1) 道、「仁ならず」 vs 神、「慈しみ深い」
道と神は、根本的に異なる態度で人間を扱う。道は『道徳経』で自ら「わたしは仁ならず」と宣言する。一方、神は「わたしは慈しみ深い」と宣言する。なぜこうした正反対の表現をしたのだろうか。
道:天地は仁ならず。(『道徳経』第5章)
神:主は恵み深く、その慈しみはとこしえに続く。(詩編106:1)
道はすべての人間に当てはまるが、神は神を信じる人間にだけ働く。道は、人間が好むと好まざるとにかかわらず、人間がみな従わなければならない自然の法則である。だから、慈しみ深いという人間の判断に属する観念には当てはまらない。道は宇宙万物の源であるから、特定の人や特定の集団のためのものにはなりえず、すべての者のものである。こうした道の概念は、ユダヤ教のカバラ哲学にそのまま表されている。「神は世界の外の超越的な存在ではなく、世界のうちに内在して万物のなかに存在する。」それゆえ道は、人間とほかの万物を区別しない。しかし道は、人間を含む万物を分け隔てなく育て養う役割を果たすことで、欠かせない存在となる。
夫れ唯だ道は、善く貸し且つ成す。(『道徳経』第41章)
神はすべての人間を包み込むという目標を持っているが、実際にそれに成功した啓示宗教はなく、神は神を信じる人々にだけ働く。神を知らない人々とは関係がないという状況を、歴史は示している。自らを認める人々に対して、神は慈しみ深くなければならない。反対に、自らを認めない人々に対して、神は慈しみ深くあってはならない。
啓示宗教では、人は神との契約によって選ばれた者として守られる。その代価として、いけにえと祈りを捧げることになる。こうした要求はアブラハムに始まり、出エジプトの過程を通じて具体化された。モーセ五書のうち、レビ記、民数記、申命記は、こうした要求をきわめて細かな法律と制度として法制化している。神は、教義を信じて実行する人間にだけ働く。反対する者は敵とする。
あなたがわたしの告げることをすべて行うなら、わたしはあなたの敵の敵となり、あなたの仇の仇となろう。(出エジプト記23:22)
こうした神を信じない者には、永遠の罰が約束される。それゆえ啓示宗教において、神は「ねたむ神」でありつづけるのである。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神である。わたしを憎む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代まで報いる。しかし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(出エジプト記20:5―6)
道は、神とは違って、人間の営みに直接干渉しない。では、人間の営みに干渉しない道に、なぜ人間が関心を持たなければならないのか、という問題が提起される。「人間の営みに干渉しない」ということは、「存在しない」ということとはまったく違う。存在しないとは、ないという意味である。存在しないのだから、我々は無視してもかまわない。しかし干渉しないということは、つねに人間に影響を及ぼしているが、人間のする仕事や行動に、奇跡のようなものを通じて個別に干渉することはしない、という意味である。つまり、道が人間の営みに干渉しなくても、人間は自分自身のために、つねに存在する道に従わなければならないということである。神のように人間の営みに干渉して運命を変えるから人間が従わなければならない、というのとは違う意味を持っているのである。
神は善悪論によって人間に賞を与えたり罰したりする。しかし道は、道に従う人に賞を与えることも、道に従わない人に罰を下すこともしない。人間の吉と凶は神が決めるのではなく、人間の行いから生じる。たとえば、穀物が育つときにしっかり働いて穀物を育てれば、冬に穀物が育たないときにも食べるものがあって吉となる。しかし道の教えに背いて、穀物が育つときに穀物を育てなければ、冬に食べるものがなくなって凶となる。つまり、道に従えば人間に福があり、従わなければ不幸な結果を招くという立場である。道は、神とは違って、擬人化、奇跡、契約を通じずに、すべての人間に等しく存在するものである。こうした哲学は、荀子によって具体的に説かれている。
天行常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。之に応ずるに治を以てすれば則ち吉、之に応ずるに乱を以てすれば則ち凶……道を修めて弐わざれば、則ち天も禍すること能わず。(『荀子』天論)58
モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出するとき、神は十の奇跡を行ってファラオを屈服させた。そのなかで最も強力な奇跡は十番目のもので、エジプトのすべての長子と家畜の初子を殺すことであった。イスラエルの民は、門柱に血を塗ることでこの罰を免れた。神はこの行為によってファラオを屈服させ、イスラエルの民のエジプト脱出を成し遂げさせる。その代価として、神はイスラエルの民に祭祀と儀式を求め、それについて詳しい指示を下す。59 これが過越(Pascha、「過ぎ越す」の意)の祭りと祭祀の起源となった。こうした儀式と指示に従う者だけが、神の保護を受けるのである。
あなたがたの子どもが『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねたら、こう答えなさい。『これは主のための過越のいけにえである。』(出エジプト記12:26―27)
これによって神と人間のあいだの契約のすべての条件が整い、神への服従と人間の保護が、互いに約束されることになる。
モーセは来て、主のすべての言葉とすべての定めを民に告げた。民はみな声をそろえて答えた。「主が語られたことを、わたしたちはすべて行います。」(出エジプト記24:3)
神は十戒と律法を通じて、契約の内容を人間に伝える。十戒は、啓示宗教においてかならず守らなければならない神の法律である。これが、西洋文明が倫理ではなく法を重んじる決定的な契機となる。
神はシナイ山でモーセと語り終えると、自らの指で書いた二枚の石の証しの板を彼に授けられた。(出エジプト記31:18)
続いて十戒を皮切りに、啓示宗教では神と人間のあいだの約束が次々と結ばれていく。西洋の宗教において、神と人間の関係の核心は、両者のあいだで結ばれた「契約」(covenant)である。これが「契約」という形で完成される。こうした契約は、やはり神の奇跡を通じて人間に保証される。
見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは、世界のどこでも、どの国民のあいだでも行われたことのない奇跡を、あなたの民すべての前で行う。(出エジプト記34:10)
神と人間のあいだのこうした契約は、啓蒙時代前後の近世になって、西洋の人間の本性をモデルとした「社会契約論」のモデルとなる。60 東洋の道は、別の思考の始まりである。神は人間に保護を与える代価として、祭祀、いけにえ、そして儀式を求めるが、道はそうしたことから超然としている。道は、とくにどの人間や部族を守ることも、その代価を求めることもしない。道は自然の一部として、太陽や雨のように、人間を含むすべての存在に公平に施し、その過程でいかなる見返りも期待しない。行いを終えた後も、道は何も求めない。
大道は氾として、其れ左右すべし。万物之を恃みて生ずるも辞せず、功成りて有せず。(『道徳経』第34章)
とりわけ宗教儀式にかんして、西洋の神とは違い、東洋の道は人間に祈りや祭祀を求めない。とくに贔屓する者がいないのだから、祭祀をせよと求めることもできない。また、たとえ人間が祈りや祭祀をしたとしても、奇跡を起こして助けることのできる立場に立ってもいない。ただ、道によく従えば吉となって物事がうまく運び、道に背けば凶となって物事がうまく運ばない、という立場をとっているのである。
