第2部 我々は何者か:心身一体 vs 霊肉闘争 · 第4章

神がいないのに、人間はどうして善くありうるのか

約65分 · 注42件

1) 仁と愛:あらゆる思想を越える倫理

人類が文字を発明したのは、紀元前3000年ごろである。いわゆる「歴史」は、このときから始まる。そしてそれから二千年あまりが過ぎると、人間の社会は各地で驚くべき文明の花を咲かせはじめる。こうした文明が爆発する時期は一度きりである。これが、カール・ヤスパースが名づけた「枢軸時代」である。わずか数百年のあいだに、人類の偉大な師である孔子、老子、ソクラテス、釈迦、そしてイエスが相次いで生まれた時期であり、少し後にはムハンマドも生まれた。彼らは、人間の社会で我々はどう生きるべきかという根源的な問題に力を注いだ。我々はどう生きるべきか、という問題に対して、人類の偉大な師たちはそれぞれ答えを示した。キリスト教の隣人愛(love your neighbor)、儒家の仁(empathy)、仏教の慈悲(compassion)、イスラームの兄弟愛(brotherly love)がそれである。

こうした答えは、よく見れば一つにまとまる。彼らが人類に示したのは、同じ倫理である。表し方には違いがあるが、いずれも「隣人愛」を意味している。

樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す。(『論語』顔淵)

あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ。(レビ記19:18、マタイによる福音書22:39)

なぜ隣人愛なのか。それは人間の本性とかかわっている。人間は誰もが例外なく、「強力な利己心と弱い利他心」を持って生まれる。それを調和させてこそ、人間の社会は保たれる。とすれば、強力な利己心を弱い利他心で包み込まなければならない。その方法が隣人愛である。

人間は、財産への貪欲と名誉への欲望が最も強く、そのために他人より先んじようと競うことになる。一部の卓越した人は利他心を理解し、それを人生に当てはめて指導者(君子)となる。しかし大部分の人間(小人)は、利己心にとらわれて、一生貪欲から抜け出せずに生きる存在となる。指導者も、本性においては小人と違いはない。すなわち、君子にも小人にも当てはまる最も強力な人間の本性は、利己心、すなわち貪欲である。こうした貪欲は、精神によって調整され管理されることもあるが、多くの場合、精神によっていっそう広がり、いっそう強力になる。結局、貪欲の管理が倫理の核心なのである。

貪欲の管理は、精神によってなされる。人間の本性において精神の役割は決定的に重要だが、限られている。精神は、発光体としての自由を享受することはできない。精神は反射体にすぎない。これが、人間の本性において精神に与えられた領域である。もし精神が、本能に内在する行いの領域を抜け出して発光体として行動しようとすれば、人間に致命的な危険をもたらすことになる。精神を働かせて貪欲の追求に正当性を与え、倫理を無視するようになるからである。倫理の重要性は、まさにここにある。精神の逸脱を抑えるのが倫理である。

人間と人間の関係についての東洋と西洋の違いは、東洋の儒家と西洋のキリスト教を通じて比べると、よく表れる。孔子とイエスの教えは、仁、すなわち隣人愛という深い類似性を持っている。しかし、こうした同じ出発点にもかかわらず、結局、西洋では戒律(法治)によって、東洋では倫理によって、人間関係を解きほぐしていこうとした。イエスは孔子のように、人類に共通の倫理、すなわち隣人愛を我々に教えた。儒家で人間どうしの最大の価値とされた仁を、孔子は人を愛することであると説いている。イエスもまた、善きサマリア人のたとえを我々に残した。信仰や民族にかかわりなく隣人を愛せよ、というのである。普遍的な倫理観を残したのである。東洋の文明は、自然の道と、それにもとづく人間の社会の仁という中心思想を固く守ってきた。あらゆる宗教や民族、科学的な思考を越える、普遍的な倫理観である。一方、西洋の文明は、宗教的な教義によって、行い(倫理)と信仰(宗教)のあいだで葛藤と彷徨を繰り返すことになる。キリスト教の影響のもとで、信仰と愛を調和させようとする多くの努力にもかかわらず、現実と歴史のなかで、宗教は行いよりも信仰を重んじてきた。自己保存の原則が働いたのである。

西洋の歴史は、人間が善い行いをするかどうかではなく、キリスト教徒であるかどうかを、どうしても人間を評価する重要な基準としてきたことを示している。西洋は、20世紀半ば以後になってようやく、アリストテレスの民族中心の支配的な倫理観、そして宗教中心の支配的な倫理観から抜け出して、民族や宗教にかかわりない普遍的な倫理観を受け入れようとする状況に至っている。幸いなことである。しかし、長いあいだ実践してきた支配的な倫理観の遺産が、重い荷として残っている。それは西洋の哲学と思想体系の隅々にまで染み込んでいるからである。

多くの西洋の哲学者は、20世紀初めまで、西洋人は生物学的に東洋人より優れているので、西洋は優れた文明を持つようになったと主張してきた。そうであれば、我々はもはや原因を突き止める努力をする必要はない。西洋人が東洋人より生物学的に優れていたので、西洋の文明が東洋の文明より優れたものになったのだと受け入れればよい。しかし、東洋人も西洋人も、進化の段階においてホモ・サピエンスとして同じ遺伝的特性を共有しているのであれば、問題は違ってくる。東洋と西洋の文明の違いは、人種的な違いから来るのではないからである。東洋と西洋の文明の違いは、人間と周りの環境との相互作用によって、言い換えれば、周りの環境すなわち文明の違いから来たものとして受け入れなければならない。

東洋の文明では、宗教なしに倫理そのものが文明の核心となっているので、宗教的な教義のなかに含まれた倫理を強いる必要がない。道家の聖人と民、儒家の君子と小人に分けながら、倫理を政治哲学としている。聖人と君子こそが、倫理の政治の表れである。西洋の文明では、倫理の問題は善悪の問題と結びついている。人間は善悪の実を取って食べたことで、楽園であるエデンの園から追い出される。善悪の実を食べる前の人間は、エデンの園の楽園で働かずに暮らしていたという。ほかの動物とともに。しかし、善悪の実を食べたことで楽園から追放される。

精神があるために、人間はほかの動物とは違って、自らの貪欲を果てしなく追い求める罠に陥る。宗教に出てくるように、人間は善悪の実、すなわち精神を持つようになって、貪欲の追求のために、ほかの動物とは違って働きつづけなければならない。善悪の実を食べたことで人間は精神に目覚め、精神があることで善悪を見分けるようになる。しかし、精神が善悪を自由自在に見分け、思いどおりにできると考えて行動するようになれば、多くの場合、神との約束を破る決定をすることになる。精神の限界と、そこに隠された罠である。本能に潜む貪欲を、精神は善い方へ導くこともできるが、悪い方へ導いていくこともできる。ここに、善悪の実にかかわる人間への警告がある。この警告は、倫理の必要性である。すなわち、十戒の存在理由である。

しかし歴史は、多くの場合、倫理の面でその教えがそのまま行われているところを見せてはくれない。状況によって、隣人愛を壊すドグマがつくられる。しかし、こうしたドグマは、人間がつくり出した、時代的・空間的に限られた価値を持つにすぎない。宗教には、信仰に包まれたドグマがある。儒家にも、厳格な祖先崇拝のやり方などのドグマがある。仏教には、初期の教えとは無関係な地獄と極楽というドグマなどが持ち込まれている。しかし、ドグマで隣人愛を覆い隠すことはできない。だからこそ、隣人愛がいっそう必要なのである。

したがって、ただ意見が違い、教条や教義が違うというだけで、正直で義しい人を迫害する者こそが反キリスト(ante-Christ)である、と結論づけざるをえない。326

モーセの十戒は、ユダヤ人が国を建てて興隆するとき、すなわち正義を主張できるときにつくられたものであった。信仰だけを主張して生存の助けとすることができた環境によるのである。しかし、イエスが生きた時代、ユダヤ人は正義を主張できる立場にはなかった。ユダヤ民族はローマに征服されていたのである。また当時の地中海地域にはヘレニズムの思想が広まっていたので、ユダヤ教もまた、視野をユダヤ民族から全世界の人々へと広げる必要があった。キリスト教誕生の原因である。

イエスの時代には、ヘレニズムが時代の思潮となる。ヘレニズムとは、ギリシアの思想が地中海世界に広まったものである。アレクサンドロス大王のエジプト、ペルシア、インド遠征の後に成り立つ。アレクサンドロスの死後、彼の将軍たちが地中海、ペルシア、エジプト、インドの一部にいくつもの国を建てるなかで、ギリシアの文明が征服した地方の文明を吸収して生まれたのがヘレニズムである。ヘレニズムは、地政学的に世界主義の性格が強まり、ソクラテス、プラトン、アリストテレスに代表される絶対的な真理を追い求める示顕論(じけんろん)が広まっていた時期と時を同じくしている。

キリスト教もまた、神がいまやユダヤ教の部族主義的な性格を抜け出して、世界主義へと広がっていかなければならない時点で生まれた。こうした状況では、モーセの律法のように「目には目を、歯には歯を」という正義を主張することはできなかった。それよりも、「敵を愛せよ」、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」、「上着を取ろうとする者には下着まで脱いで与えよ」という新しい倫理が出てこざるをえなかった。イエスは律法の相対性を見抜き、それを越えるように語っていたと見ることができる。「イエスは、国を保ち法を立てるために遣わされたのではなく、ただ一つの普遍的な法を教えるために遣わされた」。327 旧約聖書には、神の戒律として、安息日に働く者は殺されることになっている。しかしイエスは、安息日は人のためにあるのだということを明らかにした。イエスの価値は、部族国家の維持を目的としてユダヤ教の正義を主張する流れと、力が正義として通るローマの全盛時代のただなかで、ひとり「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という、時空を越える倫理観を見いだしたところにある。

