(ego)は馬の手綱を握っているが、本能(id)という馬は、いつでも手綱を振り切って走り出すことができる」。人間の本性は生まれたときに持っているものであり、そのなかで人間の個性が変わるのである。本能は発光体、精神は反射体となる。

これは、本能が人間の行いにおいて発光体の役割を果たし、精神がそれを受けて反射体の役割を果たすことを示している。320 東洋の人性論が核心と考える人間の個性は、このように本能と精神の役割が結びついて働くことで生まれる。本能は発光体、精神は反射体という役割の分担は、現代医学が次々と明らかにしている科学的な事実とも合致する。現代医学も、解剖学的に似た表現をしている。「新しい脳(精神)は、まるで騎手が手綱なしに馬の上に座っているように、大脳辺縁系(本能)の上に乗って座っている」という表現を用いているのである。

西洋の人性論は、人間の考える心、すなわち新しい脳が、結局人間の歴史をつくり出したと主張する。これは、人間を論じるとき、新しい脳と古い脳の役割について誤解を招くおそれの大きい宣言である。古い脳が行いの源であり、新しい脳はそれを調整する役割だけを果たす、という内容をあらためて見てみよう。とりわけ、人間の行いの源は古い脳からしか出てこないのだから、新しい脳はそれを拡大したり縮小したりする調整の役割だけを果たすという役割分担を考えれば、問題の根源に触れることができる。

新しい脳が歴史をつくり出すというのは、精神と本能の面で、本能の役割を精神がすべて置き換えることができるという不完全な思想である。しかし西洋の文明では、とりわけ精神、すなわち新しい脳が自律性を持って、新しい世界と人性をつくり出すことが可能だと主張した。我々は、自分が生まれ持ったもののなかでだけ、すなわち本能の範囲のなかでだけ、人間の可能性が広がりうることを認めなければならない。こうした限界を越えようとすること、すなわち「精神の能力」だけに集中して本能の根源的な役割を低く見ることが、西洋の文明の本質である。本能を無視し、「神が人間にだけ与えた精神」にすべてを賭けて理想郷を実践しようという冒険をすることになりうる。こうした現象が実際に西洋の歴史で起こるのだが、西洋がつくり出した20世紀のイデオロギーの時代がそれである。しかしこうした試みは、人間の本性を無視する状況が極端に起こるため、たやすく倫理を無視する悲劇を引き起こすことになる。

本能は、西洋では人間の束縛(human bondage)として、東洋では気として捉えられる。西洋は、本能を人間の束縛と捉える場合、本能がなければ精神を自由に働かせて、人間は無限の可能性を追い求めていくことができる、と考えたいのである。人間が本能という束縛を離れて神のように自由になることが、ギリシアの時代以来いまに至るまで、西洋の人々の夢であった。人生の目標も幸福になることだが、西洋の人々は、アリストテレス以後、人間が到達しうる最高の幸福な状態を「神のように幸福になること」と規定した。実際、ギリシア・ローマの時代には、神と人間の違いはあまりないと考えられており、半神半人もいた。ローマの時代には、火葬のときに誰かが魂を見たと証言すれば、その人は神として扱われた時期もあった。

一方、東洋の文明は、自然を創造した神の存在を認めず、自然すなわち自然の道を絶対的な価値として認める哲学に立脚した。東洋の自然哲学では、西洋とは違って、本能を力の源と捉えた。気がなければ理は働くことができない。本能が人間の行いの源であることを受け入れよう、というのである。そのなかで人間にできる可能性を探そうという哲学である。そうすることで、人間の個性は、人性の内部でだけ、すなわち本能の範囲内でだけ、精神の働きによって形づくられるものとなる。精神が自由に本能を抜け出して理想郷を探しに出かけられるというのは、人性についての基本的な誤りを犯すことである。

西洋では、精神と本能の役割分担について、東洋とは異なる手法を取る。神の文明では、精神は神がとくに人間に与えたものなのだから、本能を無視する対立的な区分が避けられない。こうした「精神が上、本能が下」という役割分担が、西洋の文明の主流をなしている。二千年以上にわたって続いてきた。ところが、精神と本能は分けられるものではなく一つと見なければならないという主張が、東洋の文明が想定する人間の本性であり、こうした主張は西洋にも現れる。もちろん、一つと見ようという意見としては、17世紀のスピノザの主張が最も有名である。「精神と身体は一つであり同じものである」。精神と身体の別の表現である「心理と生理」もまた一体と見る意見が、医学書で次々と明らかにされている。「心理と生理は不可分の一体である」。知的能力もまた、人間の生理作用・欲求・感情の限界を抜け出すことはできない。

心理と生理もまた、不可分の一体にすぎない。321

言い換えれば、知的能力は、生理作用・欲求・感情が目指すのと同じ方向、すなわち自己保存と環境への適応を目指すほかない。しかし、本能とともに、人間には精神の役割がある。人間が精神を働かせることができなければ本能の奴隷のように生きていくことになる、という意味で、スピノザは「人間の束縛」という表現を用いた。

人間は常に情念に屈するほかない。(スピノザ『エチカ』第4部定理4)

スピノザは、人間の本性における情念の核心的な役割を重んじたが、同時に、情念とかかわって精神が果たしうる役割も重んじた。精神の役割はあるが、人間は精神の勧めに従うものではない、と分析したのである。

情念こそが人間の本性である。情念によって、人間は自らの存在を確かめつづけていく……人間は精神の勧めに従うものではない。(スピノザ『エチカ』第4部定理18)

こうした、情念と精神の結びつきを唱えるスピノザの現実論とは違って、西洋の文明は、精神の役割を極大化することに慣れている。精神が人性論の源であるという主張は、ソクラテス以後、キリスト教の教義と融合しながら中世を支配し、近代に入ってからはデカルトの合理論によって西洋で勢いをふるった。ここからさらに一歩進めば、精神がすべてであるというイデオロギー的な主張が可能になる。近世の西洋の哲学は、いわゆる合理主義者たちの手にあった。聖書に書かれたとおり神が人間に与えた精神という原則を、デカルトのような合理主義者が、宗教を離れて「科学的で合理的な」方法で主張しはじめた。神を離れて、精神こそが人間の主体であると考える習いを、西洋につくったのである。

こうした合理主義者に対する反対の理論は、イギリスの経験論(Empiricism)に見いだすことができる。経験論者の主張に従えば、精神ではなく本能が人間の行いの主体であるという考えが現れる。ヒューム(Hume)は、先に述べたように、「理性は情念の奴隷であり、またそうあるほかない」と主張した。人間のあらゆる行いの源は、本能に由来する。人間の進化の過程を見れば、こうした分析にいっそう理解を示すことができるだろう。こう見れば、古い脳は発光体、新しい脳は反射体の役割を果たすことになる。とすれば、倫理の源もまた本能から出てくる。本能にそうした源がなければ、倫理は生まれようがないからである。言い換えれば、精神は発光体ではなく反射体であるという理論は、倫理の源は精神ではなく感情にあるという分析によって説明される。精神は反射体であるという考えは、何人もの思想家が叡智を尽くして見通していた。スピノザ、デイヴィッド・ヒューム、ラッセルらが、そうした叡智を示していた。同時に現代になって、現代医学の助けを得て、精神と本能は結びついているという重要な科学的発見が続いている。

ヒュームの倫理=感情論は、人性論において、本質的にカントの倫理=精神論と対をなす。ヒュームの倫理=感情論は、東洋の人性論と軌を一にしている。ヒュームにとって倫理は感情の反射体として形づくられるが、カントにとっては、精神が感情を離れて、それ自体が発光体として道徳と倫理を形づくる役割を果たすことになる。カントにおいて、道徳は本能から解き放たれた完全な「自由」を享受する。ヒュームは「本能のなかの自由」を唱え、カントは「本能を離れた自由」を唱えることになる。実際、複雑なヒュームの理論よりも、カントの主張のほうが西洋の合理論の支持を得ることになる。カントは、神を精神が置き換えるなかで、道徳は、精神によって、神が与えたものであるかのように、なお否定できない義務として人間のなかに存在する、という主張を展開した。彼は西洋の合理論者たちから「コペルニクス的」転回を成し遂げたと評価されることになる。

ヒュームは、西洋の主要な思想家たちから裏切り者として扱われるに至った。スピノザと似た境遇である。ヒュームの宗教についての著作『自然宗教をめぐる対話』は、ヒューム存命中は隠しておかれ、死後に刊行された。ヒュームは宗教の側からも「異端」の疑いをかけられ、そのために哲学の教授職を得ることに失敗した。18世紀、ヒュームが生きた時代は、瀆神罪(blasphemy)が認められていた時期である。1697年、20歳の学生が絞首刑に処されたが、それは、彼がムハンマドに触れ、三位一体説など西洋の宗教には常識に反する面があると友人に語ったことが知られたためであった。瀆神罪が彼の罪名であった。本能は発光体、精神は反射体というヒュームの主張は、当時なお健在だった、精神を重んじる神本主義の思想には受け入れがたいものであった。