紀元前にすでに荀子は、日食や月食のときに祈りを捧げ、日照りのときに雨乞いをするのは文化のひとつの飾りにすぎず、そうしたことをしたからといって望むことがかなうわけではないと説いている。彼は、祭祀の必要は人間の側にあるのであって、実際に望むことがかなうかどうかとは無関係であることを説いている。そして、人間の社会に必要な文化のひとつの飾りとして雨乞いをするのはよいが、本当にそれを信じて雨乞いをするなら、その国に災いをもたらしかねないと考えた。
雩して雨ふるは何ぞや。曰く、何も無きなり、猶お雩せずして雨ふるがごときなり。日月食すれば之を救い、天旱すれば雩し、卜筮して然る後に大事を決するは、以て求むるを得んと為すに非ず、以て之を文るなり。故に君子は以て文と為し、而して百姓は以て神と為す。以て文と為せば則ち吉、以て神と為せば則ち凶なり。(『荀子』天論)
神は選ばれた者を守る絶対的な存在となり、選ばれた者は神に絶対的に仕えなければならない。神は信者たちに宣言しつづける。「神は慈しみ深い。」しかし道は、こうした選びや服従とは関係がない。道は自ら宣言する。「道は仁ならず。」東洋の文明では、道は神とは異なる概念として人間に近づく。道は、人間が避けようとしても避けられない、つねに存在するものである。一方、啓示宗教では、神は神の恵み(Grace)によって選ばれた者にだけ働く。道の法則は、人間の感情に左右されない永遠の表現である。こうした東洋の宇宙観は、自然と宇宙には人間が想像するような表現や目的を設定することはできない、という観察と軌を一にしている。
道は人間に分け隔てのある仁を施さず、誰に対しても公平である。「否定」の方法による表現さえ拒む不顕の道は、ただひとつだけである。さまざまな分裂も解釈もない。二つの道はありえず、ひとつの道のなかでもさまざまな解釈が存在することはありえない。しかし「肯定」の表現を用いる示顕の神は、異なる表現や解釈が存在することを避けることができない。このように、道の否定と神の肯定は、絶対真理の表現の方法において異なっている。
道はすべての人間に当てはまるが、人間のする事の結果は人間がつくるものであり、道はその過程に介入しない。そして人間は、自然のすべての存在と同じく、やがて消え去るということを示している。
天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。(『道徳経』第5章)
道と神を区別する特性のひとつは、神が善い面を強調することである。「神は慈しみ深い」という宣言が繰り返される。神は慈しみ深いので、罪人である人間に、善と悪を見分ける道を教える。
主は恵み深く正しい方であるから、罪人に道を教えられる。(詩編25:8)
主に感謝せよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに続く。(詩編136:1)
西洋の神が慈しみ深いという表現は、神が人間の感情を持つようになったことを意味する。一方、道は慈しみ深くもなく、人間の感情の世界を超えた原則のままである。
道の否定神学 vs 神の擬人化
示顕は「肯定神学」(cataphatism)である。絶対的な存在を肯定的に表現することを追求する。肯定神学という語のギリシア語の語源は、肯定(affirmation)あるいは語ること(to speak)に由来する。「神は慈しみ深い」がそれである。つまり、神を肯定的に表現するのである。光、正義、真理、生命として神を表現する。そのため神は、闇、不正、偽り、死に対して激しく反対する立場をとることになる。道は不顕の方法に従い、「否定神学」(apophatic theology、絶対的な存在を否定的に表現すること)を追求する。「Apo」は「否定する」という意味である。「否定神学」という語は、ギリシア語の語源における「否定」(negation)の意味に由来する。
「道は仁ならず、神は慈しみ深い」という、東洋と西洋を比べる思考には深い意味がある。哲学者たちは「否定神学」と「擬人化」という用語を使って、これを説明してきた。「否定神学」は、スピノザに影響を与えたマイモニデスが唱えた神の概念にも説かれている。61 マイモニデスは「神は人間の言語で直接説明することはできず、ただ否定を通してのみ近づくことができる」と主張した。マイモニデスは1135年にスペインのコルドバで生まれ、1204年にエジプトで没した中世ユダヤの哲学者・神学者・医師である。彼の否定神学は、道が強調する不顕の哲学の核心である。『道徳経』の最初の句である「道の道とすべきは、常の道に非ず」(道可道非常道、表現された道は永遠の道ではない)が、まさに否定神学を意味している。『道徳経』で「道は仁ならず」と表現したのが、まさに否定の方法で絶対真理を示す方法である。「神は慈しみ深い」という西洋の肯定神学の設定とは正反対の表現である。神は善であるという表現は、善の反対、すなわち悪はどこから来て、なぜ存在するのかという根本的な問題を提起する。道の哲学には、そうした問題はない。
不顕論は、道家だけでなく儒家でもそのまま受け入れられている。孔子は「道はこの世では行われないだろう」という表現を用いている。道という絶対真理を追求しながらも、果てのない道はこの世で実現しえないことを受け入れているのである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(『論語』里仁4:8)という表現がそれである。
神は慈しみ深いという表現は、神が擬人化の過程を経るなかで形づくられる。否定神学は道の哲学的思考を説明する。擬人化は神の哲学的思考を説明する。擬人化(anthropomorphization)は、ギリシア語で人を意味するアントロポス(anthropos)と、形を意味するモルフェー(morphe)を組み合わせてつくられた語である。絶対真理である神が、人の形を持つようになるという意味である。神は人のようになってはじめて、人に神の意志を伝えることができるからである。擬人化を通じて、神は人のように形と感情を持つようになる。力強い形で人間に近づいてくる。しかしそこには危うさが潜んでいる。それは、絶対真理の示顕に反対する人々に向けられる強い敵意である。信じる者と信じない者のあいだに、善と悪という存在論的な敵対感が生まれるのである。
一方、東洋の道は、西洋の神とは違って、一貫して擬人化を拒む。道には、人間に見せるような人間に似た姿が何もない。どんな名も拒む。道は見えてもいけない。こうした特性は『道徳経』で何度も強調されている。
道は隠れて名無し。(『道徳経』第41章)
道はつねに存在するが、人間の営みに個別に干渉しないので、人間は見ることも呼ぶこともできない。自然の道である道は、会得することはできても、見ることはできない。
夫れ道は、情有り信有り、為す無く形無し。伝うべくして受くべからず、得べくして見るべからず。(『荘子』内篇・大宗師)
道は擬人化を拒むが、聖書は、神が擬人化を人間との意思疎通に欠かせない過程としてそれに執着していく過程を示している。擬人化を通じて神は人の形を持つようになると同時に、善悪、正義、ねたみ、怒りなど、人間の持つ感情も持つようになる。神が人間のようになると、どんな事態が起こるだろうか。人間と直接意思を通わせることで、神は人間に対して強力で直接的な伝達力を持つようになる。しかし問題も生じる。擬人化される神は、自らの個性を人間的に限定することで、神の絶対性に疑問を抱かせるのである。
世の中には、神が人間のように本能と精神を持ち、感情を持っていると考える人がいるが、彼らは事実からはるかに離れて道に迷っている人々である……絶対的に無限な存在である神を、そうした属性を持つものとして想像するのは、きわめて愚かなことである。(スピノザ『エチカ』第1部定理15)
擬人化を経て、示顕論は強い力を持つようになる。人間に直接表され、従う者に対する訴えかける力が大きい。絶対的な服従を引き出す強さがある。擬人化は同時に危うさも持つ。擬人化の過程に疑いを抱く人が、必然的に現れるからである。信じない人々に対しては、神と預言者が見いだし表現しうる最も恐ろしい警告がなされる。モーセ五書は、疑う者たちに対して、10代の子孫にまで及ぶ苦難を予告している。