「私が私のためにしないなら、誰が私のためにしてくれるのか。私が私のためだけにするなら、私とは何なのか」という『タルムード』の謎めいた問いへの答えは、イエスによって与えられたのではないだろうか。孔子もその答えを示しているが、イエスと同じ考えを表している。「鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾斯の人の徒と与にするに非ずして、誰と与にせん」(『論語』微子18:6)。儒家では、父母の死後に三年の喪を唱えて、多くの論争を引き起こした。『論語』にも、三年の喪を唱える文が出てくる。しかし孔子の仁は、イエスの隣人愛(サマリア人の愛)と変わらない。孔子は、仁とは人を愛することだと明らかにしている。「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」(『論語』顔淵12:22)。司馬牛が憂えて言った。「人皆兄弟有り、我独り亡し」。子夏が言った。「商之を聞く。死生命有り、富貴天に在り。君子敬して失無く、人と恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや」(『論語』顔淵12:5)。孔子の深い意は、けっして無条件の忠孝や、硬直した父子・君臣の関係を教えたものではない。

孔子が最高の理想社会として描いたのは、「人独り其の親を親とせず、独り其の子を子とせず」という大同社会である。328 政治もまた大同社会を目指す。政治とは、君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たることである。329 この脈絡で、孟子は、民を見捨てた王は仁義を損なう「残賊」となるのだから、そうした王は取り除かなければならないと力説した。孟子は、東西を通じて、統治者に対する人民の権利を唱えた最初の哲学者であろう。西洋では、17世紀から18世紀のロックとルソーに至ってはじめて、似た哲学が現れる。孟子は政治の重要性と統治者の責任を強調した。人を殺すのに、棒で殺すのと刃で殺すのとに違いがないように、刃で殺すのと政治の過ちで殺すのとにも違いはない。330 西洋の人で孔子の真意を理解した人は、きわめてまれである。大半は、ただ古臭い祖先崇拝を唱えた人として知っているにすぎない。331

仏教の慈悲の思想 vs ニルヴァーナ

ローマ帝国を滅ぼすことで古代の西洋の文明の没落をもたらした民族大移動は、ヨーロッパに限られたものではなかった。中国にも同じ時期に「蛮族」が大挙して侵入して中国全土を占領し、外来の文化である仏教が流入したことで、中国は、政治的にだけでなく文化的にも、3世紀から6世紀にかけての約300年間、いわゆる六朝時代に、歴史上最大の危機を迎えることになった。それは、中国が約1500年後に迎えることになる清の滅亡と西洋の文物の流入の時期にも比べられる大きな危機であった。

東洋の文化が西洋の文化のように示顕論の文化であったなら、あるいは仏教が単に倫理にとどまらず、西洋の文化のように政治・軍事・経済など文化のあらゆる面を網羅する包括的な文化であったなら、中国の体制もまたローマ帝国のように滅んでいたかもしれない。しかし中国は、国家として再生して唐を建てただけでなく、仏教を「中国化」して、中国の文化の本質を失うことなく新しい気運を取り入れ、文化的にもルネサンスを迎えることになる。こうして中国は、約千年にわたって、西洋に対して文化的・政治的な優位を保つことになる。

中国の文化のルネサンスを可能にした仏教は、中国にどのような影響を与えたのだろうか。逆に、中国の文化は仏教にどのような影響を与えたのだろうか。「中国が仏教化したというより、仏教のほうがより多く中国化した」という言葉は、何を意味するのか。我々が文化を見分ける基準としてきた、精神と肉体の分離か調和か、すなわち示顕論の文化と不顕論(ふけんろん)の文化に照らしてみると、これはどう説明できるのだろうか。伝統的なインドの宗教であるバラモン教も、モーセのユダヤ教と同じく、精神と肉体を分離している。インドの宗教のブラフマー(Brahma)は啓示宗教の神にあたり、どちらも超自然的である。これは『ウパニシャッド』(Upanishad)によく表れている。

人は無知によって自らの真の自我を覆い、物質の覆いを自分と同じものと見なす。これを越えることによって、彼は純粋な歓喜そのものであるブラフマンと一つになるのである。332

インドでは、肉体から分離された精神(アートマン)がブラフマンに到達しようと努めており、手の届かないブラフマンへの努力において、肉体は厄介な存在である。そこでは肉体から抜け出すほかない。釈迦は、苦行を続けることを拒み、普通の人々が食べる食べ物を求めて、五人の仲間を驚かせ、ぞっとさせた。彼は、どのような真理であれ、人間が到達しうる真理は、健やかな肉体に十分な栄養を与えられた頭脳によって到達できるということを悟った。こうした考えは、その時代、その国ではまったく新しい、異質なものであった。333 精神と肉体の調和を悟った仏陀が同時に感じたのは、当然、あなたと私は切り離すことができず、調和をなさなければならないということであり、これがすなわち慈悲の思想として表れる。

こうした慈悲の思想に力を注ぐ現実的な姿勢が、釈迦の仏教では強調される。釈迦が伝統的なヒンドゥー教の超越的な姿勢、すなわち形而上学的な好みを否定し、現実的な人生の問題、すなわちあなたと私の問題を重んじたことは、『マッジマ・ニカーヤ』(Majjhima Nikāya、中部経典)に紹介された逸話によく表れている。カントの形而上学の二律背反のように、世界は永遠なのか永遠でないのか、世界は無限なのか有限なのか、魂と身体は同じなのか別なのか、如来は死後も存在するのかしないのか、といった問題について説明を求めるマールンキヤプッタ(Māluṅkyaputta)に、仏陀は次のように答えている。

マールンキヤプッタよ、清らかな修行の生活は、「世界は永遠である」とか「世界は永遠でない」とかいう独断の見解によるものではない。そうした独断の見解があろうとなかろうと、生・老・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩みはそのまま残る。私が説くのは、まさにこの世においてそれらを滅ぼすことである……。334

仏教は、ユダヤ教やバラモン教とは違って、精神と物質の対立関係を想定しない。精神の働きは、ほかの身体の部位の働きと同じく、人間の一つの機能として捉えられる。仏陀は、バラモン教の核心をなすアートマン(atman)について説法しない。いかなる永久不変の形而上学的な実体についても説明しない。仏陀は、孔子のように、自らを一人の人間と見なしたにすぎない。彼らは、神やいかなる超越者の力にも頼らなかった。仏教は、儒家と同じく、現世を改め、人間によりよい生を生きる方法を説いているにすぎない。この点で、仏教は、道家や儒家と同じく、示顕論の宗教ではなく、不顕論に立脚した倫理哲学となる。絶対者や超越者をつくり、自らをそれと同一視することは、結局、自己保存のための利己主義的な発想から来るものであり、私とあなたを分ける道へと至る第一歩となるのである。

すべての個人の心理のなかには、二つの根がある。自己保護と自己保存の本能である。自己保護のために、人間は神にそれを求めるようになった。自己保存のために、人間は永遠に生きるアートマン、すなわち霊魂不滅説を考え出した。無知・弱さ・恐れ、そして欲望のなかで、人間はこの二つを信じ、慰めとし、安心するのである。これが、人間がこの二つにしがみつき、狂信的な情熱を見せる理由である。335

仏陀が生きた時代の本能と精神の区分を拒み、私とあなたの違いを否定することは、まさに革命的な態度である。仏陀は、イエスのように、自らの教えが大きな反対にぶつかることを予見していたようである。形而上学的な思考に反対した仏陀は、形而上学的な思考がしばしば結論として導き出す独善的な態度について警告した。

真理を愛する人が、これだけが真理であり、ほかはすべて偽りであると独善的な結論を下すのは正しくない。人は信念を持つことができる。もし彼が、これこそが私の信念であると言うなら、彼は真実を語っているのである。しかし、そこからさらに進んで、自分の信念だけが正しいと絶対的な姿勢を取ってはならない。誰も、これだけが真理でありほかは偽りであると言える立場には立っていない。336

苦行の慣わしと決別し、アートマンの存在を否定することによって、仏陀は精神と肉体の分離を拒んだ。バラモン教を退けることによって、仏陀はあなたと私の分離を拒んだ。仏陀の教えは、彼我を同一視せよという深い哲学にもとづいている。人間どうしの関係は、ほかの何よりも慈悲によって治められなければならないと考えた。この点で、仏陀の慈悲の思想は、孔子の仁、イエスの愛、ムハンマドの兄弟愛と本質を同じくする。イエスや孔子の場合と同じく、仏陀も教えを文字で残さなかった。彼の教えは、インドの人々によって、3世紀から7世紀のあいだに回想され編纂された。337 したがって、仏陀の教えの真髄と、彼の弟子たちが伝えたものとのあいだで真偽を見分けるのは、きわめて難しい。

こうした過程で、大衆仏教はニルヴァーナ(nirvana。nir は無・空の意、vā は気の意)をたいへん重んじる。ニルヴァーナとは涅槃、すなわち煩悩と執着が完全に消え去った、火の消えた状態に到達することである。人間が涅槃に入れば、苦しみと輪廻の鎖を完全に断ち切り、解脱の状態に至るという。多くの人は、ニルヴァーナが仏教の核心だと考えもする。また、仏陀はニルヴァーナに到達したと考え、自分もニルヴァーナに到達するために仏教を信じもする。しかし仏陀は、ニルヴァーナについてあまり語らなかった。仏陀は、無あるいは空としてニルヴァーナを定義したほかには、これといった説明をしていない。ニルヴァーナは、キリスト教の天国、ギリシア人の幸福と軌を一にする。魅力はあるが、結局は形而上学的な表現であり、座標である。

人間の倫理の基本は「隣人愛」である、と人類のあらゆる偉大な思想家は結論づけた。仏陀、孔子、イエス、ムハンマドらが残した隣人愛の倫理観は、「自分を愛するように隣人を愛せよ」(love your neighbor as you love yourself)という言葉を縮めたものである。隣人愛が、結局、人間のただ一つの倫理となる。「新約聖書は、すべての律法が『あなたの隣人を愛せよ』というただ一つの律法に帰着することを教えている」。338「毎日毎日、互いに繰り返し語り合おう。『道徳はただ一つであり、神から出る。ドグマはそれぞれ異なり、それは人間がつくり出したものである』と」。339 とうの昔に明快に説明されたこうした倫理について、いまなお多くの人が混乱している。340

我々は、孔子とイエスの教えをいまなお誤解したまま生きている。人間はひとりでは生きられない。何をするにしても、自分のためと他人のためとが混じり合わざるをえない。仁とは、関係主義的な隣人愛を意味する。孔子は『論語』で「鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾斯の人の徒と与にするに非ずして、誰と与にせん」と問い、『タルムード』は「私が私のためにしないなら、誰が私のためにしてくれるのか。私が私のためだけにするなら、私とは何なのか」と問うている。答えはすでに与えられているのである。