変化の人性論:告子の性無善悪論、孟子の性善論、荀子の性悪論

東洋の変化論は、東洋の思考の原理である「常に変わりつづける自然」という宇宙論に由来する。東洋の人性論は、変化論にもとづいている。「人間は、本能と精神からなる同じ人間の本性を持って生まれる。しかし、生まれてから表す行い、すなわち人間の個性は異なる」。東洋の性無善悪説(告子)、性善説(孟子)、性悪説(荀子)は、いずれもこの体系に従う。重要なのは、変わらない人間の本性を認めながら、生まれてから変わる人間の個性が重要なのだから、自己修養と教育に力を注ごうということである。こうした人性論は、変化論という自然哲学に従っている。こうした東洋の人性論は、宗教とも結びつけず、社会契約論とも結びつけなかったので、西洋の古代と近代の人性論とは違って、一つの人性論が古代から現代まで続く持続力を持っている。

告子(こくし、紀元前420―350)が、東洋の思想家のなかで初めて人間の本性についての考えを残した。告子は、人間とほかの動物に違いはないと考えた。人間は、食欲と性欲という二つの欲望を持って生まれる。動物にも善・不善はなく、人間にも善・不善はない、という主張である。性善説と性悪説をともに否定する。性無善悪論を唱えるのである。

告子は、人間の本性は善と不善に分かれていないと考えた。それはちょうど、水が東西に分かれていないのと同じだと主張した。「人性の善不善を分かつ無きは、猶お水の東西を分かつ無きがごときなり」。(『孟子』告子上)

告子のこうした人間の本性について思索した書物は、後世に伝わらなかった。『孟子』に引かれたものが、我々の知る告子の人間の本性についてのすべてである。『孟子』の第6篇「告子」に、人間の本性にかかわるさまざまな説明が収められている。告子の性無善悪論という哲学は、解釈によっては、アリストテレスやロックの白紙説に似ている。しかし東洋では、誰も告子の性無善悪論という人間の本性についての主張を発展させて、自らの社会改革論に用いることはなかった。告子の性無善悪論は、存在論ではなく東洋の変化論に従っていた。その場合、告子もまた、人間の本性によって善悪が決まるのではなく、生まれた後に変わる人間の個性において養育に重点を置こうという人性論を唱えた可能性が大きい。この点が、西洋の白紙説と告子の性無善悪論の哲学の根本的な違いである。存在論と変化論の違いである。

告子の後、思想家たちの思考は、性無善悪論よりも性有善悪論の方向へとまとまっていく。孟子の性善説と荀子の性悪説に分かれるのである。しかし東洋の性善説と性悪説は、人間は本性に縛られているという存在論にとどまらない。本性がどうであれ、人間は人間の個性の「養育」のために最善を尽くさなければならない、という変化論で迫るのである。人間の個性の養育を最終の目的としたという点では、孟子と荀子に違いはなく、さかのぼれば、二人の師である孔子においても、同じく核心的な目的として変わりはない。この次元から見れば、告子の性無善悪説もまた、変化論的な立場から見れば、孟子の性善説や荀子の性悪説と同じく、人間の個性の養育に力を注ぐという点では違いがないと見ることができる。

孟子(紀元前372―289)は、告子の主張とは違って、人間と動物のあいだには違いがあると規定した。人は水とは違う。人間は東西ではなく、上下に分かれる。人間が善と不善を区別しなければ、仁義などの倫理が崩れてしまう、という主張を展開した。

人皆人に忍びざるの心有り……惻隠の心は仁の端なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は智の端なり。人の是の四端有るや、猶お其の四体有るがごときなり。(『孟子』公孫丑上)

これが、孟子の唱える性善説の要である。仁義礼智は、惻隠の心(憐れむ心)、羞悪の心(恥じる心)、辞譲の心(譲る心)、是非の心(善し悪しを知る心)という四つの心から表れる、と説明した。西洋のルソーも性善説を唱えたが、彼は人間が道を誤る問題の根源を文明や制度に求め、社会の改革によってそれを正そうとした。「人間は本来善く生まれた。しかし社会が人間を堕落させた」と主張したのである。ルソーが外に問題を求めたとすれば、孟子は内に問題を求めた。孟子は、性善を妨げるものを個人の外の環境や教育の不足に見て、努力と修養に解決策を求めようとした。孟子は、人間は生まれたときから倫理を持って生まれると説明した。困っている人を見れば助けたくなり、不幸な目にあっている人を見れば正してやりたくなる心は、誰にでもある、というのである。孟子は、こうした倫理は、教育などの状況によって、表れることもあれば隠れることもあると考えた。豊作と凶作によって作物の出来が異なるように、人間も教育によって道徳性が表れることもあれば隠れていることもある、と主張した。孟子の性善説の結論は、自然が豊年に恵まれるように、人間をよく養い育てようという点にある。

荀子(紀元前298―238)は、自らの著書『荀子』第23篇「性悪」で、その立場を明らかにしている。荀子の性悪説で重要なのは、人間は生まれたままに放っておけば、社会生活に不都合な天性を持って生まれる、という点である。

人の性は悪にして、其の善なる者は偽なり……然らば則ち人の性に従い、人の情に順えば、必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。(『荀子』性悪)

これが荀子の性悪説の要であり、その根本は、人間の本性をありのままの自然な状態として見ることにある。天性は、君子も小人も、みな同じく、避けようもなく人間として持って生まれる。

凡そ性とは、天の就せるなり。学ぶべからず、事とすべからず。礼義とは、聖人の生ずる所なり。人の学びて能くする所、事として成る所の者なり。(『荀子』性悪)

だから人間は誰もが自分の利益を追い求めるようになり、放っておけば社会的な争いへと広がりかねない、というのである。人間の貪欲に従う性向は、君子も小人も持って生まれる。それを養い育てて、社会の秩序を保つ助けになるようにしようというのが、荀子の目標である。西洋のホッブズは性悪説を唱えて、人間は自分の利益のために争うという意味で、「人間は人間にとって狼である」という表現を用いた。「人間は人間にとって狼である」という表現は、ラテン語の格言「Homo homini lupus est」に由来する。これは古代ローマの劇作家プラウトゥス(Plautus)が最初に用いた、人間の社会の本質を冷酷にあらわにする文句である。ホッブズは、自然状態は無政府状態や戦争状態と同じなのだから、強力な権力を持つ絶対君主が必要だという社会的な解決策を示した。

ホッブズが外に解決策を求めたのに対し、荀子は内なる解決策を示した。荀子は、人間は生まれたときから利己的な欲望を持っているのだから、それを個人の努力と教育を通じて醇化し、君子と小人のうち君子のようになれるようにしよう、という点に重きを置いた。荀子の性悪説には、人間の本性を直さなければならないという考えはない。人間を自然にありのまま見ながら、それを管理し、人間の個性を養い育てて、社会の役に立つようにしようというのである。

告子、孟子、荀子の人性論は変化論的である。この点で、西洋の存在論的な人性論とは出発点を異にする。東洋の変化論は理解しにくい。本能においては人間は同じだが、精神の努力によって、本能が表れる行いに違いが生まれる、というのである。彼らは、君子と小人は人間の本性においては違いがないが、生まれてから学ぶところによって、行いとして表れる人間の個性に違いが生じる、と見たのである。

故に聖人の衆に同じくして其の衆に異ならざる所以の者は、性なり。異にして衆に過ぐる所以の者は、偽なり。(『荀子』性悪)

孟子と荀子は、ともに儒家の思想家である。師の孔子がすでに似た人性論を展開して、彼らの哲学の基礎を築いていた。

性、相近し。習えば、相遠し。(『論語』陽貨17:2)

変化論に従う東洋の人性論では、西洋の存在論的な人間の本性にもとづく社会契約論が現れる必要がない。ホッブズ、ロック、ルソーの人性論は、人間はそのように生まれ、変わらないのだから、それを根拠として制度と法律を重んじる社会契約論を掲げることになる。そして、彼らが掲げた社会契約論によって、人間を善悪の観点から評価することになる。

告子、孟子、荀子の人性論は、人間は人間の本性を持って生まれたが、生まれてからどのような人間になるのかという、変化する人間の個性の部分に力を注ぐ。本人の努力によって、社会の役に立つ人間の個性を持つ人と、社会の役に立たない人間の個性を持つ人とに変わっていくのである。孟子の性善説や荀子の性悪説は、人間は善いとか悪いとかいう存在論的な説明ではない。322 宿命的に、また自然に、人間はこうなっている、という表現にすぎない。人間の本性は善いものとして変わりなく定まっているという説明は、孟子の哲学の核心ではない。また、人間の本性は悪いものとして変わりなく定まっているという考えは、荀子の哲学の核心ではない。孟子も荀子も、人間の本性が善く生まれるにせよ悪く生まれるにせよ、社会生活のなかで問題を起こすようになっていると見る。善く生まれても、生まれた後の社会生活で悪い影響を受けうるのだから、自らをよく鍛え、善い部分を伸ばしていけるように教育を受けなければならない、というのが孟子の哲学の核心である。荀子の性悪説もまた、強力な利己心を倫理と法によってよく鍛え、立派な人間の個性を持てるようにしようという哲学体系である。孟子も荀子も、人間の本性が核心なのではなく、人間の個性を養い育てることが核心なのである。