西洋の神は、東洋の道とは違って、すでに人間のような顔と声を持ち、人間と直接対話し、指で文字まで書く。これらはすべて、神が人間の営みに介入できるようにするために用いられる。創世記によれば、人間は神の姿に似せてつくられた。
神は言われた。「我々に似せて、我々のかたちに人をつくろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、すべての野の獣、地を這うすべてのものを治めさせよう。」(創世記1:26―27)
神が人間を創造するとき、すでに「人を神のかたちにつくろう」と宣言したことで、神の擬人化はすでに方向が決まっていたと言える。ギリシアの哲学者のなかには、擬人化の問題を提起した人々がいた。クセノパネス(Xenophanes、紀元前570ごろ―前475ごろ)がそのひとりである。彼は「偉大な神は、その絶対性を保つためには、人間の姿や心に似ていてはならない」と主張した。クセノパネスは紀元前6世紀の人であり、ソクラテス以前のギリシアの哲学者のなかで、ヘラクレイトスとともに不顕論を唱えた最も重要な人物に数えられている。クセノパネスは、神が人間の形を持つようになれば、人間の営みに直接干渉することになると考えた。そうなれば、神と人間のあいだに互換性が生じ、人間は神のようになりたいという欲望を持つようになると考えたのである。62 同時に、人間の部族や動物たちが、それぞれ自分に似たさまざまな神をつくるだろうと皮肉っている。
エチオピア人は自分たちの神が黒い肌で平たい鼻をしていると考え、トラキア人は自分たちの神が青い目で赤い髪をしていると考える……もし馬が神の顔を描いたなら、馬の顔のように描くだろう。牛は自分の神を牛の顔のように描くだろう……そしてその姿も、馬や牛の形にならって描くだろう。63
クセノパネスの後、ディオニュシオス(偽ディオニュシオス・アレオパギテス、5世紀ごろの哲学者)も神の擬人化に反対していた。神が人間の形で表されれば、それは結局、人間が神の権威を借りて神のように振る舞おうとする危険な行為に直結するだろうと、彼は警告していた。
擬人化の過程は、東洋の文明にはなじみのない概念である。道が人間のようになるという現象が、東洋では起こらなかったからである。『道徳経』は、道が人間のようになってはならない次第を繰り返し説いている。絶対真理は、どんな形であれ表現されれば、絶対性を失ってしまう。一方、西洋の神の擬人化の過程、すなわち「人の形を持つようになる過程」は、時が経つにつれてますますはっきりしてくる。ユダヤ教の神の擬人化の過程は、モーセと神の出会いから始まる。神はモーセを通じて神の存在を説明しながら、モーセを通じてイスラエルの民が従うべきすべての律法を示した。モーセ五書であるトーラーは、律法という意味である。この律法にしたがって、ユダヤ教は一神教の宗教として、組織的で体系的な形を持つようになった。神は宗教を通じて人間の営みをつかさどるのである。
モーセはイスラエルの民をエジプトから脱出させ、「乳と蜜の流れる地」カナンへと導いた。その途中、シナイ山の近くでモーセは神から十戒を授かり、これが逆らうことのできない神の律法となる。旧約聖書の出エジプト記によれば、この過程で、モーセと神のあいだではきわめて興味深い対話と交渉が行われた。ユダヤ人たちは宿営の外に神と会う場所として天幕を張り、モーセはそこで神と対話を始めた。神が人間の言葉を使うようになるのである。
主は、人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。(出エジプト記33:11)
そのときモーセは、ユダヤ人を説得するための証しとして、神が「栄光、すなわち自らを見せてくださる」よう求める(出エジプト記33:18)。これに対して神は言う。「あなたはわたしの顔を見てはならない。わたしの顔を見て、なお生きている者はいないからである。」続けて神は言う。「近くに岩がある。あなたがそこにいれば、わたしの栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に隠し、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。そのときわたしが手を離せば、あなたはわたしの後ろ姿を見るだろう。しかしわたしの顔は見られてはならない」(出エジプト記33:20―23)。このように神は、人間のようになった自らの姿をモーセに見せるのである。
あなたはわたしの後ろ姿を見るだろう。(出エジプト記33:23)
きわめて興味深いことに、『道徳経』は、神と道の後ろ姿について、モーセ五書とはちょうど正反対の表現をしている。神は自分の後ろ姿を人間に見せるが、道は、どんな場合にも人間は道の後ろ姿を見ることはできないと宣言しているのである。
之に随えども其の後を見ず。(『道徳経』第14章)
擬人化された西洋の神は、モーセに人の姿をした自らの後ろ姿を見せる。しかし道は擬人化の過程を経ていないので、人間のように前も後ろもない。だから道は、前を見ることもできず、人間がたとえ道の後についてきても見せる後ろ姿がない、と定義しているのである。
2) 人間の行動の源泉:無為 vs 有為
『道徳経』が唱える無為には、人間の有為を牽制し、無為によって有為との均衡を見いだそうという哲学が内在している。人間の有為が、自然の道を混乱に陥れる可能性が大きいと考えるからである。人間の営みはつねに変化するが、そこには変わらないひとつの定数がある。それは、人間の本性から出る利己心、すなわち貪欲の根源である。これは、公益よりも私益を追い求める傾向を、人間なら誰でも持っているということを意味する。人間の貪欲を牽制しようというのが、無為の哲学の核心である。そうしてはじめて、社会の均衡と個人の心の調和が実現するのである。
無為の思想は、東洋の文明に、有為の必要を認めながらも有為の根本である無為を志向し、それによって有為の危うさを警告する、という基本の骨格を与えている。『道徳経』は現実への参与を否定しない。たとえば道家は、無為の思想のほうがより根本的だと考えながらも、儒家の現実参与の思想の価値を認めている。倫理に重きを置き、自然の道にできるかぎり近い人間社会の倫理とはどのようなものかを探る努力の必要を認めたのである。この点で、道家と儒家の違いは、無為と「有為の行い」の違いである。儒家が法律ではなく倫理を法律より重んじている点が、儒家の有為の行いと西洋の有為の思想との違いである。現実の人間社会では有為の行いが必要だが、それが無為を認めない有為へと堕落する可能性が大きいので、それへの警告として、有為に対する無為の重要性を繰り返し強調しているのである。
孟子は「無為にして治まる」(無為而治)を唱え、儒家の有為の行いを超える無為の価値を認めた。荀子もまた、無為を君子の行いにおける理想の境地と見た。この点で儒家は、自らの有為的な行動哲学のなかに無為の思想の価値を認め、無為を、人為ではなく天理に従う状態として高く評価した。儒家が法治ではなく徳治と礼治を上位に置いたことが、それを物語っている。
無為は文字どおりには「行動しないこと」を意味するが、時にかなった動き、すなわち「無為を為す」(為無為)を意味する。無為自然。新芽が出るとき(germinal stage)に人間があらかじめ行動すれば、変化していく未来の状況を予見できるので、それを念頭に置いて行動しようというのである。強制や過剰な介入をせず、物事の自然な流れに合わせて行動しようというのが、道の思想の核心である。自然に従おうということである。西洋の政治経済思想の核心である「自由放任」の思想と、一部似たところがある。有為ではなく無為こそが人間の営みの根源となる、という主張である。
無為を為し、無事を事とす。(『道徳経』第63章)