イエスの場合と同じく、仏陀も教えを文字で残さなかった。彼の教えは、インドの人々によって、3世紀から7世紀のあいだに回想され編纂された。341 したがって、仏陀の教えの真髄と、彼の弟子たちが伝えたものとのあいだで真偽を見分けるのは、きわめて難しい。仏陀は個人の救いを追い求めなかったのだから、ニルヴァーナが彼の教えの真髄であるはずはない。仏陀は衆生の済度と救いを願った。もしニルヴァーナが、「個人の救い」、「欲望の断絶」、「渇きの解消」、「憎しみからの解放」、「妄想からの脱出」、「完全な知恵の状態」、「救出」などを意味するのであれば、それはバラモン教でいうアートマンがブラフマンと合一する状態と違いがない。その場合、仏教はバラモン教と違いがなくなってしまう。

ゴータマ(Gautama)は言った。凡俗な人間には、まことに法を説きがたい。彼らは卑俗な迷信に執着し、感情のささやくままにたやすく従うからである。342

当時のインドの地は、ゴータマを歓迎しなかった。いまも仏陀を歓迎していない。バラモン教は一時退いたのち捲土重来し、いっそう確固としてインドの地に根を下ろした。イエスの場合も同じである。ガリラヤ地方はイエスを敵視した。いまもイエスを歓迎していない。ユダヤ教は、以前よりいっそう確固としてガリラヤ地方を再び征服した。預言者は故郷で迫害されるものらしい。イエスの使徒たちは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という明快な教えを、さまざまな神話とドグマで包み込んでしまった。ゴータマの弟子たちも同じようにふるまった。彼らはニルヴァーナという神話をつくり出し、それで仏陀の真の教えである慈悲の心を包み込んでしまったのである。

仏陀がバラモン教を拒んで立ち上がったのは、バラモン教でいうアートマンとブラフマンが合一するニルヴァーナの状態(Brahmanic Nirvana)が、他人に対して何の配慮もしない、冷たく乾いた個人の救いを意味するからであった。仏陀は、バラモンの僧侶たちが衆生の済度に努めず、他人に対して慈悲の心を持たないと叱ったこともある。したがって、ニルヴァーナは他人への慈悲の心と結びつけて考えなければならない。仏陀が教えたニルヴァーナは、ひとりでは到達できないものであった。そのニルヴァーナは、他人を通じて到達できるものなのである。

当時のインドの人々の日常生活のなかに、仏陀は苦(苦痛と苦悩)を見た。そして、その苦をなくすために、欲望をなくそうとした。仏陀がニルヴァーナを無あるいは空として説いた理由はここにある。しかし、人間の心が無あるいは空のままでいることはできない。「自然は真空を嫌う」(Nature abhors vacuum)という法則は、人間の心にも当てはまる。人間の心のなかで、憎しみ・妬み・争い・不和の原因となる悪い欲望を引き抜いた場合、その場所にはほかのものが満たされなければならない。仏陀は、その場所こそ慈悲の心で満たされなければならないと考えた。343 人間の心から否定的な欲望が消え、肯定的で生産的な欲望、すなわち慈悲の心で満たされるとき、そのとき人間は、自分と他人を区別しない感覚を持つようになるのである。

ニルヴァーナは、したがって、私と他人の関係、すなわち慈悲の心を通じてのみ到達できるものである。ニルヴァーナは慈悲の心と不可分の関係をなしている。ニルヴァーナとは満ちあふれる慈悲の心であり、純粋な慈悲の心がニルヴァーナである。こうした悟りのもとで、あなたと私のあいだの合一、さらには私と自然、宇宙との合一を経験する、まさにそのときがニルヴァーナを経験するときなのである。344 仏教の説話によれば、仏陀は35歳のときにこうした状態を経験したという。そしてそれを衆生に知らせようとしたのである。

2) 神への崇拝と隣人愛が二律背反を避ける道は

我々はなぜ生きるのか、という問題への単純な答えは、進歩への献身でありうる。ビジョンを追うことは、人生の意味を見いだす最も確かな方法となりうる。進歩は、精神が先に立って追い求めるビジョンを目標とする。ビジョンの追求は、啓示宗教から20世紀のイデオロギーの時代に至るまで、西洋の文明の特性である。問題は、歴史に照らしてみると、ビジョンの追求はいずれも当初定めた目標を達成できないという点にある。同時に、その過程で倫理を失ってしまうという点にある。啓示宗教やイデオロギーが示すビジョンは、神の教義や形而上学的な真理を広め、それに従うことであるが、それを積極的に行うなかで、隣人愛を損なわざるをえない。いわゆる倫理とビジョンのあいだの葛藤を引き起こすのである。

儒家とキリスト教が隣人愛というただ一つの倫理を示すことに違いはない。しかし孔子とイエスの場合、『論語』と聖書にははっきりした違いが見られる。孔子の場合、その教えは明快で際立っている。孔子は、人間どうしの関係の確立を妨げるいかなるほかの価値も認めなかった。仁を実現するためには人間の力でやるほかないという、深い人本主義を守り抜く。すなわち、徹頭徹尾現実の世界にだけ関心を置き、あの世や死や神のいかなる役割や存在も拒む。「仁に当たりては、師にも譲らず」(『論語』衛霊公15:35)という孔子の教えは、そのことを意味している。仁の意味は、よい師に出会い、あるいはよい仲間に出会って、ともに悟るべきものであり、経典の教えや師の注入や神の命令や強制によって仁が成し遂げられるのではない。東洋が人間の社会に示すただ一つの倫理は、政治倫理においても、「同じではないが協力する」という指導者の哲学によく表されている。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(『論語』子路13:23)。

しかしイエスの場合、弟子たちが残した教えは、孔子の場合ほど明快ではない。この世とあの世、生と死、人と神のすべてに関心を置く立場を表明したものとして、新約聖書に記されている。そこに表れた教訓は、信仰と愛の二つに要約できる。キリスト教は、「神の律法は二つある。一つは神を崇めることであり、二つ目は隣人をあなた自身のように愛することである」(マルコによる福音書12:30―31、マタイによる福音書22:36―40)という明確な律法によって、態度をはっきりさせた。同時に、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という隣人愛の教えは、使徒ヤコブによって明確に伝えられる。「行いのない信仰は死んだものである……人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではない」(ヤコブの手紙2章)。結局、キリスト教には二つの絶対的な教えがある。隣人愛と神への崇拝である。倫理と信仰の両方を教えているのである。

ところが歴史的に、「隣人愛」(love your neighbor)と「神への崇拝」(obey your God)が衝突する場合はきわめて多い。

信仰と倫理が互いに背き合わざるをえないのが、神の文明の特性である。信仰(律法)と倫理(愛)が二律背反とならないただ一つの道があるとすれば、それは、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよということを、神のただ一つの律法として信じることである。この場合、倫理と信仰は同じものとなり、したがって倫理は、いかなる場合にも遠ざけてはならない絶対的なものとなる。しかし、こうした面から見た信仰は、西洋の人々が考えてきた信仰の定義とはかけ離れている。倫理が信仰に先立つという宣言だからである。実際、キリスト教を広めるのに中心的な役割を果たした使徒パウロもまた、信仰と愛のうち、あるときは信仰を、あるときは愛を主張して、混乱を引き起こしている。

信仰:それゆえ、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によるのだと、私たちは認める。(ローマの信徒への手紙3章)

愛:それゆえ、信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。そのなかで最も大いなるものは愛である。(コリントの信徒への手紙一13章)

こうした教義は、キリスト教の布教の過程で生じたものと思われる。旧約聖書に記された神の律法は、人間が想像した(あるいは神から啓示を受けたと考えた)律法であり、奇跡で包まれたものである、と記した思想家も多い。実際、イエスの歴史上の生涯と、使徒たちが記した新約のうえでのイエスの生涯とのあいだに違いがあるだけでなく、使徒どうしが描いたイエスの生涯のあいだにも違いがある。実際、キリスト教が、イエスの教えとはかかわりなく、エジプトのイシス(Isis)女神やギリシアのアルテミス女神の崇拝の影響を受けて聖母マリアを崇めるなど、歴史的に変遷を重ねてきたように345、福音書もまた、地中海の各地にキリスト教を広めるなかで、その地方の土着の信仰や神話を数多く取り入れたものと思われる。

新しい教義が人々の耳に障らないように、使徒たちはその時代の人々の好みに合うようできるかぎり脚色し、その時代に最も広く知られ受け入れられていた基礎の上に教義を築いた。346

実際、イエスの倫理についての重要な役割にもかかわらず、歴史が示すキリスト教は、「心を尽くし力を尽くしたヤハウェへの崇拝」と「隣人をあなた自身のように愛すること」という二つの使命のあいだを行き来する様相を見せている。隣人愛は人類のただ一つの倫理ではあるが、それぞれの宗派や団体は、隣人愛よりも自らの自己保存の原則に従う姿を見せた。「教会の外に救いなし」というキリスト教の教皇庁の教義は、隣人愛よりも自己保存の原則が優先することを示している。キリスト教のなかの各宗派もそうである。歴史上のキリスト教では、いくつもの宗派が立てられた。各宗派は、自己保存のためにそれぞれ異なる形式を掲げ、互いに自分が正しいと主張した。ヴォルテールは次のように指摘した。

あらゆる宗派は、それがどのようなものであれ、誤りと疑いの産物である。ドゥンス・スコトゥス(Duns Scotus)派、トマス(Thomas)派、実在論者、唯名論者、教皇派、カルヴァン(Calvin)派、モリナ(Molina)派、ヤンセン(Jansen)派などは、いずれも戦いの名称にすぎない。幾何学には宗派がない。誰も「ユークリッド派」だの「アルキメデス派」だのとは言わない。真理が明らかなときには、派閥や分派をつくることはできない。正午が明るいことを否定する者は誰もいない。347