孟子の性善説と荀子の性悪説は、倫理へと帰着する帰納が重要である。西洋の存在論では、性善・性悪が演繹的で不変の重要性を持つ点が重要である。ホッブズの性悪説では、個人が王に権限を譲る制度と体制が重要であり、ルソーの性善説では、一般意志を確保する制度と法をつくることに力が注がれている。だから西洋の体制では、法と制度によって、性悪・性善という存在論的な人間の本性を規制しなければならない、という点に核心がある。一方、東洋の変化論では、性善・性悪は帰納的な変化の重要性を持つ。規範的な法律ではなく、説得型の倫理が重要になるのである。

この次元から見れば、東洋の本性論は生成論的である。孟子の性善説と荀子の性悪説は、いずれも人間の個性の養育を生み出すことに力を注いでいる。人間が「固定された人間の本性」(fixed human nature)を持って生まれたのかという問いに対して、東洋の人性論の答えは明確である。人間の本性は、善いものと悪いものの両方を持っている。すなわち人間は、強力な利己心と弱い利他心の両方を持って生まれる。東洋では、陰陽のように、こうした人間の本能、すなわち古い脳は、二つの可能性をともに持って生まれる。生まれた後、新しい脳でこうした陰陽的な人間の本性を管理しながら、啓発された利己心へと向かうように人間の個性をつくっていくことが核心である。

賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。(『論語』里仁4:17)

荀子も似た意見を述べている。すべての人は聖人になることができる。重要なのは本人がそれを望まなければならないということであり、倫理と法律がそれを助けることができる。人間の個性の涵養が目的となるのである。

塗の人も以て禹と為るべし……凡そ禹の禹たる所以の者は、其の仁義法正を為すを以てなり。(『荀子』性悪)

東洋では、本性の見方が違っても、その範囲内で人間の個性の養育という目標を追い求めなければならないという点では一致している。しかし西洋の本性論は、すでに定めた目的へと向かうために用いられることになる。すなわち社会契約論に当てはめられる。西洋の性悪説は王の権威を認めるために用いられ、白紙説は自由主義を伸ばすために用いられ、性善説は人民主権を目指すために用いられた。このように、東洋と西洋の本性論は、その目的や目標において本質的な違いを見せている。だから東洋の本性論は、生成(Becoming)論的に、また帰納的に見ることができる。一方、西洋の人間の本性は、存在(Being)論的に、また演繹的に見ることができる。

繰り返しになるが、孟子と荀子の人性論の重点は、性善・性悪という存在論ではなく、生まれ持った本性の枠のなかで、変化論によって正しい人間の個性を養い育てようという点にある。東洋の人性論は、生まれ持った人間の本性を認め、その範囲内で倫理と法律によってそれを管理し、正しい人間の個性を育てて社会に益をもたらそう、という点に目的がある。宗教や形而上学的な理論の影響を受けることなく、東洋で古代から現代まで変わりなく当てはめられてきた人性論である。

3) 人間の本性の管理:東洋の「宿命のなかの自由」 vs 西洋の決定論と自由意志の対立

地球上には数えきれないほどの木がある。一本の木には多くの葉がある。ところが、すべての葉はそれぞれ違った形をしている。世界に、まったく同じ葉は一対もない。地球上の人間も、いまや80億人を超えている。彼らはそれぞれ異なる個性を持って生きている。地球上に、まったく同じ個性を持って生きていく人は一対もいない。とすれば、人間はまったく同じ本性を持って生まれるが、みな異なる個性を持って生きる、という結論に至る。東洋の文明では、人間の本性は生まれ持つものだが、人間の個性は生まれてからつくられるものだと見る。ところが、人間の個性は本性から自由ではない。本性のなかにある「強力な利己心と弱い利他心の相互作用」という枠のなかで動く。そして、その枠のなかでどのような人間の個性を持ちうるかは、まったく個人にかかっている。「発光体の本能、反射体の精神」。こうした本性を持って生まれる人間は、「宿命のなかの自由」を享受することになる。

すべての人間は、結局、同じ人間の本性の枠のなかで生まれる。もちろん、人間の本性において我々をつかさどるさまざまな情念の強さには違いがあり、利己心と利他心の相対的な大きさにも違いなどがある。しかし、強力な利己心と弱い利他心、他人を支配しようとする情念を持って生まれたことは否定しがたい。たとえば、他人を支配しようとする情念を大きく持って生まれた人々でも、こうした本能がどのような方向へ表れるかは、まったく教育と自らの努力にかかっている。第二次世界大戦で重要な役割を果たした二人を挙げるなら、チャーチルとヒトラーが挙がる。二人とも、まれに見る、支配力を広げようとする強力な情念という本性を持って生まれた。しかし、一人は歴史で尊敬される人となり、一人は狂人に近い人として扱われる。それは、本性ではなく、環境と自らの努力が二人を分けたからである。結局、人間の本性ではなく人間の個性こそが、人となりを決めるのであり、歴史でどのような評価を受けるのかを決める要素となるのである。

人類の文明は、人間の本性に内在する利己心から始まる。ところが、こうした利己心を管理できなければ、文明は保たれない。東洋の倫理と西洋の律法は、人間の本性の利己心を管理しようとして始まったものである。西洋の文明は、法律と倫理は神が人間に与えたものである、というところから始まる。モーセの十戒もイエスの隣人愛の倫理も、いずれも神から出たものである。東洋では、法と倫理は人間の本性から生まれたものと説明する。人間の本性をそのまま放っておけば、人間の社会で争いと競争は避けられない。利己心は人間の本性のなかで最も強力である。そして利己心は人間の社会の原動力である。だから、法と倫理をつくって人間の社会を管理しよう、という考えである。ここで重要なのは、法は神ではなく人間がつくるものだから結局は問題を起こしやすい、それゆえ法律よりも上位にある概念である倫理を、法律よりも重要な概念としよう、というのが東洋の文明だという点である。『道徳経』と『論語』の中心的な概念は倫理である。東洋と西洋の文明を比べるなら、東洋には、神が表す律法よりも、道が表す倫理を重んじようという考えが宿っている。倫理は、神の命令ではなく、人間の本性を管理しようとして、人間の社会で自己保存の原則によって定められたものである。

孟子と荀子の性善説と性悪説を見ていくと、我々は、彼らの人間の本性についての議論の終着駅が人間の個性の教育にあることがわかる。孟子の性善説と荀子の性悪説は、社会契約論をつくるためのものではなく、倫理の教育に力を注いでいる。孟子の著書も荀子の著書も、人間の本性はこうだと規定することに力を注いだのではなく、そうした本性を持っている人間を、どのように教育を通じてよい人間の個性を持つようにできるか、という点に力を注いでいる。この面で、孟子も荀子も師の孔子に似ている。孔子は人間の本性について論じないまま、人間の個性の養育に力を注いでいるからである。

彼らは、仁義礼智を人間が備えるべき個性の目的として示すことに力を注ぐ。この点は、西洋が啓蒙の時代を経て人間の本性について考えるなかでつくり出した哲学と似ている。とりわけベンジャミン・フランクリンの哲学と同じである。フランクリンは、西洋の形而上学を検討するうちに、形而上学の議論には大きな意味はないという結論に至る。そして、人生を生きるうえで重要なのは、人間が常に重んじてきた人と人とのあいだの関係、すなわち他人への配慮、誠実、勤勉、正直などである、と書いている。

この意味で、東洋の人間の本性についての議論は、形而上学を離れて、実体的な「人間の個性」の面にすでに迫っていたと見ることができる。重要なのは、人間の個性は本性と精神の合意によって形づくられるという点である。すなわち、本性に精神が働きかけてつくり出すものが個性である、と見た点である。この点から見れば、孟子の先験的な倫理観は、本能のなかにある利他心を教えているものと見ることができる。この点で、孟子の先験性は本能に頼っているという重要な意味を持つ。しかし、孟子が本能のなかの強力な利己心の代わりに微弱な利他心だけを重んじているのは、人間の究極的な個性の形成のための、彼なりの努力なのかもしれない。しかし、強力な利己心を無視した点は、荀子の性悪説から非難を受けることになる。そして荀子は、強力な利己心にすべてを集中するあまり微弱な利他心を無視した点で、孟子に従う人々から非難を受けうる。利他心もまた本能の一部なのだから、すべての倫理は生まれた後に生じるという荀子の考えには、先験性を十分に考慮しきれていない部分がある。しかし、孟子も荀子も、その考えは本能と精神の相補的な役割によって個性をつくろうという点にある、ということに注目しなければならない。西洋の人間本性論が結局は社会契約論や法律と制度へと発展したとすれば、東洋の人性論は結局は人間の個性論、すなわち政治倫理と政治経済へと発展したと見ることができる。