西洋の有為論は、人間に直接の影響をもたらすので理解しやすい。神がつくり出す存在である有が宇宙の根源であるという宇宙論にしたがって、人間がつくり出すもの、すなわち有為が人間の営みの根源となるというのである。人間の欲望や目的に応じて何かをしようとする行動である。西洋文明を代表する法律がその重要な例である。人間が主導して物事を処理し、宗教の律法や人間の精神に基づく法律や制度を中心として、人間の営みを処理しようというのである。
「存在論」を土台とする西洋の有為の思想に比べて、東洋の無為論は理解しにくい。64 それは無為論が、西洋の思考では重要視されない「変化論」を核心としているからである。宇宙の源は無にあり、無と有のあいだの変化を自然と宇宙の動きとして扱うのが東洋の哲学である。有よりも無を中心としているので、東洋哲学の思考は、無に帰る無為を人間の営みの源とみなしているのである。
東洋の歴史では、指導者の務めのなかで、有為よりも無為の思想が強調されている。中国の歴史で最高の指導者のひとりに数えられる清の康熙帝は、「無為」の二字を扁額にして、皇帝が主宰する会議の間の入り口に掲げていた。
智を以て国を治むるは国の賊、智を以て国を治めざるは国の福。(『道徳経』第65章)
皇帝や重臣などの指導者が、自らの利益を追うための政策を国家の政策と定めて民を苦しめるな、という意味である。つまり、みだりに法や訓令をつくるなという、自分自身と重臣たちへの戒めであった。東西を問わず、多くの場合、指導者が自らの確信で政策を立て、それを臣下が利用するという事態が起こるものである。彼らは法を破ったり、新しい法をつくったりして私益を満たすことになる。
故に善き者は之に因り、其の次は之を利道し、其の次は之を教誨し、其の次は之を整斉し、最も下なる者は之と争う。(『史記』貨殖列伝)
老子とともに道家の思想を代表する荘子は、人間の本性にかかわる無為の背景を説明している。宇宙のすべては変化し、育っていく。すべての芽と形は、これから育っていく方向をはらんでいるという変化論に立脚しているのである。結局、成熟と腐敗、そしてそのあいだに起こる絶え間ない変化と変形が、すべてここに内在している。荘子は、政治は民の暮らしに干渉せず、すなわち有為を小さくして、無為で臨むべきだと説いている。
彼の民に常性有り、織りて衣、耕して食う、是れを同徳と謂う。一にして党せず、命けて天放と曰う。(『荘子』外篇・馬蹄)
インド哲学にも、無と有、あるいは無為と有為と訳しうる重要な概念がある。無為はサンスクリット語で「asamskrta」と表され、「つくられていない」「形づくられていない」「制約されていない」を意味する。反対に有為は「samskrta」と表され、「つくられた」「形づくられた」「制約された」を表す。しかし、仏教が生まれたインドの哲学と東アジアの道家とでは、有と無を区別する方法に根本的な違いがある。インド哲学では無が根源であり本質であるから、有には一時的な価値しか与えない。仏教の「色即是空、空即是色」という哲学も、色すなわち有の価値は一時的なものであり、空すなわち無に重きを置いて見るべきだという点に核心がある。一方、道家は、無が根源でありながら有の役割を認める哲学を持っている。「天下の万物は有より生じ、有は無より生ず。」無と有は陰陽のように補い合っている。インド哲学に起源を持つ仏教が、東洋の道家よりはるかに無、虚、空を重んじるのも、こうした淵源を持っているからである。
人生の営みにおいても、仏教は人間の生活がもたらすあらゆる苦しみを超越した境地、すなわち解脱、涅槃を目指すが、道家は、人生の基本である衣食住が人間に与えてくれるものを楽しむことのできる姿勢が大切だと強調する。こうした宇宙観と人間の営みを重んじる東洋文明のなかで、行動を強調する儒家が、根源に帰れという道家と共存することになる。東洋の人々は、状況に応じて、また自分の置かれた立場に応じて、儒家と道家の両方を併せ持つことが多い。
無為を重んじる道家の立場は、『道徳経』によく表れている。道家は無為の思想によって、支配者や政府が個人の生活に干渉することを最大限に減らす倫理観を、東洋文明の基礎として確立した。
三十の輻、一つの轂を共にす。其の無に当たりて、車の用有り。埴を埏ねて以て器を為る。其の無に当たりて、器の用有り。戸牖を鑿ちて以て室を為る。其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。(『道徳経』第11章)
とりわけ『荘子』で強調される無為自然の思想は、人間が法律、倫理、習慣、風俗など人間のつくった文化の飾りに縛られず、自由に解き放たれて、自然のなかに人生を見いだせという、有為に対する無為の意味を核心の思想としている。これは結局、東洋の文明に、ほかのどの文明よりも、政府の干渉を受けない個人の自律を中心とする思想を広めさせた。そして貪欲から解き放たれた経済倫理を、また結局は儒家との協力によって、教育、勤勉、勤倹節約、指導者の清廉などを強調する健全な経済の枠組みをつくり上げたのである。
一方、西洋は無為に価値を与えず、有為に積極的な意味を与えている。
「あなたがたは世の光である……ともし火をともすと、その光は家のなかのすべてのものを照らす」と、行いの重要性を強調する。「種をまく人が種をまきに出て行った……ほかの種は良い土地に落ち、芽を出し、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍になった。」(マルコによる福音書4:3―8)
世の光として、また新芽として働き、人間の営みにおいて積極的に成果を得よと励ますとともに、塩のように働いて、人間の営みに必要な存在とならなければならないという役割を強調している。
あなたがたは地の塩である。塩がもしその味を失ったら、何によって塩味がつけられよう……あなたがたは世の光である……すべての人を照らすのである。(マタイによる福音書第5章)
塩や光のように努めることは有為である。上の例に見るように、器をつくり、部屋をつくることは無為である。無為の思想として表される、東洋文明の出発点をなす無極中心と、西洋文明の出発点をなす創造中心との対比が、それぞれ東西文明の基底を構成する最も重要な要素なのかもしれない。
西洋では、神は、人間が絶対に服従しなければならない律法を、預言者を通じて人間に伝える。これは、法を破ることは神を裏切り悪を行うことだと警告して法を尊重させながら、有為を強調している。しかし道の次元から見れば、法治もまた結局は人間の行為であり、究極的には有為に当たる。預言者は、神を通じることで、絶対的な神の強力な力を背景に、強さと集中力を引き出すという長所がある。そして理想郷を追い求めて未来を切り開く推進力が生まれる。しかし、こうした推進力は続かない。結局は、地政学的な条件と勢の流れに従っていくことになる。歴史的に、こうしたひとつの神、ひとつのイデオロギーが推し進める理想郷は実現しなかった。哲学的にも、ひとつの神、ひとつのイデオロギーが世界を支配するという現象は起こらない。
啓示宗教を中心とする西洋文明は、無と有のうち有を中心とし、行為においても無為と有為のうち有為を重んじる。ここからさらに一歩進んで、無と有を完全に切り分け、二元対立論を展開していく。西洋文明では、明と暗、非存在と存在などは、どれも調和ではなく対立している。一方、自然哲学を中心とする東洋の道は、明と暗、非存在と存在をともに包み込む哲学的態度をとる。したがって西洋は、宇宙と自然、人間の営みに現れる二つの個体の関係を、二元的な対立の構造として解釈する。二元対立論と善悪論は、個体どうしの関係を敵対的、あるいは対立的に解釈する。西洋の二元対立論は、主に科学や自然の現象を説明するのに用いられ、人間社会の現象、とりわけ宗教にかかわる事柄では、善悪論として具体化される。二元対立論と善悪論は、いずれも存在論から出発している。宇宙も人間も、ともに神によって創造された。そして、創造された宇宙は創造されたままに存在し、変化せず、つくられたとおりに存在しなければならないというのが、西洋の存在論の核心である。神が創造したものは永遠に存在するという原則に立脚しているのである。