こうした信仰と倫理の二律背反の状況は、東洋の道の文明では起こらない。自然を創造した絶対者の位置がなく、自然そのものが道として、人間にとって最も重要な倫理の支えとなるからである。だからこそ道の文明では、仁、すなわち隣人愛が、哲学的に最高の倫理としてそのまま受け入れられた。仁という字は、分解すれば二人の人を意味する。すなわち、人間と人間のあいだの関係に干渉するいかなる権威や教義も認めない、ということである。仁の倫理観に干渉するいかなる実体や価値もすべて否定するところに、東洋の道の文明の特性がある。聖書にも同じ哲学がある。「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」。また、民族を分け隔てずにすべての人を愛せよという「サマリア人への愛」(Samaritan Love)を明示したのもそうである。

しかし神本主義では、家族関係の倫理よりも神の命令を重んじなければならないという戒律が、東洋よりもはるかに深く根を下ろすことになる。律法の重要性はユダヤ教で強調されつづけるが、キリスト教でも繰り返される。サマリア人の教訓という、キリスト教の隣人愛という戒律との衝突が例示されている。

「ご覧ください、あなたの母上と兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っておられます」と言う者がいた。イエスはその人に答えて言われた。「誰が私の母であり、誰が私の兄弟なのか」。そして弟子たちのほうへ手を差し伸べて言われた。「見よ、ここに私の母、私の兄弟がいる。誰であれ、天におられる私の父の御心を行う者は、私の兄弟であり、姉妹であり、母なのである」。(マタイによる福音書12章)

神の文明では、自己保存のために、神への崇拝という律法がぜひとも必要であり、また人類の唯一の倫理である隣人愛もぜひとも必要であった。ところが、西洋の文明において、宗教と倫理というこの二つの教えが矛盾する場合があることを、歴史は示している。矛盾をどう避けるのか。絶対的な真理が表現されると、それを矛盾から守るために、表現の「無謬性」(infallibility)を主張しなければならない。西洋の宗教で、聖書と教会の無謬性が主張される根拠である。しかし、「道の道とすべきは、常の道に非ず」(道可道非常道、言い表された道は永遠の道ではない)という論理によれば、絶対的な真理は表現できないものである。同じ哲学が儒家でも表されている。「君子は器ならず」(『論語』為政2:12)という表現には、仁は形而上学的な理論として表現できないという意味が込められている。仁は模倣だけでは形づくられず、自ら体得しなければならないというのが核心である。仁は、外から学んで得る知識ではなく、自らのうちで育ち、実践を通じて完成される倫理なのである。

道は永遠で不変であり、誰にも属さないものなので、倫理に絶対性を与えながらも、同時に、誰も絶対的な倫理を唱えたり発見したと主張したりできないようにする。儒家はこうした倫理の特性を強調しており、それは西洋の宗教的なドグマと大きな違いを見せている。孟子は「尽く書を信ずれば、則ち書無きに如かず」(『孟子』尽心下)と説いた。こうした思想は、孔子によって、社会生活に必要な徳目として説明される。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。君子は同じ考えを共有しなくても互いにともにあることができる。しかし小人は、表向きは交わっていても、同じ考えを共有しているわけではない、という哲学である。絶対性を強調する西洋の示顕論とは反対の社会哲学である。

無謬性はドグマとなり、結局は現実のなかで否定される道をたどる。世にただ一つの絶体絶命の真実は、どのようにして人間に伝えられるのか。それは預言者によって神と人間が結ばれることで、神から預言者へ、そして人間へと伝えられる。唯一神の思想では律法が重要になり、それは人間が神に絶対服従するという出発点を持っている。ここで、現実の生活に問題が提起される。歴史上そうした唯一神がただ一柱であり、絶体絶命の力と真理を代表しているのであれば、問題はない。ところが、二千年、三千年の人間の歴史は、別の現実を示している。

唯一神がいくつもあるとしたら、どうなるのか。ユダヤ教、キリスト教、イスラームは、唯一神どうしの闘争として表れる。これまで、どの唯一神もほかの唯一神を取り除いたことはない。また、一つの唯一神の内部でも問題が起こる。一つの宗教から別の解釈が出てくれば、それらのあいだの関係はどうなるのか。それぞれの解釈が絶対的だと主張するほかない。そうなれば、それらのあいだの自己保存の闘争は避けられない。だから一神論のなかにいくつもの宗派が生まれると、宗派間の闘争は、ほかの宗教との闘争に劣らない激しい闘争を引き起こす。一つの国のなかの内戦のように、生き残りをかけた凄絶な闘争が生まれる。宗教改革の時代に起こった新教と旧教のあいだの恐ろしい闘争が、それを証明している。宗教を信じる人々は、示顕を受けた人を預言者として仰ぎ、絶体絶命の服従をすることになる。なぜなら、預言者の言葉が神の言葉となるからである。

イエスの役割はユダヤ教の律法を越える倫理にあるが、歴史から見れば、キリスト教は律法にいっそう執着した記録を残している。ギリシアとローマの多神の体制では、ほかの神を仕えることを容認していた。しかし4世紀にキリスト教がローマの国教となってからは、西洋で法によって、キリスト教ではないほかの神の形象や石像が広く破壊される。歴史的に、キリスト教は地球上の宗教のなかで最も排他的で不寛容であった。348 そしてルネサンス以後、西洋の形而上学者たちは、中世のキリスト教の神学者たちの不寛容な態度をそのまま受け継いだ。マルクスにおいて、それは極度に不寛容な表現を得ることになる。マルクスはこの世界を善悪論的な白黒の論理で見て、自分に同調しない者は無条件に敵と見なした。歴史的に「証明」されたプロレタリアのユートピアを建設するためには、反対者たちへの迫害はぜひとも必要な措置だと考えた。「マルクスはこの世界を白黒の論理で見て、自分に同調しない者は無条件に敵と見なした。彼は自分が誰の側に立つのかをはっきりと認識しており、自分が彼らのために戦うこと、そして彼らが最後に勝利することを確信していた」。349

スピノザが喝破したとおり、人間を含む宇宙の万物は、自己保存のために存在する。ほかのすべての説明は、道と神を含めて、精神の役割、倫理と法の役割など、いずれも自己保存という包括的な原則に含まれるにすぎない。東洋の人々も西洋の人々も、同じ人間、ホモ・サピエンスとして、自己保存のために存在し行動しているにすぎない。その自己保存の原則に従って、東洋と西洋の人々は異なる文明をつくり出し、自己保存のために努力してきたにすぎない。自己保存の原則は、哲学的に見れば、自分の利益と隣人の利益をともに包み込むものである。ところが我々は、自分の利益だけを見る自己保存の原則に長いあいだ浸ってきた。自分の利益だけを見る自己保存の原則は、神の文明において、神の概念をしばしば利用した。そして、こうした目的を追い求めるなかで重要なのは、「精神」の役割を強調していることである。神の文明は、そうした状況をしばしば見せている。精神の役割が強調されると、精神と本能の分離が起こる。超自然的な神を信じることは、精神と本能の分離においてのみ可能である。精神と本能の分離は、人間と自然の分離と表裏の関係にあり、それは必然的にあなたと私を分けることになる。

したがって、「心を尽くし力を尽くしたヤハウェへの崇拝」は、究極的には信者と非信者、すなわちあなたと私の分離を意味する。実際、心を尽くし力を尽くしてヤハウェを崇める人々と、心を尽くし力を尽くしてアッラーを崇める人々とのあいだでは、中世に始まった戦争がいまなお続いているではないか。一方、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というのは、あなたと私を分けるなという主張である。二千年のキリスト教の歴史も、信仰と倫理が互いに調和しなかったことを示している。人間という存在において、精神の本能に対する優越的な位置は、神に由来する。キリスト教の教義において、精神は、人間だけが神から受ける特別な位置にある。これによって、神の存在と人間の精神の存在を同一視する哲学が、西洋の神の文明に広がることになる。そしてこれが、人間どうしの倫理に絶対的な影響を及ぼすことになる。精神の能力が普遍化し絶対化すると、その結論は、信仰、形而上学的な真理、イデオロギーへと転じやすい。そうなれば、その結論が人間にとって最も重要な目的となり、絶対的な真理となる。その絶対的な真理の前では、倫理やほかの考慮事項は犠牲にされなければならない。

古い脳が代表する、すなわち人間の条件である宿命のなかでの新しい脳の自由に従うという前提条件を受け入れ、その基礎の上に倫理を立てれば、信仰と倫理の衝突の問題はない。この場合、人本主義が成り立つ。隣人愛は犯すことのできない倫理となる。しかし宿命を認めなければ、倫理は崩れ、人本主義は人間中心主義へと堕落する。東洋は、本性はあると主張しながら、その本性の範囲内で、倫理と教育によって人を人らしくすることができると主張する。ここで重要なのは倫理である。西洋の白紙説は倫理から抜け出すことが可能であり、東洋は倫理に基本を置く人をつくることが目標となる。宗教と形而上学、そしてイデオロギーに従うと、ときに人間の最も重要な倫理である「隣人愛」を無視したり越えたりすることになる。ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリムは、宗教を生まれ持ったのではなく、親からそのまま学んだのである。帝国主義、共産主義、ファシズムも、生まれ持ったのではなく、親と学校で学んだのである。宗教戦争やイデオロギーの戦争では、「隣人愛」の倫理は無視される。これらはいずれも、隣人愛よりも上位にあると主張する天国やユートピアを優先すべきだと掲げているからである。進歩の思想と倫理の葛藤は避けられない。

進歩の思想は、精神の能力の絶対化によって成り立つ。西洋の文明の特徴である。西洋の文明では、精神的な能力を人類の生物学的な機能の一つと見る代わりに、特別な能力として扱い、ほかのあらゆる肉体的な能力と区別しようとする傾向を帯び、精神と本能を分離することになる。精神と本能の分離の外的な表れは人間と自然の分離であり、逆に人間と自然の分離の内的な表れは精神と本能の分離なのである。精神と本能を分離した精神的な文化の産物である以上、本能を否定し、無視し、罪悪視しようとする傾向があるのは当然だと見ることができる。旧教では原罪説を唱えることで精神に対して本能を否定し、新教でも表現を変えただけで、精神と本能の区分はなお続いた。こうした区分は、人間と人間の関係においても、信者と無神論者を区分することで、あなたと私を区分する性向を引き起こした。カルヴァンやルターに見られるように、自分を愛することを罪悪視したり禁じたりしたかと思えば、カントにおいては哲学的な表現を得て、自分を愛することはまったく無価値なものと見なされた。350「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というイエスの言葉は、「あなたの隣人を愛し、あなた自身は愛するな」、あるいは簡単に「あなたの隣人だけを愛せよ」へと変質したのである。