法律と倫理は、結局、人間の本性から生まれる。先に見た荀子の人間の本性についての哲学が、それをよく表している。「人の性に従い、人の情に順えば、必ず争奪に出で……暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有らんとす」。「凡そ性とは、天の就せるなり。学ぶべからず、事とすべからず。礼義とは、聖人の生ずる所なり」。323

本性論と養育論のあいだの関係を東洋式に解きほぐせば、西洋があれほど悩んでいる「決定論と自由意志」の問題はなくなる。神の文明では、神が人間を創造し、人間の営みを見守っていると信じるので、「決定論と自由意志」のあいだの難しい問題を自ら導き出した。人間の本性は決定論にあたる部分である。養育論は自由意志にあたる部分である。結局、人間は本性と養育の両方を必要とする。本性は、どのみち持って生まれたのだから、どうしようもない。しかし、そうした本性を社会生活で役立つように使わせるのは、養育の役割である。西洋の神の文明に内在する闘争論では、決定論と自由意志の問題は解きにくい。神がすべてを決めるという考えに従えば、それは決定論を支持する。しかし人間の精神の役割を強調すれば、それは自由意志論を支持する。二つのうち一つを選ぼうという立場から生じる難しさである。しかし、東洋の道の文明に内在する調和論に従えば、問題はたやすく解ける。決定論と自由意志の両方が必要だと考えれば、この問題はなくなる。古い脳は決定論であり、新しい脳は自由意志である。したがって、この二つを同時に考えてこそ、人間の本性の宿題が解ける。ただし一つの条件がある。それは、新しい脳は古い脳の枠のなかで自由だということである。すなわち、「宿命のなかの自由」という概念が成り立つのである。

東洋の文明がなぜあれほど教育を重んじるのかという問題も、たやすく解ける。自らの努力と教育は、人間が生まれて無条件になさねばならない、絶体絶命の課題となる。だから道の文明では、神の文明よりも、教育がほぼ二千年早く行われた。紀元前4世紀、孟子の母が息子の教育のために三度も苦労して引っ越し、教育に力を尽くした話(孟母三遷)は、すべての親が知っている話である。

中世の千年にわたる神本主義の時代には、すべては聖書に書いてあり、それをよく行えば天国へ行くことが最大の目的であった。聖書のほかに学ぶ必要はなかった。中世の千年を支配した教育は、スコラ哲学、すなわち聖書の学びであった。知恵についての教育ではなく、知識についてのものであった。ほぼ千年のあいだ、西洋では宗教と神についての書物だけが刊行された。宗教を離れた書物がはじめて刊行されたのは、14世紀のルネサンスのときである。したがって、個性の養育への関心には、東洋と西洋で二千年の差がある。西洋で、個性の養育を中心とした国民教育への関心は、ロックやルソーなどの影響によって、18世紀から19世紀にかけて本格的に始まる。紀元前6世紀の孔子の『論語』は、その全体が個性の養育についての書物である。指導者(君子)をつくることに力を注いでいる。孟子と荀子の性善説と性悪説は、個性の養育のための序文のようなものである。彼らの人性論は、いずれも、個性の養育によって指導者をつくることに力を注ぐための入門書のような役割を果たしたにすぎない。

東洋の文明では、性善説と性悪説は、人間の本性は利己心と利他心の両方を持っているという「性有善悪説」として、人々の心のなかで整理される。しかし西洋の文明では、別の道筋をたどる。ホッブズの性悪説は彼の社会契約論の核心なのだから、調和させたり修正したりすることができない。王政を支持するためのものなのだから、王政が崩れるとともに、彼の性悪説は支持の基盤を失う。ロックの自由な政府の論もまた、白紙説を基礎としたものである。指導者も参加者も、教育によって自由意志を確かめることができてはじめて保たれる理論である。先験的な自由意志が存在しなければ、成り立たない主張となる。ルソーの性善説は、王政ではなく人民主権を唱える理論となる。しかし、彼が唱えた「一般意志」(General Will)が成り立たなければ、彼の社会契約論も性善説も崩れる。とりわけ、私有財産を認めない考えを性善説と結びつけた点で、彼の性善説は、国民主権を利用して全体主義と結びつく余地を残した。西洋でイデオロギーの時代に、西洋の指導者たちが積極的に利用した考えである。

重要なのは、西洋の思想家のなかで、とりわけ人間の本性を論じた人々のなかで、誰一人として人間の個性の養育という目標に力を注いだ人がいなかったということである。ロックもそうであり、ルソーもそうであり、彼らは倫理の養育ではなく、自らが唱えた自由意志や一般意志を主張するための教育を望んだ。繰り返しになるが、東洋の思想家たちは、人間の本性についての意見は違っても、結局は倫理を中心とした人間の個性の養育を目標とするという点では、孔子、孟子、荀子のいずれもが同じ意見であった。

東洋の文明が追い求める人間の個性の次元から見れば、西洋がいまなお悩んでいる本性と養育の問題も消える。本性(nature)と養育(nurture)のどちらが重要なのか、多くの議論がある。東洋の人間本性論に従えば、本性と養育についての我々の考えを整理することができる。人間は誰もが、強力な利己心と弱い利他心を持って生まれる。強力な利己心のために、誰もが富と権力を望む。自分の利益を守ろうとする自己保存の本能である。どれほど努力しても、次の世代の人々は同じように、強力な利己心と微弱な利他心を持って生まれる。そして、我々がどれほど努力しても、社会が利他心で動くような社会をつくることはできない。これが人間の本性である。

では、養育はどのように働くのか。養育は、人間の本性の可能性の範囲内で働く。努力を通じて利他心を育て、利己心を抑える方法を学び身につけることが、養育のなすべきことである。人間は、強力な利己心と微弱な利他心を持っている。利他心を活かして、自分の利益が長く保たれるようにしなければならない。利己心は、啓発された利己心とならなければならない。ここに養育の役割がある。本性は、医学的に見れば古い脳である。養育は新しい脳である。この二つはつながっている。医学的に「大脳化」と呼ばれる現象である。つながっているということは、本性と養育は相補的に働くという意味である。本性と養育の相補的な努力によって、利己心が貪欲へと限りなく膨らむのを防がなければならない。そのためには、利他心に目覚めなければならない。そうしてこそ、よい人間の個性が育つ。利他心に目覚めた利己心は、啓発された利己心となる。指導者に欠かせない要件である。

白紙説を除くなら、人間はみな一つの人間の本性を持って生まれる。強力な利己心と弱い利他心が、人間の本性に内在している。それをどう調整するかによって、君子と小人に分かれる。人間の社会には、君子と小人という二種類の人間のグループが形づくられている。「一つの人間の本性と二つの人間のグループ」、これが東洋と西洋の社会の構成において共通する要素である。東洋は君子と小人に分ける。誰もが君子になることができ、誰もが小人になることができる。その二つは仲間である。一方のグループがなければ、もう一方のグループもなくなる。調和論が二つのグループを結びつけるのである。

西洋もまた、人間を二つのグループに分ける。しかし、二つの人間のグループは、生まれた後の個性の養育によって決まるのではなく、生まれたときにすでに決まっている。類型学的な区分である。宗教、人種、地域で分けるのである。道の文明と神の文明の違いである。ギリシアの時代には、魂を持つギリシア人と、魂のない「野蛮人」に分けた。野蛮人は動物と同じであり、奴隷とすべきだと主張した。キリスト教のもとでは、有神論者(救われた者)と無神論者(見捨てられた者)に分かれる。教皇庁も、無神論者は奴隷にしてよいという勅令を出した。精神の時代には、「精神」を持つ西洋人と、精神を持たない非西洋人に分けた。そしてイデオロギーの時代には、イデオロギーの教義を信じる者と反対する者に分けるようになった。イデオロギーの教義に反対する者は取り除かれなければならない。まともに扱われるには、ギリシアに生まれて魂を持つか、西洋に生まれて精神を持たなければならない。だから西洋の二つのグループの区分は、多分に、生まれた場所によって、また親が誰かによって変わる。すなわち、生まれと信念による区分である。二つのグループは闘争的な関係を形づくる。一方が他方を容認しないのである。