二元論とは、自然現象や思考を二つの根本原理で説明する哲学である。東洋哲学では、すべてのものは独立して存在するのではなく、補い合う存在としてつねに変化するという思考によって、宇宙と人間の生を解釈する。東洋の文明は変化論に立脚しているからである。したがって、変わらない存在についての関心や推論は、東洋の文明では重要視されない。東洋の哲学史で西洋の存在論や認識論などが発展しなかったことの説明となる。その代わりに東洋では、変化論に従って変化に隠れた流れをつかんで活かすという勢の哲学とともに、人性の変化にかかわる術の哲学が発展することになる。勢や術の哲学は、西洋の思考には存在しない概念である。
東洋には、西洋の創造論や進化論に比肩しうるドグマや科学理論は存在しない。東洋では、人間は自然の一部であり自然のなかへ帰っていくという哲学を持っているので、人間が宇宙の中心であるという目的論にかかわる思想は発展せず、結局、形而上学と結びついた人間中心主義が発展する余地がなかった。東洋には自然と人間の創造をめぐる宗教的ドグマはないが、創造神話はある。それがまさに、変化論を支える盤古の創造神話である。また、ダーウィンのような精緻で科学的な進化論はないが、自然と人間の宇宙のなかでの位置と役割を説明してくれる変化論は存在する。東洋の思考の根源である変化論が発展して体系をなしたのが、まさに『易経』に込められた変化論なのである。
東洋の倫理文化 vs 西洋の法治文化
無為を重んじる東洋では倫理が法より重要となり、有為を重んじる西洋では法治が倫理より重要となる。これが東洋の倫理文化と西洋の法治文化として表れる。倫理と法律の関係が東洋でどのように整理されてきたかを見ると、東西文明の違いを理解する助けになる。東洋でも、紀元前の戦国時代のように、法が重んじられ、法が中心的な役割を果たして、戦国時代を終わらせ統一国家を実現するうえで核心的な役割を担ったことがある。この当時の法は「変法」と呼ばれたが、それは法によって封建制度を終わらせ、郡県制で国家を運営しようという革新的な内容を含んでいたからである。中国の法治では、商鞅(紀元前390―前338)、韓非(紀元前280―前233)、李斯(紀元前280―前208)といった人々が核心的な役割を果たした。商鞅が活動した時期は、王の親族勢力が権限を独占する封建制度式の古い伝統が保たれていたころであった。商鞅は国家の発展のために、王の親族勢力と平民との平等を強調する法治を唱えた。彼は、貴族を特別に扱う古いパラダイムを捨て、すべての人に平等な法を国家の根本とする新しいパラダイムを実行する変法を積極的に推し進めた。
商鞅は王の親族などの封建勢力と20年にわたって闘いながら、土地貴族を解体し、富裕層に重い税を課し、貧しい農民に土地と農業資金を分け与える法治を行った。すべての民が貧しさから抜け出し、国家が成長すれば自分の取り分もあるという期待を抱くようになった。結局、王の積極的な支援を得て、変法の政策を成功させた。しかし土地貴族の恨みを買い、20年にわたって彼を助けてきた王(秦の孝公)が世を去った後、商鞅は死刑に処された。しかし、封建制度を郡県制度に変える革命的なパラダイムは生き残り、商鞅の法治は秦を強国にした。1世紀半後に秦が天下を統一し、始皇帝は封建世襲制のもとで250年続いた戦国時代を終わらせ、中央政府が直接統治する郡県制による天下統一(紀元前221年)を成し遂げた。このとき始皇帝は、法家出身の李斯を丞相として用いた。法家の代表的な著作は、韓非によって書かれた。
法家が倫理的な価値を完全に拒み、個人の指導力より法による統治を強調し、過去の礼や理想をあざ笑った点などから見ると、儒家の思想と正面から対立するアンチテーゼを形づくっていると言える。65 「臣非、言うことを難しとするに非ざるなり……」で始まる『韓非子』の上書は、その形式や内容において、マキャヴェリの『君主論』と比べることができる。実際、『韓非子』は『君主論』のように人間の本性に対する鋭い解剖と観察を示しており、その類似には驚くほどである。66 韓非子はマキャヴェリより2000年近く先んじていた。
韓非子は君主の役割を、「明主なる者は、其の我に叛かざるを恃まず、吾の叛くべからざるを恃む。其の我を欺かざるを恃まず、吾の欺くべからざるを恃む」67 と説いている。つまり君主は、臣下が裏切れず、欺けないようにする術を、自ら備えなければならないということである。彼は、臣下とは「君主が賢明であれば心を尽くして仕え、愚かな君主であれば奸計をめぐらせてこれを試すだけだ」68 と、徹頭徹尾マキャヴェリ的な統治術を力説している。マキャヴェリは君主に、獅子の威嚇と狐の知恵をともに用いるよう進言し、69 臣下を栄誉と金銀財宝で包み込んで、裏切ろうとする心を持たせないようにする必要を力説している。70 韓非子は、臣下というものは、君主が賢明であれば誠意を尽くして仕えるが、その必要がなければ君主を利用しようとするものだから、君主はかならず、へつらう奸臣を退けることを知らなければならないと説いている。71
こうした一面で冷酷で非情な現実論は、春秋戦国時代のような乱世には当てはまり、秩序を回復するためには必要だったのかもしれない。しかし、その後2000年にわたって統一天下を保った中国では、仁と義が尊ばれ重んじられて調和と中庸が目指されたため、対立と葛藤の上に築かれた法家の思想は、倫理を重んじる儒家の思想に、重要性の第一の座を譲ることになった。
郡県制が実現した統一国家では、政治と行政を通じて平和と安定を図ることがより重要になった。そのため法は、国家の統治手段の重要な要素ではあるが、国家の正常な政治と行政を助ける倫理や無為を含む道家と儒家の哲学と協調することになる。これは結局、「黄老思想」や「外儒内法」という形へと発展していく。道家の無為と儒家の倫理を外に掲げながら、内なる法治によって統一国家の運営に寄与するという形を整えるのである。無為を中心とする徳治と、倫理を中心とする礼治が、法治よりも重要になっていく。
聖書には、家族の関係においても神への崇拝をまず考えるよう命じている箇所があり、それは神の崇拝が第一の法であることを明らかにしている。
わたしが地上に平和をもたらすために来たと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのである。わたしが来たのは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるためである。人の敵は自分の家の者である。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。(マタイによる福音書第10章)
東洋では、紀元前4世紀に商鞅の変法が行われたことで、法律と倫理が衝突することになった。家族関係より法律が重要だとする連座制が、とりわけ問題となった。家族や隣人まで犯罪に巻き込む連座制は、倫理を壊し、恐怖を広めていった。秦から天下統一を受け継いだ漢は、紀元前2世紀にはすでに、倫理が法律より重要だとする外儒内法の体系によって、この重要な問題を整理した。司馬遷の『史記』では、商鞅の変法は秦を強国にした革新的な制度であると同時に、人間の倫理と道徳を超える冷酷な法治として描かれている。司馬遷は、商鞅の法治が成し遂げた制度上の成果とともに、それによる悲劇と抵抗を強調しながら、法律が倫理を圧倒したときに起こる事態を描いている。
東洋のこうした「倫理を掲げながら法律を活用する」という思想は、陰陽論によってよく説明される。
東洋の宇宙観は、無極と太極の構造を中心とする。どちらも重要だが、そのうち東洋では無極が太極に先立つと考える。一方、西洋の宇宙観はカオスからの創造を強調し、創造がカオス(無秩序)を克服して、すべてを支配すると考える。こうした違いが、東洋と西洋がそれぞれ陰陽論と善悪論を基礎とする文明を持つようになった根拠となる。結局、東洋と西洋は、それぞれの文明の基礎に、互いに対照をなす宇宙観を持つことになった。東洋は無極と太極の変化を中心に補完と陰陽の原則に従い、西洋はカオスと創造のあいだの対立的で善悪的な原則を中心とするようになる。