結局、信仰を含むビジョンの追求と倫理の衝突は避けられない。それは、神への崇拝を主張する人々がつくった組織が、自己保存の原則に従って生き残ろうとするからである。隣人愛が神への崇拝と二律背反的な状況をなせば、結局、人類の普遍的な倫理と、神を守る司祭階級とのあいだで、自己保存の利益の衝突が生まれる。教会は自己保存のために、「教会の外に救いなし」という教義を掲げる。西洋が「発見の時代」(Age of Discovery)と呼ぶ西洋の世界征服の時代に、西洋は教皇の名において、「全世界の非キリスト教徒は奴隷とすべきである」という勅令を宣布した。数百年にわたって、西洋の人々はその勅令を歓迎した。それは、サマリア人へのイエスの隣人愛という倫理とはかけ離れている。それよりも、教権や国権を確立し拡張しようという点に目的があった。351

3) 倫理は神の命令か、自然の勧めか

隣人愛は、キリスト教の最も重要な教義の一つである。西洋の人々に隣人を愛させたのは、神の命令である。西洋の倫理の根拠となる。隣人愛は、自分自身の利己心のためのものではない。だから西洋の人々は、利他心は自分を犠牲にすることから出てくるものだと見ている。倫理は自分を犠牲にすることから出てくると、西洋の哲学は考える。西洋の哲学体系では、利他心(隣人愛)と利己心を人性論の面から調和させる根拠が乏しいのである。

西洋の文明では倫理は神の命令なのだから、神が人間の営みに介入しないのであれば、人間は神が命じた倫理から自由になりうる。神がいなければ、自分の利益を犠牲にする必要はなくなる。言い換えれば、「神がいないのに、なぜ隣人を愛さなければならないのか」という疑問が生じる。すると、宗教を捨てた人々は、なぜ倫理を保たなければならないのかと疑問を呈することになる。

ヨーロッパとは違って、中国のようなところで、宗教的な懐疑論がどうして倫理的な懐疑論を引き起こさなかったのか、理解しがたい。352

理神論の後も、西洋の思想家たちは、信仰と倫理をめぐって難題に突き当たった。コントは神学と形而上学を否定しながら、「ただ一つ絶対的なのは、すべてが相対的だということである」と叫び、ドストエフスキーの「神が死んだのなら、すべてが許される」と本質的に同じ態度を見せた。ニーチェもまた、自らを無神論者と宣言した。

「神」、「霊魂の不死」、「救済」、「彼岸」、こうしたものは、私がまったく注意を払わなかった概念である。こうしたものに、私は子どものころでさえ、まったく時間を無駄にしなかった。おそらく私は、こうしたものを信じるほど素朴ではなかったのだろうか……。無神論は、私にとって何かの結果ではなく、まして私の生涯の重要な出来事などではない。私にとってそれは当然のことであり、本能的なものであった。353

ラッセルは「私はキリスト教徒ではない」と公言しており、中国の文明の一面を西洋に紹介した林語堂も「私は無神論者である」と公言している。354 こうした態度は、スピノザがあれほど明快に説いたキリスト教の本質も、孔子が苦心して残した仁の思想の本質も理解していなかったことを示している。コント、ドストエフスキー、ニーチェ、ラッセル、林語堂らは、東洋の思想の面から見れば、無神論者ではなく不顕論者でありうる。西洋の無神論者に対する否定的な判断は、示顕論と不顕論の違いに思い至らなかった思想家たちの姿勢であり、西洋的な示顕論の立場からだけ世の中と哲学史を分析しようという姿勢から出てきた、西洋だけが抱えている特有の巨大な哲学的な、とりわけ倫理の次元での問題となっている。

ラッセルのような哲学者でさえ、東洋と西洋の文明の本質的な違いを理解していなかったように思われる。東洋の自然哲学から出てきた人性論を理解しなければ、倫理が自分のための利己心の表れであることは理解できない。こうした難問は、西洋の自然論者たちによって解かれることになる。彼らは、啓示宗教と倫理の絶対的な結びつきを認めていない。倫理は神の命令ではなく、自然の勧めであることを理解しはじめたのである。ドーキンス(Dawkins)もまた、西洋の啓示宗教が主張する、宗教が倫理に果たす役割について疑問を表している。

宗教を持っている人々は、宗教なしに人がどうして善くありうるのか、なぜ善くなければならないのかを、しばしば疑う。355  

理神論は、倫理の源をどこに求めるべきかという深刻な問題を、西洋の人々に突きつける。中世の神学によってすでに打撃を受けていたキリスト教の神を、形而上学がよみがえらせることができず、決定的な没落を早めると、西洋の人々はあらゆる絶対的なものを否定しはじめた。倫理の喪失は、示顕論の文明で生きてきた西洋の人々の大多数が直面している課題である。18世紀の理神論、19世紀のダーウィンの進化論、そして20世紀のイデオロギーの横暴を経験した西洋の人々は、倫理の面で行く道を見失っている。理神論では、神は存在するが、啓示ではなく精神的な思考を通じて理解することができ、精神を通じて道徳と真理を見いだすことができるという命題のもとに、倫理の源としてカント(1724―1804)の定言命法を掲げるが、説得力が弱い。合理主義にもとづく形而上学的な面が大きいからである。

ルソー(1712―1778)は、啓示宗教とは異なる人間の本性を掲げた。人間はもともと善く生まれたが、人類の文明が善い人間の個性を悪くしていると主張した。だから人間にとって重要なのは、もともとの人間の本性の表れである感受性(sensibility)であると説明した。そこで、人間は感受性に従って行動すればすべてうまくいくという仮説を掲げて、西洋全体で大きな肯定的な反応を得た。自分の感受性を信じよというのは、倫理を無視して行動しても、もともと善い人間のする行動なのだから問題はない、という主張になる。結局、人間の最も重要な要素は「感受性と温かい心」を持つことである、と説明したのである。

こうした状況は、我々が「ロマンティシズム」と呼ぶ浪漫主義の傾向を、ヨーロッパの人々に吹き込んだ。彼らは新しい自由を満喫しながら、人間を悪くするのは文明にかかわるものだとして、文明のなかの倫理を無視するようになった。ルソーは『社会契約論』で、「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と主張する。こうして浪漫主義を唱えるこの時点で、西洋には独特な人々が登場する。ルソーの感受性を実際に実行した人々である。ルソー、サド(1740―1814)、バイロン(1788―1824)、シェリー(1792―1822)らがそうである。

彼らは、悪いことはすべて人間がこれまでつくり出してきた文明のせいなのだから、自分の感受性だけを追う生き方をしようと主張した。彼らはみな、友人から金を借りて返さないことを当然とし、みな乱れた恋愛関係を持って裏切りを重ね、自分の本能が命じるままに行動して、誠実さのような約束を守ることを蔑み、社会が守ろうとする倫理という情緒に反抗した。ルソーは、精神と情熱のうち、精神を遠ざけて、はっきりと情熱の側に立った。そしてルソーは、宗教を精神ではなく感受性の面から重んじ、感情、心、畏敬、神秘主義などによって宗教を支持した。ルソー自身、自分の子どもたちをみな孤児院に預けながら、自分は感受性に従って楽に生きてよいという立場を取った。

ルソーの後、精神の時代がイデオロギーの時代(Age of Ideology)に入るにつれて、理神論はイデオロギーに取って代わられた。倫理はイデオロギーの手先となったのである。イデオロギーは、人間が協力して理想郷、ユートピアをこの世に建設できると信じた。まもなく訪れるユートピアという目的を達成するために、「当分のあいだ」倫理を犠牲にしようというのである。倫理の基本的な方向を無視して、無慈悲な独裁と戦争を正当化する論理となる。共産主義とファシズムがその例である。共産主義には、カール・マルクスが唱えた独裁の十の規範がある。聖書の十戒をまねた、独裁体制の十か条である。独裁の規範には、すべての生産手段の国家への帰属、移住者と反逆者のすべての財産の没収、すべての交通手段の国家への帰属などが含まれている。聖書で倫理の規範となり、西洋の人々に徹底して倫理を守らせた十戒が、独裁の十戒に取って代わられたのである。ヒトラーもまた、ソ連とのポーランド分割、それに続くポーランド侵攻、ソ連への攻撃など、自分の考えどおりに行動した。ヒトラーは、こうした行為を自らのユートピアを達成するための最も効果的な方法として誇った。ユダヤ人の民族浄化も、同じユートピア達成のためにぜひとも必要な措置として強調した。問題は、これらの行動そのものがきわめて反倫理的な行動なので、人類の預言者たちが示した「隣人愛」に背くことになる点である。現実にも、ユートピアが実現しなければ、ユートピアが実現するまでの「当分のあいだ」が「永遠になる」につれて、倫理的な破壊行動がイデオロギーの最大の問題として浮かび上がる。

理神論以前には、人間と人間のあいだの最も重要な倫理が、神への崇拝と倫理の衝突によって損なわれたが、理神論以後には、神のいない世界となったことで、倫理のない状況を引き起こすことになった。神が律法として定めた十戒や隣人愛が公然と損なわれるのはもちろん、それに代わる新しい倫理、ユートピア達成のための「反倫理」が「倫理」に化けるという、あきれた世界をイデオロギーの時代がつくったのである。独裁と民族浄化が、彼らの「倫理」となったのである。彼らは、植民地主義、共産主義、ファシズムというこの三つのイデオロギーが互いに絡み合って死ぬまで戦う世界をつくった。西洋の人々は、そのために20世紀に二度の世界大戦も辞さなかった。その後も、冷戦へと世界を追いやったのである。

理神論の出現以後、西洋の多くの思想家が倫理の起源を探してさまよっている。倫理はどこから来るべきなのか。我々が分析したように、カントは倫理を、精神にもとづく「超越的な道徳的義務論」に置き換えようとした。ドストエフスキー(1821―1881)は「神がいなければ、すべてが可能である」と叫び、神をよみがえらせようと努めた。ニーチェは、人間の機能の面でのスーパーヒーロー(super hero)という意味ではなく、道徳的にキリスト教の教義に縛られない、自らの内なる意志によってつくり出した道徳的な超人を目指そうとした。