東洋は、類型学的にではなく、関係的に人間を区分する。誰の子孫か、どの家か、君臣や父子の関係などの区分である。しかし哲学の次元では、こうした実生活上の区分を認めない。君子と小人の区分である。君子と小人は、どの人文社会にもいる。どういうタイプの人間かを区分する以前の人間像にもとづいている。西洋にも君子(指導者)と小人(参加者)はいる。しかし西洋の闘争的な区分では、魂、精神、イデオロギーを持っているか持っていないかによって、人間が分かれる。持たない者は人間の座から外される。こうした区分では、養育論の出る幕はない。見知らぬ場所に生まれれば、どれほど養育をよくしても、西洋が唱える、生まれながらに持っていない魂や精神やイデオロギーが生じるはずがない。しかし東洋の君子と小人の区分は、徹底して養育によって決まる。どの社会にも、指導者と参加者は常にいるものである。強力な利己心と弱い利他心を持って生まれた人間が、ある教育と悟りによって利己心と利他心を調整して君子の道を行く人もいれば、利己心が貪欲となった小人のままの人もいる。すべて養育論が決めるのである。

東洋の文明は、二千年以上前に人間の本性(nature)についての議論を整理して、養育(nurture)へと進んだ。人間は誰もが、自分の利益を得るために努力する人間の本性を持って生まれる、と見たのである。そして人間の本性を越えて、人間の個性(人性、品性、性格、人格、人間の個性)についての議論と哲学に力を注いだ。西洋は人間の本性とは何かに力を注いでおり、東洋は人間の個性を育てることに力を注いでいる。個性はいつ形づくられるのか。この個性は、本性にすでに組み込まれた信号によって異なってくるのか。それとも養育によって異なってくるのか。本性と養育は別々に働くのか、それとも相互作用のもとで個性をつくっていくのか。道の文明では、本性と養育が相互作用のもとで人間の個性をつくっていく、という哲学を打ち立てた。

西洋の文明は、人性論において、白紙説と本性論という哲学の問題として残っている。一方、東洋の文明はこうした次元を離れて、人間の本性と人間の個性の養育の哲学にもとづいて、倫理観と政治学をつくり出していた。人間の個性、とりわけ倫理を重んじる人間の個性に力を注いだ。自分の利益のために努力する人間たちに、社会生活に見合う人間の個性を持たせよう、というのが目標であった。

西洋で人間の個性について議論したのは、比較的最近のことである。中世の千年は、キリスト教の思想によって、個性を養い育てる必要をまったく感じなかった時代であった。人間の教育の重要性について考えたのは、ロックの白紙説やルソーの教育についての理論の影響を受けてのことである。三、四百年前のことである。東洋の文明は、二千年にわたって教育の重要性に力を注いだ。それは、本性を認めながらも、人間がどう育つかという人間の個性の形成は養育(nurture)の力である、と見たからである。近世初期の西洋の思想家たちは、イエズス会の神父たちが伝える東洋の知らせに触れることができた。彼らは、東洋ではすべての人が教育に打ち込み、教育の成果の度合いによって官吏を選ぶ科挙の制度があることに、驚きと羨望を表した。当時の西洋では、すべての官職が売官の制度によって売り買いされる形であった。

東洋の現実の管理 vs 西洋の理想の追求

意味を追い求める西洋の人間は、人間全体のためのビジョンを追う。宗教の伝播とイデオロギーの追求が、その代表的な例である。一見、偉大で壮大な面を含んでいる。しかし、あらゆる布教とイデオロギーの伝播がそうであるように、現実性がないという点に根源的な問題がある。とりわけイデオロギーで追い求めるビジョンは、いずれも人間の本性を歪めて組み立てられた。魂や精神を人間の本質として扱う人性論に問題がある。

西洋が追い求める意味は、結局、個人主義という哲学にもとづいている。個人と神、個人とイデオロギーの関係が、ほかの人との関係よりも重要になる。意味を追い求める東洋の人間は、不顕論(ふけんろん)と関係主義に立脚している。「道は窮まり無し」、「吾が生や涯有りて、知や涯無し」、「道は其れ行われざるかな」、「仁に当たりては、師にも譲らず」という道家と儒家の告白が、それを教えている。倫理の面で意味を見いだそうとする人間は、ビジョンの追求ではなく、絶え間ない努力によって人間関係の調和を追い求める。東洋の意味は、関係主義という哲学にもとづいている。関係主義は変化論に立脚している。人間が生きていく条件は、時期と状況によって絶え間なく変化していくのである。

西洋の文明は、幸福を追い求める「個人主義」を伸ばすための法律と制度に力を注いでいる。幸福は個人主義的なものだからである。東洋では、人間どうしの「関係主義」に立脚した倫理が文明の核をなしている。倫理は、人間の本性に内在する利己心への戒めから来る。利己心から自然に表れる貪欲に対して、関係主義の倫理を体得し、社会生活のなかで人間どうしの調和をなそうというのである。東洋の道家は聖人を目標とする。儒家は君子を目標とする。聖人も君子も、いずれも「指導者」という目標に帰着する。関係主義的な表現である。西洋では、スピノザら西洋の不顕論者たちは「賢者」を目標とした。個人主義的な表現である。

西洋の哲学の中心である示顕論(じけんろん)は、個人主義の核心的な価値を代弁している。真理(神、形而上学的真理、イデオロギーなど)が私にとって最も重要であり、私と真理の関係は、私とほかのどんな人間との関係よりも重要になる。私と他人の関係は私と真理の関係に従属し、宗教やイデオロギーによって他人を判断するようになるからである。これにもとづいて、個人主義では、個人の自律と自由が最優先に重んじられる。自分がつかんだ真理を追い求め、多くの同調者をつくることが、西洋の人々の生活のパターンとなる。

東洋の文明の核心は不顕論である。不顕論とは、「真理はあるが、人間はそれを言い表すことができない」というものである。西洋ではヘラクレイトスらが唱えたが、ソクラテス以後の西洋の哲学で壊されて、もはや存在しない概念となってしまった。不顕論は、道家、儒家、仏教の底流をなす思考である。それをよく表しているのが、『道徳経』の最初の句、「道の道とすべきは、常の道に非ず」(道可道非常道、言い表された道は永遠の道ではない)である。不顕論の文明の思考によれば、人間が発見したという「真理」は、人間と人間の関係の核心である倫理、すなわち仁を越えることはできない。自分が発見した「真理」を他人に強いることもできない。この哲学が、人間に与えられた関係主義の核心である。

変わっていく人間の個性を養い育てるために東洋の文明で成り立った思想が、儒家の君子の思想と道家の無為(むい)の思想である。これらは、理想の実現ではなく、人間の本性という現実を管理しようという哲学を核心としている。荀子は、人間が生まれ持つ問題のある天性はどうしようもないと見る。自然の一部として受け入れるのである。しかし、人間の本性に問題があるのだから、生まれた後に倫理と法によってそれをよく治め、社会の役に立つように人間の個性をつくろうという点に力を注ぐ。「宿命のなかの自由」という哲学に通じている。結局、荀子の目的は、人間の天性に問題があるから天性を変えよう、なくそう、あるいは越えようというのではなく、倫理と法を通じて人間の個性を「養育」しようというものである。倫理と法が人間の社会に必要な理由である。彼は、倫理と法は天から降ってくるものではなく、人間の社会をよく観察した君子と聖人がつくったものである、と定義した。先験性や超越性を否定しているのである。

こうした東洋の文明は、現実への参加に力を注ぐことになる。君子の思想と無為の思想である。変化する人間の個性を養い育てて、人間の社会を管理することに力を注ぐ。すなわち、我々が生まれ持った人性論のもとで、人間が社会にどう適応できるのかについての哲学である。政治倫理(ethico-politics)と政治経済(political economy)に力を注ぐことになる。西洋の文明が神学、形而上学、イデオロギーに力を注いでいるのとは対照的である。西洋の人性論はいずれも、人間の社会の管理ではなく、理想郷の実現を目標としている。

孟子は人間を主に精神、すなわち新しい脳の面から捉え、荀子は逆に人間を主に本能、すなわち古い脳の面から捉えたことがわかる。だからといって、孟子が人間の感情や本能を無視したり罪悪視したりしたわけではなく、同じように、荀子が道徳や社会規範を人間の本能を縛るものとして度外視したわけでもない。孟子も荀子も、本能と精神の存在と必要性を認めていた。目的は一つである。孟子も荀子も、「人間の個性の養育」に重点を置いている。荀子は、人間の本性は正しさを知り、それについての分別力を持っているが、優れた師とよい友に出会って自己修養をしなければならないという重要性を強調する。

夫れ人は性質美にして心弁知なりと雖も、必ず将に賢師を求めて之に事え、良友を択びて之を友とせんとす。(『荀子』性悪)

西洋では、スピノザが荀子に最も近い人間の本性と自然観を表明している。荀子の人間本性論は、スピノザの人間本性論と似ている。スピノザは、生まれ持った本能に従って自分の利益を追う人間の本性を、人間の束縛(human bondage)と表現した。人間のなかには、こうした本能とともに精神があり、精神には本能をつかさどる能力があると考えた。ところが、それを成し遂げるのはごく少数の人だけだと考えた。スピノザは彼らを自由人(free man)と呼び、束縛のなかで生きる残りの大多数の人々を大衆(multitude)と呼んだ。スピノザが人間を「自由人と大衆」に区分したことは、荀子が人間を「君子と小人」に区分したことにとてもよく似ている。しかしスピノザでは、荀子とは違って、政治倫理の重心が個人の自由にある。荀子では、それは社会の指導者にある。スピノザの倫理学は、自由人を目的とする。しかし荀子は、人間をどのようにして倫理を守り、政治的に有能な指導者にするか、という点に目的がある。