東洋の自然哲学の思想は、「吾が生や涯り有りて、知や涯り無し」という原則を受け入れている。不顕の原則を尊重すれば、宗教や形而上学的な理論のような、ひとつの思想に傾くことはない。ひとつの真理にすべてを賭け、それを押し広めるために善悪論的な闘いを繰り広げることにふけることもない。西洋の示顕論では、神は預言者を通じて、知識の果て、すなわち絶対真理を人間に伝えることができると考える。人間は知識の果てに到達し、永遠の真理に触れる。示顕論には絶対真理に到達するという強さがあるが、同時に、それに必然的にともなう危うさをはらんでいる。従わない者たちに対する恐ろしい警告である。示顕論にともなう強さと危うさは、結局、善悪論を引き起こす。信じる者と信じない者をめぐる善悪論が、その出発点となる。
我々は西洋のパラダイムによる世界支配のもとで、西洋の法律中心の体系や組織、慣習の例にあまりにも多く接している。こうした現象との均衡をとるために、東洋の倫理中心の文明の特徴をいくつか見てみよう。紀元前4世紀、斉の国は文化と学問を活用しようとする政策をとった。斉の都、臨淄の西の稷下に、世界最初の国立の学問研究所である稷下の学宮を設けたのである。道家、儒家、法家、墨家、名家、陰陽家、縦横家など、さまざまな思想家が国家の支援を受けて議論した場であり、百家争鳴の中心地と評価されている。荀子や慎到のような思想家を輩出した。ここで思想家たちは、万物斉度、全性保真、情欲寡浅、見侮不辱、禁攻寝兵などの倫理的な哲学を発展させた。72 西洋の法律中心の哲学体系と比べられる、倫理哲学の体系である。
倫理が律法より上位にあるという哲学には、無為が有為に警告を発するという考えが内在している。なぜ無為は有為に警告を発するのだろうか。有為だけに頼る人間の巨大な過ちは、20世紀の西洋のイデオロギーの時代にあらわになる。それは、人間は絶対真理をつかむことができないという「道の道とすべきは常の道に非ず」(表現された道は永遠の道ではない)という道の基本哲学と対立する西洋で、示顕論に没頭するなかで現れた現象である。西洋の思想界は、近代に人間の精神の能力を極大化し、人間は精神によって絶対真理に到達できるという妄想を抱くようになった。人間が絶対真理をつかんだと主張し、それを歴史のなかで実現すると言いながら、言葉では言い表せない残虐な行為をためらうことなく実行したことがあった。ファシズムと共産主義というイデオロギーがまさにそれである。彼らは、自らが唱えるイデオロギーで表された絶対真理を実現すれば、人間社会に理想郷が実現すると信じた。社会進化論が決定的な影響を及ぼした。彼らは、理想郷に向かう道の途中で倫理を捨てる行為は正当化されうると考えた。しかし、彼らが主張する絶対真理が非現実的なものであった場合、結局、彼らが犯した残虐な行為だけが、そのイデオロギーの正体として残ることになる。こうした判断は、結局、人間の本性に照らして下されるのである。
人間の本性がつねに善であるなら、あるいは善にすることができるなら、無為は必要ない。人間の本性に従っていけばよい。しかし人間の本性には、自分の利益を最大化しようとする強い利己心がある。それは変わらない。人間の利己心は、精神を最大限に利用して確信を育てていく。公益より先に私益をとろうとする傾向が、人間の本性には存在している。利己心はたやすく貪欲へと形を変え、人間の社会につねに存在しつづける。イデオロギーの時代に、西洋は人間の本性を善にすることができるという進化論を信じるようになった。しかし、人間の本性についての東洋の理解は西洋とは異なる。人間の本性を善にするという進化論は、西洋の近代史においてのみ可能だった巨大な錯誤である。東洋の人性論は、人間が貪欲によって自らを追い立てる小人になるのか、それとも倫理を守る君子になるのか、という人性論上の変化に焦点を当てる。それはまったく個人の努力によって変わるものだと見るのが、東洋が捉えた人間の本性である。
凡そ礼義なる者は、是れ聖人の偽より生ずるなり、故より人の性に生ずるに非ざるなり。(『荀子』性悪)
西洋の文明は、人間の営みに神の意志と律法を介入させる。神への服従と不服従を基準として、人間の行為と有為を善悪の違いとして見るのである。ユダヤ教では、有為の定義のほとんどが神に対する態度によって規定される。偶像に仕えること、神との約束を守らないことなどがそれである。そして人間のすべての行為についての規定を律法として定めたので、有為には、きわめて厳しい神の罰が待ち受けることになる。したがって西洋の文明では、神の意志に従う言行は善となり、それに背く言行は悪を行う罪となって、罰の対象となる。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神である。わたしを憎む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代まで報いる」(出エジプト記20:5―6)。結局、西洋では人間の行為が人間の領域を越えて、神が介入する善悪、罪、罰、苦しみの次元の問題となる。つまり、倫理ではなく律法の問題となるのである。
法律の重要性は、ギリシア・ローマ文明においてもすでに揺るぎない地位を占めている。西洋の歴史において、政治指導者は「法を与える者」(Lawgiver)として描かれる。ギリシアの七賢人のなかで最も有名なソロン(Solon、紀元前638ごろ―前558ごろ)は、とりわけ「法を与える者」としてよく知られている。それほど、法をうまくつくり守らせる人が、西洋では指導者となる。西洋の文明では、当然、制度や法律が多くなり、制度や法律に背く人への制裁も多くならざるをえない。弁護士の役割が大きくなる。西洋には、ギリシア・ローマ時代から有能な弁護士が現れる。ギリシアのデモステネス、ローマのキケロは、ともに弁護士出身で、有名な政治家となった。キケロはカティリナの反乱を鎮圧して、「祖国の父」という称号を受けた。デモステネスはマケドニアの膨張に反対したギリシアの人物として、ギリシア全土に名を馳せた。
東洋の人性論の核心は、与えられた人間の本性の枠のなかで、生まれてからの「人間の個性」を育てることに、すべての焦点が合わせられている。人間の個性を育てるうえで最も重要な核心は倫理にある。人間の個性を育てるうえで上位に立つのは、法律ではなく倫理である。東洋では、社会の指導者を指すとき、「法を与える者」という表現は用いない。社会の指導者を指すとき、道家では聖人、儒家では君子といった用語を用いる。73 聖人と君子は法律の専門家ではなく、「倫理性を備えた指導者」である。東洋で弁護士が登場したのは19世紀以後である。東洋では、法を広める人ではなく、倫理的に認められる人が指導者となるのである。
3) 人間の行動の基準:変化の陰陽 vs 存在の善悪
陰陽論と善悪論は、東洋と西洋で、それぞれ人間の営みの行動基準として働く。東洋では、すべては絶えず変化するという観点から、行動は柔軟性と適応性を重んじる変化論に従う。個人の行動は、独立したものというより、関係と文脈のなかで意味を持つ。相互依存性とつながりに基づいているのである。人間の行動は、自然と社会のなかで陰と陽の均衡をとろうとする方向として理解される。均衡と調和を目指すのである。
人間の行動は流れを示し、自然の法則に準じる。東洋から見た自然の核心は、絶え間なく起こる変化にある。74 「万物は陰を負いて陽を抱く。」「日の光が山を照らせば、明るさ(陽)が現れる。夕方になって日の光が消えれば、山は暗さ(陰)を現す。」『道徳経』では、自然の万物はすべて陰陽で表されている。
万物は陰を負いて陽を抱く。(『道徳経』第42章)
万物の中心である道は、いつでも、どこにでも、誰にでもある。道は自然と宇宙の秩序である。人間は何をしようと、何を信じようと、道に従う存在とならざるをえない。神は選択だが、道は必然である。人間は道を避けることができない。すべての人が道に拠り、道のなかで生きていくのである。