東洋の哲学は、道家と儒家に見られるように、はじめから倫理を基礎とした現実への参加を目標としている。自分を正す第一の条件は、利己心と利他心の調和を悟ることである。これがなければ、家も国も天下も治めることはできない。「身修まりて后に家斉う。家斉いて后に国治まる。国治まりて后に天下平らかなり」(『大学』第8章)。東洋では、二千年前にすでにこうした哲学が完成していた。人間の社会には、基本的に、利他心ではなく強力な利己心が根源的な力を吹き込む。しかし、人間の本性にある弱い利他心を反映してこそ、社会は保たれる。結局、我々のあらゆる哲学は人性論と結びついているのである。

もし利他心が健全な社会を構成する結合点であるなら、人間の社会は自然とはかけ離れた存在となる。しかし、こうしたジレンマを抜け出す方策が一つある。一見すると利他心に見えるが、それはダーウィニズムの視点から見て「利己的」でありうるのか。すなわち、個人の犠牲が、結局は自分の遺伝子の連続性に役立ちうるのか。こうした対立した命題への答えは、イエスである。356

理神論以前には、人間についてまったく研究する必要がなかった。人間は神の姿に似せて造られたのだから、神について研究すれば、それが人間についての研究になるからである。人間は原罪を負って生まれ、苦労しながら世を生きて、最後の審判を受ける存在であった。ところが、神は人間の営みに介入しないという理神論を信じるようになって、西洋の人々は、はじめて人間とは何かという考えを、自然哲学の次元でするようになった。

西洋では有神論者が圧倒的多数であったが、近年では教会に通う有神論者が少数となった。だからといって、西洋の人々が無神論者になってしまったわけではない。かなり多くの無神論者のなかには、自ら認めてはいないが、不顕論に属する人がいる。すなわち、スピノザのように、本人は結局神を信じる有神論者だと宣言しているのに、教会の律法の次元で無神論者として扱われる人々である。『宇宙には神がいない』を著したデイヴィッド・ミルズ、『神は妄想である』のリチャード・ドーキンス、『神は偉大ではない』のクリストファー・ヒッチンズらは、西洋では無神論者だが、東洋では不顕論者でありうる。絶対的な真理を信じてはいるが、啓示宗教が示すように預言者を通じて示顕された信仰は信じない、というのである。彼らは、西洋では示顕論者たちから非難を受けるが、東洋では絶対的な真理を信じる自由な不顕論者となる。

神のいない世界で倫理をどう守るのかという問題は、西洋では引き続き多くの人々の課題となっている。しかし、その答えは、絶対的な真理を主張する示顕論ではなく、不顕論に求めなければならない。『道徳経』第8章は、人間がどう生きるべきかを説明している。「与するには仁なるを善しとし、言うには信なるを善しとし、正すには治まるを善しとし、事には能あるを善しとし、動くには時なるを善しとす」。神の戒めではなく、自然のなかで誰もが見いだすことのできる道の倫理である。

東洋の文明は、啓示宗教の神がいなくても、「自分と他人の利益のために」という倫理がおのずと生まれ、保たれうるという自然哲学に依拠している。他人と自分自身のための「啓発された利己心」が、倫理の源である。重要なのは、倫理の源が神の命令ではなく、自らを守るために人間の本性に内在している自己保存の原則から出てくる、ということである。

人間の本性によれば、精神ではなく本能が倫理の源とならなければならないが、同時に、倫理をつくり出す段階では、精神の重要な役割がある。この段階で、精神が本能に影響を及ぼしうるようになる。精神が本能に影響を及ぼす段階では、本能のなかにその根拠がなければならないが、それが本能のなかに存在する利他心である。人性を見ると、本能には強力な利己心に加えて、微弱ではあるが利他心が存在するのである。深く見れば、こうした「強力な利己心と微弱な利他心の調和」は、人間の社会を躍動的に動かす背景である。もし人間が強力な利他心と微弱な利己心という人性を持って生まれたなら、人間の社会は天国に似てはいても、徹底して無味乾燥で、人間がなぜ生きていくのかという理由が何もなくなってしまう。結局、人間の社会は、倫理の面で、精神を通じて利他心と利己心のあいだの均衡をなそうという、難しく苦しい、しかし躍動的な、個人・社会・国家の運営の次元で繰り広げられる闘争と合意の過程となるのである。儒家の君子、あるいはスピノザ流の賢者は、このようにしてつくられる。

このように分析すると、我々は一つの結論に至る。すなわち、人間の倫理観において最も重要な要素は、デカルトやカント流の「精神」にあるのではなく、「本能と精神をともに包み込む人間の本性」にある。本能と精神の合理主義を唱えるスピノザの哲学に行き着くのである。357 人間の行いの源が精神ではなく本能にもとづいているのであれば、本能のメカニズムは、宿命のように、人間が生まれてから死ぬまでついて回る。同時に、人間の精神は本能を管理する役割を果たしているので、発光体ではなく反射体として、死ぬ瞬間まで本能を管理する役割を果たすことになる。

こうした哲学、すなわち人間の本性を発光体として認めながら、人間の精神が反射体として役割を果たすという哲学を持てば、人間と人間のあいだの倫理観が進むべき方向が定まる。これが「宿命(本能)のなかの自由(精神)」という概念である。すなわち、本能を認めると同時に、人間の個性の養育が、生まれた後に人間ができるすべてを決める。人間の個性の養育は、まったく人間個人の責任に帰する。こうした責任は死ぬまで続く。「吾が生や涯有りて、知や涯無し」という東洋の哲学が、ここに当てはまる。教義や形而上学的な発見やイデオロギーに没入することで、人間の個性の養育を置き換えることはできない。「君子は器ならず」(君子不器)。(『論語』為政2:12)

道徳(Moralism)は自然の法則と合致しない

道徳は自然の法則と合致しないという哲学は、人性論との関係において重要な基準を提供する。こうした哲学は、示顕論が支配する西洋の文明ではなかなか見られない。示顕論では、人間の営みは善悪論の流れをたどると見るので、道徳は示顕論において人間を判定する要素だからである。我々は、ソクラテス以前のギリシアの時代に戻って、そうした哲学を探すことができる。ギリシアの不顕論者たちに、人性論は道徳と無関係であると主張する可能性を見ることができる。たとえば、不顕論者の一人であるギリシアのカルネアデス(紀元前214―129)は、存在論や決定論に反対して、偶然性と蓋然性に注目せよという意見を残した。「道徳は自然の法則と合致しない」と言いながら、我々が正義と呼ぶものは永遠ではありえず、非合理的であり、一時の必要によってのみ唱えられるものだ、という意見を述べた。彼はローマに使節として派遣され、有名な演説をした。ある日は正義を称える演説をし、次の日は正義を批判する演説をして、聞く人々に大きな衝撃を与えた。カルネアデスの哲学は、精神にもとづく合理主義ではなく、道徳と人性論をありのままに見ようという自然主義の理論に従っている。正義、自由、人権などの道徳的な概念の絶対性に対して懐疑を持たなければならず、論証によってその相対性を知らなければならない、と主張した。

しかし西洋は、ギリシア・ローマの時代の哲学と中世のキリスト教の哲学に従いながら、道徳は神が下した命令であるとして、絶対性を与えた。そして啓蒙の時代に入っても、こうした示顕論的な哲学を育てつづけた。精神が神に取って代わる状況に適応しながら、道徳は精神が命じる「超越的な道徳的義務論」であるというカントの哲学が、大きな支持を得ることになった。カントの哲学は、ルソーが唱えた性善説と軌を一にしている。近世の西洋の哲学は、このように性善説と道徳的理想主義に魅了されていたのである。

こうした人間の本性の主張に対して、西洋ではじめて、精神に偏った合理主義者たちへの反対の理論を展開した経験論の哲学が登場する。代表的な哲学者の一人にヒューム(1711―1776)がいる。彼は人間の本性について自然論を展開し、それが宗教的な人間の本性に真っ向から反対するものだったので、異端者とされ、裁判など危うい立場に陥ることもあった。

道徳は情念をかき立て、行いを強めたり弱めたりする。理性それ自体は何の役割も果たさない。したがって、道徳性は我々の理性が決めるものではない。358

同時代の思想家たちは、ヒュームを無神論者、あるいは懐疑論者として扱った。いまなお西洋の思想家たちは、ヒュームを懐疑論者に分類する。しかし視野を広げれば、彼の思想は否定的な懐疑論ではなく、ギリシアのスケプティクス、あるいは東洋の不顕論者に分類することができる。ヒュームが生きた当時、西洋の哲学はデカルトやカントのような確固とした合理論者たちの手中にあった。精神がすべてをつかさどっていると考えていた。ヒュームは、こうした流れから抜け出して、新しい地平を開いた。彼は驚くべきことに、精神ではなく本能の重要性を強調したのである。

理性は情念の奴隷であり、またそうあるほかない。理性は、情念に仕え、従うこと以外には、いかなる務めも果たすことができない。359

当時としては驚くべき理論である。いまも多くの人に疑問を抱かせる理論に見えるかもしれない。いまなお、ヒュームの倫理論は「反合理主義的倫理論」(Ethical Anti-rationalism)と呼ばれる。しかしヒュームの理論には支持者がいる。ヒュームの主張は、ギリシアの時代にも見いだすことができる。見てきたように、カルネアデスの主張と似ている。「道徳主義(moralism)は自然の法則と合致しない」。我々が正義と呼ぶものは永遠ではありえない。道徳性は非合理的であり、時期によって必要に応じてのみ唱えられるものである。たとえば、奴隷制度は、数千年にわたって18世紀に至るまで、人間の社会の合理的な倫理として受け入れられた。しかし21世紀には、奴隷制度は人間の社会の最も忌まわしい倫理となってしまった。倫理は多くの場合、我々が人間の本性をどう見るかにかかっている。とりわけ本能と精神の関係が重要である。本能と精神の役割について、ラッセルは、本能は行い、精神は調整という表現を用いた。

欲望、感情、あるいは情熱(このうちどれを選ぶかは自由だが)は、人間の行いを生む唯一の場所である。理性は行いを引き起こさない。ただ調整の役割を果たすだけである。360