荀子とスピノザは、自然観においても同じ立場を取る。「道、神は人間の営みに干渉しない」。「人間は自分のために道、神の道筋に従わなければならない」。「道、神の道筋は人間の本性に表れる」。「道、神を愛する人は、道、神が自分を愛してくれることを期待することはできない」。「人が自然の一部であることは否定できない」。「人を含め、宇宙のすべてのものは、道、神の力によって存在する」。こうした表現は、荀子では「天論」篇に、スピノザでは『エチカ』(Ethics)に見いだすことができる。ただ、荀子は道を、スピノザは神を中心に表現したのである。

孟子と荀子の人間の個性の養育は、すでに孔子においてそのまま表されている。孔子の『大学』は、第8章で修身斉家、第9章で治国、第10章で平天下に至る道を説明している。その意味は、自らを修め、家を整え、国を治め、天下を平らかにするという「修身斉家治国平天下」として広く知られている。君子の目的は正しい政治にある。そのために、人間の個性を指導者へと養い育てることに力を注いでいるのである。

材性知能は、君子・小人一なり。栄を好み辱を悪み、利を好み害を悪むは、是れ君子・小人の同じき所なり。其の之を求むる所以の道の若きは則ち異なる。(『荀子』栄辱)

孟子も荀子も、孔子とともに、指導者を育てなければならないという儒家に特有の政治的な面が強い。荀子は、政治倫理的な行いを強調している。

之を聞かざるは之を聞くに若かず、之を聞くは之を見るに若かず、之を見るは之を知るに若かず、之を知るは之を行うに若かず。学は之を行うに至りて止む。(『荀子』儒效)

ここで荀子は、次の問いを投げかける。人間をみな聖人にすることはできるのか。皆がそう望めば、そうなることができる。しかし、そう望むように強いることはできない、という点に問題がある。結局、個人の選択が重要なのである。

聖は積みて致すべし。然れども皆積むべからざるは何ぞや。曰く、以てすべくして使むべからざればなり。故に小人は以て君子と為るべくして、君子と為るを肯んぜず。君子は以て小人と為るべくして、小人と為るを肯んぜず……然らば則ち為すべきも、未だ必ずしも能くせざるなり。(『荀子』性悪)

ここに、東洋と西洋の文明の違いがある。「神への信仰」vs「人間の個性の養育」の違いである。神の文明では、定められた律法を信じると宣言すれば信者となる。信者となれば、律法によって「外から」信者が管理される。道の文明では、君子は外から定められるのではなく、「内から」定まる。自分が君子なのか小人なのかを、自ら決めるのである。

君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。(『論語』衛霊公15:20)

こうした孔子の考えは、荀子に至ってより明確に説明される。君子には、平天下という指導者としての目的がある。君子はこうした目的に従って動く。小人にはこうした倫理的な目的がなく、個人の欲に従うことになる。

君子は物を役し、小人は物に役せらる。(『荀子』修身2:5)

儒家の君子の思想は、道家の無為の思想と軌を一にしている。外への行いを最小にするのが無為の法則である。律法では、外からの説得とそれを受け入れることが重要である。だからキリスト教は改宗を認める。定められた律法に従いさえすればよいのだから、旧教徒が新教徒になることもあれば、その逆もある。しかし道の文明では、君子と小人は、改宗したからといって互いの位置を入れ替えることはできない。歴史的に見れば、改宗は多くの場合、強制によってなされる。ユダヤ教徒がキリスト教徒になるか、さもなければ全財産を没収するという勅令などがそれである。しかし、荀子が説明したように、君子と小人は強制によってそうなることはできない。本人が望み、行いとして表れてはじめて、それが可能になるのである。

『論語』もこれについて述べている。「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む」。「君子は能無きを病う。人の己を知らざるを病えず」。「君子は道を憂えて、貧しきを憂えず」。直接その人を評価するのが難しければ、その人の周りにいる人を見ればよい。荀子は、その書の「性悪」篇で、周りの人を見よと言う。「其の子を知らざれば其の友を視よ、其の君を知らざれば其の左右を視よ」。

4) 人間の本性の目的:人生の意味の追求 vs 個人の幸福の追求

西洋の社会契約論も、東洋の人間の個性の涵養も、いずれも人間の社会を管理しようという点に目的がある。これは、人間の本性がどのように成り立ち、それをどのように活かすのかという問題に直結している。人間の本性に照らして見るとき、東洋と西洋の文明において、人間は何を望み、何を追い求めるのか。東洋と西洋の人性論は、その出発点に違いがある。変化論と存在論である。それによって、東洋と西洋の文明で人間が追い求める目的が異なってくる。我々は、精神ではなく人間の本性、すなわち本能と理性からなる人間が何を追い求めるのかを、実質的に探究する必要がある。

啓示宗教は、神の意志が人間の精神よりも上位にあるという前提の上に成り立つ。ところが西洋の合理論は、神が人間に与えた精神が神と同じ能力を示しうる、という方向へと進む。東洋は、精神と本能は結びついているという人性論を、その文明の基礎としている。こうした人性論において、東洋は人間どうしのあいだに意味を見いだすことを目的とする。天国や幸福を追い求める個人主義(Individualism)とは違って、関係主義(Relationalism)は人生の意味を追い求める。人生の意味は、私とほかの人との関係を核心とし、倫理に立脚する。「己立たんと欲して人を立つ」。人生の意味を追い求める東洋の生き方は、西洋の示顕論に立脚した理想郷の世界を実現しようとするビジョンとは違いがある。理想郷を追い求めようとする努力は、偉大な実を結ぶこともあるが、たやすく倫理を無視した人間中心主義に陥ってしまう。

西洋の大航海時代は、人間の精神の偉大さを広げたいと望む。精神崇拝の文明にいっそう確信を深めた西洋は、理想の世界を夢見るようになる。科学の驚くべき発展に助けられ、人間が理想の世界を用意できるという情熱に包まれる。人間は理想を追い求めるために生まれ、そのために存在するという壮大な哲学体系が成り立つ。この時期に、近代の西洋は人間の歴史でまれに見る発展を遂げた。抑制と均衡の理論の成立による平和的な政権交代の実現をはじめ、芸術、音楽、体育、科学のあらゆる面で、人類に驚くべき発展をもたらした。西洋の世界征服とともに、西洋の精神の偉大さを力説する哲学体系が成り立ち、大多数の西洋の人々が同調するようになった。西洋を中心にそれを世界に広げようという考えが沸き立った。西洋の人々のための、世界のための理想の世界を夢見るようになったのである。

精神が主導する理想郷を人間の社会で実践できるという考えは、不可能な夢である。本能が発光体、精神は反射体なのだから、本能を無視する理想郷は、人間の社会では成り立ちえない。東洋の変化論によれば、人間の社会では、しばし理想郷にしがみつく時期と、それを取り除く破壊の時期とが交代するだけである。歴史的に見れば、人間が理想郷を建設しようという考えは、「社会進化論」と結びつきながらイデオロギーの時代を開くことになる。こうして西洋のイデオロギーは、20世紀に倫理的に惨憺たる状況をつくり出すさまざまな理念を創り出し、人類はそこにすべてを投げ出して飛びかかることになる。その惨憺たる結果を目の当たりにした西洋の哲学は、社会進化論の虚構を知り、人間の精神の限界も次第に知るようになる。

西洋の文明は、これからどこへ行くのか。人間の精神は、神あるいは自然の法則のもとに存在するということを受け入れればよい。問題は、西洋がふたたび啓示宗教の神のもとへ帰ることもできない、という点にある。奇跡を行い、人間の営みをつかさどる神についての問題は、啓蒙の時代に整理されたからである。とすれば、人間の営みをつかさどらない神は、スピノザが提案したやり方どおり、神と自然を同一視すれば解決できる。こうしたやり方は、結局、東洋の文明が依拠する道の自然哲学を受け入れる方法となる。しかし自然哲学は、西洋の文明を数千年にわたって支配してきた基調である精神崇拝の思想と核心的な違いがあるので、これも容易ではない。ここにこそ、西洋の文明が進むべき道を見いだせずにいる根本的な問題が表れている。

啓蒙の時代以後の西洋では、精神が神に取って代わるなかで、倫理の根本を探す哲学に力が注がれる。理神論の体系のなかで、カントは、人性の内部に倫理を探し求める本性が存在するという哲学を掲げる。こうしたカントの「精神」による倫理の義務論は、啓示宗教で神が命じた「律法」による倫理の義務論よりも、説得力がはるかに弱い。そのため、倫理の義務が弱まった西洋の人々は、「人間はなぜ生きなければならないのか」という問題を考えるようになる。