天の道は、利して害せず。(『道徳経』第81章)
道はすべての人間に当てはまるので、個々の人間の営みにいちいち介入しない。人間の営みに無関心なのである。人間の営みは、道の範囲のなかで人間が自ら決める。人間のために自然が法則を変えることはない。人間の営みは、善悪論ではなく陰陽論によって表される。人間は自分のすることに責任がある。夏に懸命に働いて食糧を蓄え、冬に休む。夏に働かずに遊んでばかりいた人間は、冬に窮乏を免れない。道は善悪の彼岸にあり、すべての人に当てはまる。善い人は道を楽しみ、善くない人は道の保護を受ける。道には敵がいない。善悪論の入りこむ余地はないのである。
道なる者は万物の奥、善人の宝、不善人の保つ所なり。(『道徳経』第62章)
西洋の文明では、人間の営みを善悪論で解いていく。無は「悪」の存在として扱われる。有は、闇と無秩序を退けて明るい世界と秩序をつくったという「善」の意味を持つ。善悪論の始まりである。不変の善悪論は西洋の存在論から生み出される。創造された変わらない存在は、善悪論に絡めとられながら、必然的に互いに分かれて対立することになる。
神は善であるという表現は、善の反対、すなわち悪はどこから来て、なぜ存在するのかという、根本的に解けない問題を提起する。道は光と闇、善と不善をともに含んでいる。そうすることで、絶対真理を「肯定」で表すことから遠ざかっている。この点は『道徳経』で繰り返し強調される。道は「曠として其れ谷の若く、混として其れ濁れるが若し」(『道徳経』第15章)。道は「其の光を和らげ、其の塵に同じくし」、道においてひとつとなる(『道徳経』第56章)。道についてのこうした基本の概念は、東洋の文明に深く行き渡っている。75 西洋の接近法は存在論から出発し、「存在」の原理を分析し見分けることに重きを置く。東洋の接近法は、「変化」のなかに自然と人間の営みの原理を理解しようとすることに重きを置いている。変化に重きを置けば、それは必然的に二元補完論へとつながる。文明が陰陽の哲学を持てば、人間の営みに絶対性を持つ善悪の概念を当てはめることは難しい。無為の陰陽は自然の変化の原理を説明する概念であり、有為の善悪は人間の道徳的判断を説明する概念である。無為の陰陽は価値中立的であり、有為の善悪は価値判断的である。
陰陽は、調和や補完を意味する基準を持っている。陰と陽は、絶えず相互に作用し、入れ替わる関係である。昼と夜、強さと柔らかさ、生と死のように、すべての存在は変化のなかで均衡を見いだす。陰と陽は絶対的な実体ではなく、互いの関係のなかで規定される。ある状況では、陰が陽に、陽が陰に入れ替わることもある。陰と陽は対立しながらも、互いなしには存在しえない関係である。ひとりで独立した実体ではなく、つねに相手を必要とする。対立のなかで調和をなし、変化そのものが秩序の原理である。「万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す」(『道徳経』第42章)。陰と陽は和、すなわち補完を意味する。太陽の光が山を照らすと、山は陰と陽に姿を変える。暗さと明るさは、光と山の調和、補完を意味する。男と女、君と臣、父と子、夏と冬、前と後、高と低、これらすべてが、東洋思想では陰陽のように調和をなす補完関係に立つのである。
西洋の善悪論は、二元性の人間関係のなかで善と悪を区別する。人間は「選ばれた者」と「捨てられた者」に分けられる。善悪の区別は、必然的に二つを対立させる。啓示宗教の核心のひとつは善悪論である。善悪の区別は、道の哲学にはない概念である。道は善悪ではなく陰陽を人間の営みの本質と見るからである。西洋では、善悪論の反対の概念として、価値中立論、道徳相対論、道徳ニヒリズムといった概念が現れる。啓示宗教、プラトン、カントの哲学はこうした分析に従っており、これが西洋文明の核心的な思想のひとつとなる。しかし東洋の文明に、こうした西洋中心の反対概念を当てはめて比べることはできない。東洋の思想は、別の宇宙観と、人間の営みの根源と原理を中心に打ち立てられているからである。東洋の文明の特性が西洋と違うからといって、価値中立論、道徳相対論、道徳ニヒリズムとして片づけることはできない。陰陽論は変化論に従い、存在の変化と調和を説明する哲学的な枠組みである。西洋の善はいつでも善であり、悪はいつでも悪である。時代と文化によって解釈は変わりうるが、その本質的な区別は変わらない。善悪論は、有為の立場から人間の行為と存在を評価する道徳的、倫理的な基準である。陰陽のように相対的に変わることなく、絶対的な価値とみなされるのである。
西洋の思考では、善悪の枠のなかで人間の営みを区別するため、東洋の思考を理解するのは難しい。東洋の陰陽論を持ち出してはじめて、西洋の善悪論と比べることができる。人間の営みの原理において、陰陽論は善悪論とちょうど対をなす役割を果たしている。陰陽論と善悪論は、二つの異なる世界観にしたがって、人間の営みの原理として働く。陰陽論は、自然哲学に内在する調和と相互補完の概念を中心とする。善悪論は、宗教や形而上学的な哲学に内在する道徳的判断と相互対立の概念を中心とする。
西洋の人間の営みの原理である善悪論は、創造論と結びついている。創造は神の言葉であり、創造とは、悪として扱われる闇を退けて生まれる善い存在である。善悪論と結びついた創造の重要性は、西洋と中東地域の天地創造神話にまつわる「カオスとの闘い」(struggle against Chaos)の物語にもよく表れている。人間が、海の怪物、竜、大蛇のようなカオスの象徴として現れる悪い存在を打ち倒して、光のような真実の「存在」が始まるのである。ギリシアの詩人ヘシオドス(Hesiod)も、啓示宗教に似た宇宙観を持っていた。彼は、はじめにカオスがあり、そこから宇宙と秩序を意味するコスモスとともに、さまざまな神々が生まれたと考えた。悪いカオスに打ち勝って良い秩序が創造されたという前提と過程が、結局、西洋の文明に人間の営みを善悪論で進めさせているのである。創世記で、人間の創造に続いてすぐに登場するのが、まさに善悪についての物語である。
主なる神は言われた。「善悪の知識の木からは食べてはならない。食べると必ず死ぬ。」……蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神はご存じなのだ。」(創世記2:17、3:4―5)
続いて、アダムとエバの長男カインが次男アベルを殺すという罪、すなわち悪を犯す姿が描かれる。これによって、神は太初から善と悪を区別することになる。神は善の側に立っている。
モーセは言った。「どうか、あなたの栄光をお示しください。」主は答えられた。「わたしはわたしのすべての善(恵み)をあなたの前に通らせ、あなたの前に主という名を告げ知らせる。」(出エジプト記33:18―19)
こうした善悪論は、キリスト教の聖書でもやはり核心的な問題として扱われている。
イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを善いと言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」(マルコによる福音書10:18)
神は神を信じる人々にだけ働く。宗教のほとんどは、個人の選択より前に、親から受け継がれる。教義では、その選択を神の恵み(grace)と表現する。恵みを受けて神を信じる人間は、神の強力な保護を受ける。神は彼らのために奇跡を行いながら、彼らの人間の営みをつかさどる。とりわけ神は、自らを信じる人間のために、人間が敵とみなす者は神にとっても敵となるという哲学を示す。善悪論が入りこんでくるのである。
こうして啓示宗教には、敵は絶対的に悪であるという概念、すなわち善悪論が現れる。善悪論は道の哲学にはない概念である。道は善悪論を遠ざける。道は「善人の宝、不善人の保つ所」である。道では、善悪論の代わりに陰陽論をとる。神は「善人には宝、悪人には仇」となる。信じる人々は、神に従わなければ罰を受けるので、神に絶対的に服従しなければならず、そのため善悪論の色合いは絶対的なものとなり、人間の営みの全体を支配するのである。