人間の本性についての評価は、東洋と西洋の文明が「天は自ら助くる者を助く」という格言を哲学的にどう評価するのかと、密接な関係がある。道の文明では何の問題もない。「人能く道を弘む」からである。自ら助ける者が道の祝福を受ける。しかし神の文明では論争がある。神の恩寵(grace)があってはじめて、人間は自らを助けることができるという考えのためである。彼らは、「神は自らを助けることのできない者を助ける」という考えを持っている。神が人間を造り、人間の営みをすべて統べているという信仰のためである。「天は自ら助くる者を助く」という格言は、東洋では二千年にわたって、人間の個性を涵養する重要な格言であった。しかし西洋では、紀元前にイソップ寓話から出た後、中世には消え、理神論者であるベンジャミン・フランクリンが18世紀に再び西洋で流行らせた格言である。

ロックとアダム・スミスの人間の本性についての哲学は、宗教に頼る面が大きい。人間の努力も重要だが、結局は神の力に頼らなければならないという哲学が強い。そして、人間が何をしようと、神が造った人間なのだから、結局はすべてうまくいくだろうという楽観論に頼ることになる。彼らの信仰では、「神は慈悲深い」と信じているからである。しかし道の文明では、「天地は仁ならず」という否定神学の哲学に頼る。そうなると、人間の営みは道が解決してくれるのではなく、道の範囲のなかで結局は人間が処理しなければならない、と信じることになる。楽観論ではなく現実論である。東洋の思想によれば、自らを助けない人間は、天も助けないのである。神と道の哲学は、根本的に、「我々は何者か」を規定する人間本性論と結びついている。

4) 利他心とは何か:西洋の「利己心の犠牲」 vs 東洋の「啓発された利己心」

社会の秩序を保つためにも、また個人の内なる平和のためにも、利他心は欠かせない。儒家とキリスト教は、いずれも利他心を人間の営みの核心としている。利他心とは何か。利他心の分析において、東洋と西洋は、人間の本性にかかわって根本的な違いを見せている。東洋の文明では、利他心は利己心の一種である。啓発された性格の利己心、すなわち他人のためにしながら自分のためにもなる利己心である。啓発された利己心、すなわち利他心は、人間の本性に内在する。西洋の文明から見た人性論によれば、利他心は人間の本性にはない。利他心は神の命令である。利己心が人間の本性のすべてである。利他心は、神の命令あるいは精神の命令によって生じる、人間の本性を相殺する特殊な倫理となる。利他心は人間の本性に内在しているのか、それとも人間の本性とは無関係な神の命令(あるいは精神にもとづく倫理)なのか、これが利他心についての東洋と西洋の違いである。

西洋では、利他心は、利己心を捨ててそれに取って代わった状態と見る。利己心と利他心のうち、どちらか一つを選ぶほかない。西洋の文明では、利他心は自己犠牲である。利己心と利他心の関係において、東洋と西洋の「相補論」の哲学と「対立論」の哲学の違いがふたたび表れる。利他心(altruism)は、西洋の辞書や文献を引いてみると、一様に、自分の利益に反する、他人のためだけの、自分のためではない、という意味で用いられている。利他心は、「自分のためにしない」という含意を持つ(selflessness または unselfishness)。聖書にも、利他心と利己心の対立が表されている。

誰でも、自分の益を求めず、他人の益を求めよ。(コリントの信徒への手紙一10:24)

こうした哲学は、啓示宗教の律法に続いて、啓蒙の時代に人間の精神が神に取って代わりうるという合理主義にも、そのまま受け継がれた。啓蒙の時代の哲学者カントは、「真の道徳的な愛とは、他人のための実践である」と定義した。彼は「人間を手段としてではなく目的として」扱わなければならないと強調したが、それはこうした哲学と軌を一にしている。カントは、倫理の出発点として、精神にもとづく定言命法(categorical imperative)による道徳的義務論(deontology)を唱えた。彼は、人間は精神のなかに道徳法則を持って生まれると考えた。神は人間の営みに介入しないという啓蒙の時代の理神論の哲学体系のなかで、こうしたカントの哲学は「コペルニクス的転回」(Copernican Revolution)と呼ばれ、西洋の合理論者たちから崇められた。しかし、結局は「神の律法」を「人間の精神」が置き換えた形である。

東洋では、利他心を「啓発された利己心」(Enlightened self-interest)として分析する。利他心は、持続可能な長期的な利己心を追い求めるために必要な要素である。共同善が、啓発された利己心となる。東洋の哲学には、共同善のために自分の利益を捨てて他人の利益を追い求めよ、という西洋式の対立的な主張は見当たらない。東洋において共同善とは、自分の利益と他人の利益をともに追い求めようというものである。個人主義が唱える「私」の重要性と、関係主義が唱える「我々」の重要性の違いである。東洋の文明は、関係主義にもとづく「我々」の重要性を核心としているので、自分と他人の利益をともに唱える共同善が可能なのである。孔子は『論語』で、共同善すなわち啓発された利己心の要を説明している。

夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。(『論語』雍也6:30)

ここで重要なのは、「自分を犠牲にすること」ではなく、「自分の利益のために他人の利益」も追い求めようということである。他人の利益を考えることが、結局は自分自身の利益にとっても最善となる、という関係主義的な哲学である。西洋の「誰でも、自分の益を求めず、他人の益を求めよ」という命題は、自分と他人を分ける西洋の対立論から出てきたものである。相補論に立脚した東洋の文明から見れば、「自分の利益と他人の利益はともに追い求め」てこそ現実性がある。西洋の倫理における対立論の命題は、「自己保存の本能」に反する人間の本性を想定している。自分を捨ててこそ他人のためになるという対立論には、現実性が欠けている。倫理は、結局は自分のためのものでなければならない。荀子は、倫理と法が「我々」のためにあるものであることを説明する。すなわち、倫理は自己保存のために必要な啓発された利己心なのである。

今当に試みに君上の勢を去り、礼義の化を無くし、法正の治を去り、刑罰の禁を無くし、倚りて天下の民人の相与するを観るべし。是くの若くならば、則ち夫の強者は弱を害して之を奪い、衆者は寡を暴して之を嘩し、天下の悖乱して相亡ぶること、頃を待たず。(『荀子』性悪23:7)

倫理は、結局、自己保存という人間の本性に属する。東洋において倫理は、道徳的な命令でもなく、自己犠牲でもない。自己保存に属する啓発された利己心である。西洋では、いまようやくこうした哲学的な思考を始めているように見える。

自己保存という生物学的な現実が、人間の倫理をつくり出す。我々自身を守ろうという譲ることのできない必要のために、我々は必ずほかの人も守られるように助けなければならない。もしそれに失敗すれば、我々自身が滅びることになる。自己保存という基本原則に込められた基準を、我々自らが裏切り、捨ててしまうことになるからである。361

人間は、ほかのどんな動物とも違って、貪欲を持って生まれる。貪欲を癒すことのできるのが倫理である。見てきたように、人類の偉大な先覚者たちは、みな隣人愛を倫理の基準として示した。東洋の文明において、倫理は神の命令ではなく、自らの悟りによっておのずとそうなるものである。

道の尊く、徳の貴きは、夫れ之に命ずる莫くして常に自ずから然り。(『道徳経』第51章)

東洋の文明において、倫理は神ではなく自然から出てくる。自然をありのままに見て学ぼうという道の倫理である。東洋の文明に内在する利己心と利他心の調和という概念は、西洋にはない哲学である。西洋の人々は、倫理を神に頼っていた。東洋の人々は、倫理を自然に頼っている。すなわち、自然が人間に示した道に従っていく。道は、利己心と利他心を調和させる方策を示しているのである。

東洋の人性論における核心的な課題は、人間の本性に存在する強力な利己心と弱い利他心をどう扱うのかという問題である。儒家や道家では、利他心は自分のための啓発された利己心として扱われる。すなわち利他心は、利己心の犠牲ではなく、究極的には利己心の一部となる。孔子は、利己心と利他心の調和を、人間の個性の養育の重要な徳目として示す。「己立たんと欲して人を立つ」(『論語』雍也6:30)。人間は、自然が生物の多様性を保つように、自己保存のために利己心を減らし利他心を当てはめるすべを学んでこそ、均衡が保たれる。『道徳経』もまた、均衡をなす自然の秩序を語っている。「天の道は、余り有るを損じて、足らざるを補う」(『道徳経』第77章)。

血縁選択と互恵的利他主義

東洋の文明が唱える「啓発された利己心」について、近年、西洋の科学的な哲学者たちが、それを裏づける自然主義にもとづく理論を提供している。西洋の学者たちが唱える「血縁選択」(Kin selection)という20世紀後半に形づくられた発見によって、啓発された利己心は確かな科学的な源を持つことになる。血縁選択は、倫理の源が精神ではなく感情にあることを、人性の次元で証明している。この点は、西洋で流行しているカントの哲学と対照をなす。血縁選択は、カントよりもデイヴィッド・ヒュームの哲学体系に従っている。ヒュームは、人間の倫理は人間が生まれ持った人間の本性の制約を受けると主張し、逆にカントは、倫理は感情という本性の制約を受けない自由な精神の産物であると主張する。カントは、倫理は完全に精神から出てくると考えた。ヒュームは、倫理は精神ではなく本能に基礎を持っていると考えた。

西洋の一部の思想家たちの頭のなかに、ついに啓発された利己心の種が見いだされることになる。道徳についての判断は、精神から出てくるものではない。感性が源であると主張するようになったのである。イギリスの生物学者ハミルトン(Hamilton)は、1964年に血縁選択という考えを唱えた。これは、利他心は自分自身のための遺伝的な選択に属するという発見にもとづいている。こうした人性論的な発見によって、西洋ではじめて、血縁選択は利己心に従うという哲学が出てくる。ドーキンス教授は、利他心は徹底した利己心に属するものとして説明する。

一見すると血縁選択は利他心から出てきたものに見えるが、生物学的な遺伝子の次元で見れば、徹底した利己心の表れである。362

遺伝学的に見れば、人間はきわめて利己的であり、例外的に利他心を見せるという本性を持っている。人間の本性は、強力な利己心と弱い利他心を持って生まれるという主張である。

遺伝的に成功する遺伝子は、きわめて利己的に働く。だから人間も利己的に行動する。しかし例外的に、我々の利己的な目的は、限られた利他心を発揮するときに達成されうる。例外的に、そして限られた場合に、という表現が重要である。我々がどれほど望んでも、普遍的な愛や全体の福祉のようなものは、我々の遺伝子が支配する進化にはないと見なければならない。363