ここで西洋の人々が力を注いでいるのが、幸福論である。精神による「義務論」よりも、人生の「幸福論」にいっそう力を注ぐ傾向を見せるようになる。ベンサムは、人性は結局幸福を求めるのだから、幸福を求めるところから倫理という目的が生まれると考えた。324 西洋には、人生の目的を幸福の追求に見いだす長い伝統がある。タレス、ソクラテスからエピクロスを経て、近世のベンサムの功利主義的な倫理論へと続く。タレスは「最も幸福な人とは、健やかな体、豊かな精神、よく馴らされた性格を持つ人である」と、幸福の重要性を強調した。ソクラテスは、知識は幸福をもたらすと信じた。「人間の過ちは無知から来る。知識は徳である。徳は幸福である」。

西洋の文明は、「各自の幸福」を追い求める個人主義に立脚している。東洋では、まれに個人主義を唱えた人がいる。戦国時代の百家争鳴のひとつである楊朱(ようしゅ)の思想が、西洋の個人主義ととてもよく似ている。すべての行いを自分のためにすることに重点を置き、社会の道徳には無関心であった。自分のためだけにしようという為我(いが)主義と、人間の本性を自然のままに守ろうという全性保真主義が、楊朱の思想の核心である。楊朱とは反対の墨子の思想も、戦国時代に勢力をふるった。墨子は兼愛と非攻を唱えた。他人を愛することに重点を置き、いかなる場合にも攻撃をしてはならないという主張を展開した。絶え間なく戦争が繰り広げられた戦国時代に、墨子の思想は流行した。しかし楊朱と墨子の思想は、いずれも一家言はあるものの、両極に偏った思想である。

孔子の儒家の思想は、楊朱のように自分に重点を置くことと、墨子のように他人に重点を置くことを、ともに包み込む関係主義を唱えた。自分と他人を結びつけようという主張である。孔子の思想の関係主義は、他人が幸福でなければ、自分ひとりでも幸福になれないという概念である。結局、孔子の思想が儒家の思想として東洋の思考の中心となった。東洋の文明では、「我々」という関係主義を重んじるので、人間と絶対者の関係ではなく、人と人とのあいだの関係を重んじる。

未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。(『論語』先進11:12)

儒家で最高の倫理とされる仁こそが、人間と人間の関係を中心とする関係主義を目指している。宗教や形而上学が唱える「真理」ではなく、人間と人間の関係を最高の価値とする、「他人も生き、自分も生きよう」という関係主義が中心なのである。

夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。(『論語』雍也6:30)

関係主義では、幸福というものも一人で幸福になることはできず、ほかの人とともに幸福という感情、すなわちポジティブ心理学を味わおう、というのである。だから、東洋と西洋の文明の比較において、西洋の個人主義に対置される東洋の哲学は、集団主義ではなく関係主義と表現することができる。ところが「関係主義」という概念は、西洋の哲学体系では用いられない概念である。したがって、西洋の言葉には、東洋の関係主義を言い表す哲学的な概念はないと見るべきである。西洋では、宗教的な真理、哲学的な真実、イデオロギー的な真理が、私にとって、私とほかの人との関係を超越するという個人主義が重要である。しかし東洋の関係主義は、人と人とのあいだの関係を重んじ、相手への配慮を通じて自分の利益を守るという意味を持つ哲学である。関係主義の哲学的な意味は、「あなたがいなければ私はいない」という簡単な真理に通じている。

西洋の個人主義で感じる幸福は瞬間的である。幸福の感覚は続かない。幸福を探す人は、幸福でなければ不幸だと感じる。枠組みの設定に問題がある。幸福と不幸は、多分にゼロサムゲームである。東洋のように人生の意味を探す人は、ほかの人との関係や学びのなかでそれを測る。関係主義はゼロサムゲームから抜け出している。意味の追求は、持続的で段階的である。程度の差が存在する。幸福の追求はゼロサムなので、幸福でなく不幸だと感じる人は、たやすく麻薬や外に問題の解決法を求めるようになる。意味を探す人は、ほかの人との関係や学びの成果で測ることになるので、内側で意味と成果が測られるのである。

東洋の孟子や荀子の倫理観は、幸福やエピクロスの快楽とは縁が遠い。孟子は、道の文明に生まれた思想家として、人生の目的は幸福や快楽を追い求めることにはないと考えた。東洋の文明の思想家たちは、一つの目標を持っていた。政治倫理を追い求め、「指導者(君子)」をよく選ぼうという点にある。この点は儒家の特徴であり、孔子、孟子、荀子らがみな共有していた目標である。道家では、もともと直接政治に参加することを避け、自然の道を掘り下げることに目的があるが、それでも道家でさえ、人間を聖人と民に分けて、聖人の指導力を説明している。

この点で、儒家の君子と小人の区分と、道家の聖人と民の区分は、いずれも究極的には望ましい「指導者」像を示しているという点で似ている。意味を追い求める東洋の生き方は、関係主義に立脚して、自然およびほかの人との関係のなかに意味を見いだそうとする。個人の幸福ではなく、ともにあろうという倫理を中心とした人本主義に立脚することになる。これは彼我(相手と自分)をともに含むので、利己心の犠牲ではなく、啓発された利己心、すなわち関係主義の表現となる。

西洋は個人的な幸福を、東洋は関係的な意味の追求を、人生の目標とする。仁とは「他人への配慮」、すなわちコンパッショニズム(compassionism)である。倫理は、一人では成し遂げられない「関係的」なものである。幸福が個人主義にもとづくとすれば、仁は、他人との結びつきを必然とする関係主義にもとづく。関係主義は相手への配慮を重んじるが、それは幸福ではなく、人生において「意味のある生」あるいは「価値のある生」(worthiness または worthwhileness)を追い求めることになるからである。隣人が不幸であれば、個人である私ひとりだけが幸福になることはできないからである。

こうした点は、東洋の関係主義が西洋の共同体主義とは異なることを示している。西洋の共同体主義は個人主義に取って代わるという意味で用いられるが、東洋の関係主義は個人主義を包み込んでいるからである。東洋の関係主義が西洋の個人主義を否定しないという次元で、東洋の関係主義は、西洋の個人主義と共同体主義を合わせた哲学であると見ることができる。

西洋の人々の幸福への執着は並外れている。彼らは存在論に立脚して、幸福は断続的に一時的にやって来るのではなく、永遠の幸福が可能であると信じたからである。東洋の変化論によれば、幸福の定義が変わってくる。幸福は重要だが、これも宇宙のあらゆるものと同じように、断続的に人間を訪れ、一時的なものとならざるをえない。だから東洋の思想では、期限つきの「幸福」の重要性をことさら取り上げて扱わなかった。それよりも、人間の営みのなかで、家族、友人、学び、自然に見いだす現実的な人生の「意味」を重んじることになる。

孔子は『論語』雍也篇で、「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(第18章)と説いた。知ること(知)、好むこと(好)、楽しむこと(楽)は、西洋の幸福論とは異なる。孔子の説明は、個人の努力によって悟りに到達する過程を説明したものである。ただ知識を知ることにとどまらず、その対象を好み、さらには楽しむことができてこそ、真の成就と悟りに到達できるという意味である。

ギリシアの哲学者のなかで幸福論を唱えた人としては、エピクロスが有名である。エピクロスの幸福論は快楽である。しかし彼の幸福論は、動的な快楽ではなく、「心の平静」(ataraxia)である。欲望を節制し、友情と信頼を重んじながら、知恵ある生を通じて心の平静をなし、幸福に到達しようと唱えた。幸福に対する西洋の強迫観念は、東洋の文明には存在しない。西洋では、古代のアリストテレスからエピクロスまで、そして近代のジェレミー・ベンサムとジェームズ・ミルへと続く。近代になると、人間と社会の存在理由として幸福論を掲げた。彼らは個人を離れて社会全体の幸福を唱え、幸福の指数を政治的な次元へと発展させた。

自然は人間を、苦痛と快楽という二人の主人の支配のもとに置いた。我々が何をなすべきかを指し示し、何をするかを決めるのは、ただ苦痛と快楽だけである。それらは、一方では正と不正の基準を定め、他方では原因と結果という鎖の行き先を定める。それらは、我々のするすべてのこと、言うすべてのこと、考えるすべてのことにおいて、我々を支配する。我々がその隷属から逃れるためにできるあらゆる努力は、その支配を立証し確認する努力にすぎない。325

ベンサム(1748―1832)は、功利的な理由のために道徳性が生まれると主張した。ベンサムは、目的に従って倫理が生まれると見たのである。功利的な倫理は、「道徳は最大多数の最大幸福」を目的とする。ミル(1806―1873)は、同じ功利主義者でありながら、ベンサムとは違いを見せる。ミルは、ベンサムの「量的快楽主義」という主張に対して「質的快楽主義」を唱える。「満足した豚であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」というのが彼の主張である。