それにもかかわらず、我々が利他心と配慮を倫理として育てなければならない理由は、我々が生まれ持つ利己心があまりにも強力だからである。強力な利己心と弱い利他心が共存しているのが、我々が避けることのできない人間の本性の現実である。

我々は、配慮と利他心を懸命に教えなければならない。なぜなら、我々は利己的に生まれるからである。そうすれば、我々の利己心が支配する遺伝子が、ほかの生物には見込みのない、利己心を抑える働きを発揮できるからである。364

利他心は、人にも動物にも同じように生じる。すなわち、自分を犠牲にして血縁を助け、長い目で見れば、遺伝的に自分は死んでも自分をかたちづくる遺伝子を繁殖させるという論理である。動物の世界では、こうした「互恵的利他主義」(Reciprocal altruism)は、倫理的によい行いとして称えられはしない。利他心は利己心の一種である。しかし互恵的利他主義は、人間の社会でだけ称えられる。こうした状況を踏まえ、利他心を自己犠牲としてだけ扱ってきた西洋の文明で、それを解消するために「互恵的利他主義」という言葉が登場する。グールド(Gould)教授は、それを次のように説明している。

ダーウィンの進化論によれば、逆説的に、利他心と利己心はともに進化論に従って選択されうる。利他心は個人の利益を生み出しうる。ほかの人とともに相互の義務関係を築いたり、あるいは血縁を助けて利他心の遺伝子を複製できるようにしたりするからである。365

したがって、結局、互恵的利他主義もまた、自己保存という究極の目的に属する。こうした命題のもとで、人間の内には強力な利己心と弱い利他心が共存しており、我々はそうした属性のなかで生活しているのである。グールド教授は、こうした共存が一種の囚人のジレンマのゲームを繰り広げていると見る。

結局、利己心と利他心のあいだで、動植物も人々も、「囚人のジレンマ」のゲームを繰り広げている。その目的は自己保存である。366

こうしたゲームを社会全体に広げてみると、繁栄する社会の文明と、そうでない社会の文明とが、地球上に存在することがわかる。成功する社会は、遺伝子に属する互恵的利他主義を、学びによって広げる文明を持っている。利他主義は強力な利己心に比べてきわめて微弱な存在なので、学びによってそれを強めてこそ、利己心と均衡をなしながら社会のなかで働くのである。

きちんと回っている社会には、互恵的利他主義が存在する。この論理は、遺伝子に属することもあれば、学びによって身につけられることもある。367

我々は、利他心について東洋と西洋の文明がどのように異なる哲学を持っているのかを見てきた。儒家と道家では、互恵的利他主義を実践すること、すなわち人間の個性の養育を、学びによる最大の目標としている。東洋は、啓発された利己心として利他心を評価し、それについての文明的なコンセンサスをつくり出した。こうした哲学体系が文明の核心として根を下ろした時期が、紀元前5世紀から4世紀であった。東洋で人性論が確立された時点である。

西洋は、利己心と利他心を闘争的に見て、宗教の力を借りなければ利他心を人間に吹き込むことはできないと考えた。こうした啓示宗教が啓蒙の時代を経て理神論に至るまで発展を続け、近年になって、西洋の思想家たちは「宗教的な倫理」を離れ、自然な「啓発された利己心」、すなわち「互恵的利他主義」という哲学に到達する。こうした過程を経て、西洋の人性論は、東洋の人性論とはじめて自然哲学的な合致点を見いだすことになるのである。

注

  1. 326

    Baruch Spinoza, Traité théologico-politique, 前掲書, p.242

    ↩
  2. 327

    Baruch Spinoza, Traité théologico-politique, 前掲書, p.103

    ↩
  3. 328

    車柱環『孔子』(韓国語)、三星文化文庫、pp.249–250。

    ↩
  4. 329

    同上

    ↩
  5. 330

    李之浩訳注『ハングル孟子』(韓国語)、博英社、p.42。

    ↩
  6. 331

    G. W. F. Hegel, Leçons sur la philosophie de l’histoire, 前掲書, 第1章を参照。

    ↩
  7. 332

    朴錫一訳『ウパニシャッド』(韓国語)、正音文庫、p.81。

    ↩
  8. 333

    H. G. Wells, 前掲書, vol. I, p.313.

    ↩
  9. 334

    E. A. Burtt、朴琦俊訳『仏教の真理』(韓国語)、瑞文文庫、pp.50–51

    ↩
  10. 335

    Walpola Rahula, L’Enseignement du Boudda, Seuil, Paris, 1961. P.76.

    ↩
  11. 336

    Walpola Rahula, 前掲書, p.28.

    ↩
  12. 337

    Maurice Percheron, Le Bouddha et Bouddhisme, Seuil, Paris, 1956, p.39

    ↩
  13. 338

    Baruch Spinoza, Traité théologico-politique, 前掲書, p.241.

    ↩
  14. 339

    Voltaire, 前掲書, p.270.

    ↩
  15. 340

    ノーベル文学賞を受けた歌手ボブ・ディランは、人間は結局他人のために働くほかないという信念を持つようになった(カントの哲学に似ている)。感銘を受けた彼は、歌をつくった。「誰かに仕えなければならない」(Gotta Serve Somebody)という題をつけて、ヒット曲を出した。これに対して、ビートルズのジョン・レノンは、ディラン流の倫理の虚構を見た。人間は自分のためにあることが基本だと見たのである。レノンはディランをあざけって、「自分に仕えよ」(Serve Yourself)という歌で応じ、それを自宅でデモとして録音した。この歌は、彼の死後になってはじめて発表された。

    ↩
  16. 341

    Maurice Percheron, Le Bouddha et Bouddhisme, Seuil, Paris, 1956, p.39

    ↩
  17. 342

    Maurice Percheron, 前掲書, p.43.

    ↩
  18. 343

    H. G. Wells, 前掲書, pp.316–317 を参照。墨子も同じ考えを表した。彼は、兼愛が別愛に取って代わらなければならないと言っているが、これは、人間が心のなかで排他的な利己主義、すなわち別愛を取り除き、その代わりに、他人の身を自分の身のように見る姿勢、すなわち兼愛で満たさなければならないと言っているものと見ることができる。(『墨子』兼愛篇、p.147を参照)

    ↩
  19. 344

    Kenneth K. S. Chen, Bouddhism, p.58·73.

    ↩
  20. 345

    Erich Fromm, The Dogma of Christ, A Fawcett Premier Book, 1955, pp.72–73, 92–93; H. G. Wells, 前掲書, p.212.

    ↩
  21. 346

    Baruch Spinoza, 前掲書, p.212.

    ↩
  22. 347

    Voltaire, 前掲書, p.385.

    ↩
  23. 348

    Voltaire, 前掲書, p.403.

    ↩
  24. 349

    Isaiah Berlin, Karl Marx, pp.316~317.

    ↩
  25. 350

    Emmanuel Kant, Critique de la Raison Pratique, Puf, pp.87~91.

    ↩
  26. 351

    東洋の道の文明では、信念と倫理の衝突のような事例は起こらない。司祭階級や神を守る階級がないからである。不顕、無為、陰陽の思想によって、倫理と自己保存は衝突しない。しかし東洋でも、倫理の次元での人間的な衝突は依然として避けられない。東洋で指導者が無能な場合、指導者に従うべきなのか、それとも指導者を批判し反対すべきなのかという問題が生じる。西洋では信仰(理念)の次元の問題が、東洋では倫理の次元の問題が、人間の営みの主な争点として生じるのである。

    ↩
  27. 352

    Bertrand Russell, The Bertrand Russell Collection: 8 Classic Works (Place : Waxkeep Publishing, 2014), Kindle Edition, locations 10424–10425.

    ↩
  28. 353

    Friedrich Wilhelm Nietzsche, 前掲書, p.38.

    ↩
  29. 354

    林語堂『続 生活の発見』(韓国語訳)、学友社、pp.358–378。

    ↩
  30. 355

    Richard Dawkins, The God Delusion (New York: Houghton Mifflin Harcourt, 2008), Kindle edition, 241.

    ↩
  31. 356

    Stephen Jay Gould, Ever Since Darwin: Reflections in Natural History (New York: W. W. Norton & Company, 1992), 261–62.

    ↩
  32. 357

    西洋の哲学史では、デカルトとスピノザをともに合理主義者と評価している。二人がいずれも、人間の個性の表れにおける精神の核心的な役割を重んじた点では、一理のある評価である。しかし、精神中心の度合いにおいて、二人のあいだには大きな違いがある。デカルトは精神を極大化して、「我思う、ゆえに我あり」と叫んだ。しかしスピノザは、自己保存の本能を重んじ、人間もこうした本能に従うことになると見た。彼には、「我あり、ゆえに我思う」という表現のほうがふさわしい。のちにハイデガーが唱えた立場に似ている。デカルトの哲学に従えば、我々は、精神が人間に取って代わる「狂った」イデオロギーの時代に行き着く。しかしスピノザは、精神が人間を代表するという考えに同調せず、情念が人間の本質であると見た。

    ↩
  33. 358

    David Hume, The David Hume Collection: 17 Classic Works (Waxkeep Publishing, 2013), Kindle edition, locations 6742–6745.

    ↩
  34. 359

    David Hume, The David Hume Collection: 17 Classic Works (Waxkeep Publishing, 2013), 6,152–54, Kindle edition.

    ↩
  35. 360

    Bertrand Russell, Last Philosophical Testament 1943-69, Edited by John G. Slater, 1997, Routledge, London and New York, 424

    ↩
  36. 361

    Antonio R. Damasio, Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain (Orlando, FL: Harcourt Brace, 2003), 171.

    ↩
  37. 362
  38. 363

    Dawkins, The Selfish Gene: 30th Anniversary Edition (Oxford: Oxford University Press, 2006), Kindle edition, 2.

    ↩
  39. 364

    Ibid., 3.

    ↩
  40. 365

    Gould, The Mismeasure of Man, 5744–48.

    ↩
  41. 366

    Ibid., 202–03.

    ↩
  42. 367

    Gould, Ever Since Darwin, 256–57.

    ↩