彼らは、正義、勇気、誠実、真実のような徳が、「個人」の幸福(あるいは個人を合わせた功利的な幸福)をもたらすと信じた。仁義礼智のような徳は、東洋でもみな重要である。しかし東洋では、こうした徳は「個人」がひとりで探すものではなく、ほかの人との、あるいは自然と人間の「関係」のなかで追い求めることができると見る。だから東洋は、「個人の幸福」ではなく、「関係の意味を追い求める人間」を模索する。人生の意味とは、人間が自然と調和をなし、友人、家族、学びのなかで相手と調和をなすことを意味する。東洋の人生の意味は、関係的(relationalistic)である。人生において、自然や相手とともにあるという意味を持つことになる。一方、西洋の幸福は個人的(individualistic)である。ひとりで幸福になる。ギリシア人が定義した最善の幸福とは、自分たちが神のように幸福になることである。

幸福は、西洋の人々の人生の目標となっている。東洋にも広がりつつある概念である。真理、金、名誉、愛などを追い求め、それを得れば、そのときには幸福を感じる。しかし幸福は、多分に瞬間的で、とりわけ個人的である。だから東洋では、幸福を人生の目的としない。東洋の人々は、人生をやりがいのあるように、すなわち意味のあるように生きることを望む。私個人ではなく、他人とともにあるという意味を感じようというのである。私自身の幸福ではなく、私にかかわる人々、家族、友人、同僚、そして自然と、私がどのような関係を結び、何をともに成し遂げたのかが重要である。そこに人生のやりがいを感じる。ここで倫理の重要性が強調されるのである。

西洋と東洋の麻薬問題の現状が、幸福の追求の問題をさらけ出している。西洋の人々は、法と取り締まりの違い、そして密輸と供給網の違いに原因を求めようとする。西洋、とりわけアメリカは、麻薬を使う内側が問題の根源なのではなく、外から入ってくる麻薬の「供給」に問題の解決を求めようと努めている。東洋では、法と取り締まりが西洋より弱いからといって、あるいは密輸と供給網が開かれているからといって、西洋のように麻薬問題が大きくなることはない。東洋の人々は、個人の幸福や不幸ではなく、家族、友人、学びのなかに人生の意味を見いだしている。それが足りなければ、家族や人間関係を改善し、学びの成果を高めることに解決策を求める。麻薬でそれを代わりにすることはできない。東洋と西洋を分ける思考体系のなかに、個人主義と関係主義という哲学体系の違いがあるのである。

注

  1. 303

    Isaiah Berlin, Karl Marx、申福龍訳『カール・マルクス』(韓国語)、平民社、1982年、p.284。

    ↩
  2. 304

    Thomas Hobbes, Leviathan (Mobile Reference) 1,307, Kindle Edition:

    「こうした状態では、勤労の入る余地はない。その果実が不確かだからである。したがって、土地の耕作もなく、航海もなく、海から輸入されうる品物の使用もなく、便利な建物もなく、大きな力を要するものを動かしたり移したりする道具もなく、地表についての知識もなく、時間の計算もなく、技芸もなく、文字もなく、社会もない。そして何よりも悪いことに、絶え間ない恐怖と、暴力による死の危険がある。そして人間の生活は、孤独で、貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い」。

    ↩
  3. 305

    John Locke, Works of John Locke: Including Two Treatises of Government, An Essay Concerning Human Understanding and More (2008), 15,037–38, Kindle Edition.

    ↩
  4. 306
  5. 307
  6. 308

    Mancur Olson, Power and Prosperity; Outgrowing Communist and Capitalist Dictatorship, Paper Books, 2000, p7

    ↩
  7. 309

    Mancur Olson, “Dictatorship, Democracy, and Development,” The American Political Science Review 87 (Sept. 1993): 568.

    ↩
  8. 310

    Mancur Olson, Dictatorship, Democracy, and Development, American Political Science Review Vol. 87, No. 3 September 1993

    http://www.svt.ntnu.no/iss/Indra.de.Soysa/POL3503H05/olson.pdf

    ↩
  9. 311

    Mancur Olson, “Dictatorship, Democracy, and Development,” The American Political Science Review 87 (Sept. 1993), pp.574–575

    ↩
  10. 312

    集団主義が西洋の民主主義の市場経済を脅かす内容は、第3章第2節と第3節で説明されている。

    ↩
  11. 313

    西洋のすべての国で、貧富の格差が急激に広がっている。これが続けば、数十年のうちに、西洋の政府はみな借金にあえぐ無気力な政府へと転落することになる。政党とビジネスの癒着は、我々みなが共有している人間の本性にある利己心の助長、すなわち貪欲から来ている。民主主義も、まったく同じ論理に振り回されることになる。政党を勝たせるよう選ぶのは、一般の住民である。しかし住民は、緊縮を求める政党よりも、国債で補助金を出す政党を好む傾向がある。結局、民主主義の理論も、人間の本性によって成功と失敗が決まる。民主主義という制度が当為性を持って人間の社会に君臨するのではなく、自己保存の原則が人間の社会に君臨するのである。こうした状況は、本能は発光体、理性は反射体という人性論のほうが、社会契約論や形而上学的な理想がもとづく人性論よりも現実性が大きいことを示している。

    ↩
  12. 314

    総合主義、混合主義、融合主義、相補主義は、英語ではsyncretismと見ることができる。相補論は、西洋の文明にはなかなか見られないが、東洋の文明では核心的な要素である。宗教にかかわっては、「諸説総合主義」という日常的な訳語が用いられている。しかしこの本では、あらゆるイデオロギーをともに用いることには融合主義、人間の本性において本能と精神を合わせて活かすことには相補論という用語を用いる。

    ↩
  13. 315

    Bertrand Russell, Human Society in Ethics and Politics、金泰吉訳『人間社会秩序論』(韓国語)、博英社、p.9。

    ↩
  14. 316

    Noyes and Kolb, 前掲書, p.14.

    ↩
  15. 317

    Fritjof Capra, The Tao of Physics, 前掲書, p.55.

    ↩
  16. 318

    Carl Sagan, Cosmos, 前掲書, p.216.

    ↩
  17. 319

    Carl Friedrich von Weizsäcker, 前掲書, p.216.

    ↩
  18. 320

    本能は発光体、精神は反射体という東洋の人性論は、西洋の実存主義が見る人性論と似た面もあるが、異なる。似た点と違う点がある。東洋の人性論では、本能の範囲のなかで精神の役割が果たされる。精神の選択を避けることができないという点で、実存主義が人間を「自由の刑に処せられた存在」と見るのと似ている。しかし、本質より実存が重要だという実存主義の哲学において、東洋の人性論とは違いがある。西洋の伝統的な哲学は、人間の本質をまず規定しようとしたが、実存主義は、「実存は本質に先立つ」という命題を強調しながら、人間は生まれながらに定まった本質を持っているのではなく、自らの選択と行動を通じて本質をつくっていく存在であるという人性論を想定している。東洋の人性論との違いである。東洋の人性論は、本質と実存が結びついているので、実存(精神)は本質(本能)という限界のなかで働くということを核心としている。

    ↩
  19. 321

    Noyes and Kolb, 前掲書, p.15.

    ↩
  20. 322

    中国の戦国時代には、西洋の宗教の善悪の概念は、まだ東洋に入ってくる前である。孟子の性善説は、人間の本性が善悪の意味で善であるというのではなく、よい、やさしいという程度が正解である。これに西洋の善悪の概念を持ち込み、善を悪の絶対的な反対概念として分析しはじめると、孟子の考えを読み誤ることになる。荀子の性悪説も同じである。「悪」の字には、「アク」(悪い)と「オ」(憎む)の二つの読み方がある。荀子の人間の本性についての説明である性悪説を、「せいあくせつ」ではなく「せいおせつ」(本性は憎むべきもの)と読もうというのには説得力がある。しかし我々は、荀子の性悪説にあまりにも慣れ親しんでいる。そのため、「性悪(せいお)説」という表現よりも、性悪説という表現をそのまま用いる。

    ↩
  21. 323

    神によって創造された人間は、目的がはっきりしており、「行い」が確かでなければならない。すなわち、有為を重んじる。不顕の道を信じる文明では、無為を重んじる。無為は、字義どおりには「何もしないこと」だが、時にかなった動き、すなわち為無為(無為を為す)を意味する。

    ↩
  22. 324

    倫理の源を探す西洋の努力には、復活論と超人論も含まれる。ドストエフスキーは、神は死んではならないので、ふたたび生まれなければならないという復活論(resurrection)を唱え、ニーチェは、道徳的に人間が啓示宗教の神に取って代わろうという超人論(superman)を唱えた。しかし超人論は、イデオロギーの時代の失敗を経て、ほとんど消滅した。復活論は、伝統的な啓示宗教の影響などによって、生き残りつづけている。

    ↩
  23. 325

    Jeremy Bentham, An Introduction to the Principles of Morals and Legislation (White Dog Publishing, 2010), Kindle edition, locations 236–240.

    ↩