わたしは世界をその悪のゆえに、悪人をその罪のゆえに罰し、高ぶる者のおごりを絶ち、横暴な者の高慢を低くする。(イザヤ書13:11)
啓示宗教では、善悪は神が命じた律法の問題へと変わる。神は、善い人には賞を与え、悪い人には罰を与える、懲罰の神となる。善悪の懲罰は律法の命令となり、その賞罰は苛酷であるため、人々は「神の善悪論」を恐れるようになる。西洋の善悪論は罪と罰に重きを置き、悪を行った人には罰を下し、善い人には賞を与えるという形で人間に働く。そうなると、罪と罰を判断する律法が重要になる。モーセ五書のうち、レビ記、民数記、申命記の3巻は、すべての人のための正確で厳格な律法と懲罰に満ちている。それは中世の1000年を経てルネサンスの初期に至るまで、西洋の思想の世界を支配した。善悪論は、理神論が現れた後も、西洋文明の核心でありつづけるのである。
一方、『道徳経』には、善悪の区別やそれにともなう懲罰についての表現はまったくない。人間の営みには、良いことと悪いことがあらざるをえない。東洋の陰陽論は、善悪ではなく吉凶によって人間の営みを表す。吉凶は神が下すものではなく、人間が自ら選ぶものである。自然哲学である道に従う人、あるいは背く人に、おのずから現れるのが吉と凶である。永遠のものはない。すべてはつねに変わる。人生の吉、良いことはいつでも移り変わり、凶、悪いこともいつでも移り変わる。こうした生についての認識は、人間の営みの過程において、変化論に立脚した陰陽論の立場へと傾いていく。
東洋の文明は、人生の吉凶はたやすく予測できないという故事成語「塞翁が馬」になじんでいる。東洋では、人生の営みは、人生の全体を見て吉凶禍福を判断すべきだという立場である。存在論ではなく変化論で人生の営みを見ようという立場なのである。したがって東洋における吉と凶は、存在論的な律法よりも、変化論的な倫理によって定義される。東洋の思想には、律法のような強制的な命令よりも、助言や勧めの形をとった倫理についての内容が多い。「君子は道を守って吉、小人は道に背いて凶」(『周易』繋辞上伝第3章参照)。
陰陽論は、自然の物理的、時間的、生物学的な違いから出発してしだいに広がり、美と醜のような美学的な違い、善と悪のような道徳的な違い、そしてこちらとあちら、他人と自分のような社会的・倫理的な違いを含むようになる。76 陰陽において、二つの概念は互いに補い合い、一方の要素がなければもう一方の要素も存在できないからである。一方、善悪論において、二つの概念は互いに対立し、互いに衝突する性格を持つことになる。
陰陽論は西洋では用いられていないため、西洋のパラダイムが支配してきたこの200年のあいだ、世界の思想史や哲学を論じるときにあまり役割を果たしてこなかった。しかし、人間の思考が西洋の対立性と東洋の補完性の二つから成っていることを考えれば、活用できる分野はさまざまである。77 東洋の文明のなかで、道家を陰、儒家を陽と見る区分は、かなり有用な方法である。また東西の文明を比べるとき、東洋の文明を陰、西洋の文明を陽と見るのは、きわめて有用で適切な区分である。こうした区分は、ほかの概念ではなかなか見られない。道と神は、はっきりと陰と陽の違いを示している。道の不顕論と神の示顕論は陰陽の違いを示しており、道は受容的で女性的な(陰の)側面を重んじ、神は積極的で男性的な(陽の)側面を重んじる。
陰陽論の基本となる二元補完論のおかげで、東洋の文明では、対立と闘争の二元対立論が哲学的な力を失った。二元補完論と二元対立論は、東西の文明の哲学的な流れを形づくるうえで重要な役割を果たしている。実際、論理の展開においても、東洋で対句による説明が、西洋で三段論法による説明が流行するのは、二元補完論と二元対立論に起因している。78 東洋の陰陽思想では、宇宙の根本的な二元性を受け入れるが、この二つの要素のあいだの相互補完的で相互依存的な関係が強調される。その結果、二元補完論と陰陽論の文化のなかで、東洋が重んじる政治倫理学と政治経済学が、紀元前の戦国時代に展開される民族国家の形成とともに発展することになる。一方、西洋の二元対立論と善悪論は、啓示宗教の隆盛とともに律法が尊ばれ、形而上学の発展がその主流をなすことになる。
陰陽論の東洋では、自然も人間社会もすべて、陰と陽の相互作用から成っていると考える。陰と陽は絶対的な対立ではなく、互いに補い合う関係をなし、変化と調和を説明する原理である。昼と夜、男性と女性、強さと柔らかさがよい例である。善悪のような価値判断ではなく、存在の均衡と循環を強調する。陰陽は「二つでありながらひとつ」という、関係的で融合的な世界観を示している。関係的で融合的な世界観は、西洋の哲学体系が唱える二元論や一元論とは次元の異なる世界観である。
西洋は、自然と人間の世界を道徳的価値の対立として理解する文明を築いていく。絶対的で対立的な価値を主張するが、それはギリシア文明と啓示宗教において、倫理的な側面を強調する善悪論として現れる。道徳的な善行と罪悪、神と悪魔、天国と地獄などがよい例である。これは西洋文明において、人間の自由意志と責任を強調しながら、善と悪の選択が人間存在の核心的な問題として現れる哲学体系を打ち立てることになる。陰陽論は価値判断より関係と調和を重んじ、善悪論は人間の道徳的な選択と責任を重んじる。したがって東洋は社会の秩序と均衡を、西洋は個人の倫理的判断と救いを強調することになる。
陰陽論の持続力 vs 善悪論の強さと危うさ
陰陽論と善悪論は何が違うのか。善悪論は、人間に強い影響力を行使する。問題は、善悪論には危うさがともなうことである。信者と非信者のあいだの敵対感、また異なる神を信じる人々のあいだの敵対感である。人間一人ひとりが選ぶ神は、おおむね親から受け継がれる。地球上には、さまざまな神が同時に存在することになる。それぞれの神は絶対性を持つので、神々や啓示宗教の預言者たちは、調和してともに存在することが難しい。神は、ほかの神を信じる人々に対して、最も重い罰を予告している。10代にまで及ぶ善悪の刑罰である。こうした善悪の分裂は、同じ神を信じる分派のあいだでも生じる。分派間の激しい敵対は、ときにはほかの神への敵対感を上回る姿さえ見せる。キリスト教における旧教と新教の争いは、西洋の近代初期の歴史を支配した。
擬人化を遠ざける道は、一見すると、擬人化された神ほど人間のような感情を持たず、介入も避けるので、人間に及ぼす影響力において直接的ではない。しかし道には別の道がなく、道のなかに別の分派もない。すべての人間が例外なく、ひとつの道に従う。持続力があるのである。東洋の文明では、宇宙はつねに変化するものであり、変化は陰陽のように入れ替わりながら調和をなす。そこにはひとつの根本がある。それが道である。道は善悪を区別しない。
善と悪と、相去ること若何。(『道徳経』第20章)
陰陽論は、人間の営みにおいて、絶対的な善と悪の区別ではなく、好ましいか好ましくないかという基準を用いている。善と悪も、好ましいか好ましくないかと同じく、結局は変わると見ているのである。『道徳経』と儒家の経典は、善悪の問題を西洋とは異なる方法で解決した。善と悪は人間のものであり、自然や道とは無関係だという思想を確立したのである。東洋では、道が自然のままに人間に近づくことで、善悪論ではなく、自然のなかにある変化論を植えつける。山は時間にしたがって、明るさと暗さを変えながら表す。明るさと暗さが善悪に変わることはありえない。変化論は、陰陽の思想を通じて東洋の思考の根源となる。西洋の神が早々と善の側に立つのに対し、東洋の道は善と悪を超え、その彼岸を選ぶ。西洋の文明は善悪論を、東洋の文明は陰陽論を、思考の中心とするのである。
善悪論において重要な要素は、罪と罰の概念である。善い者は神から賞を受け、悪い者は罪を犯したので神から罰を受ける。東洋にも、「天に罪を得た」「天罰を受ける」といった言い方に見られるように、罪と罰に似た概念がないわけではない。しかし道家の道は善悪の彼岸にあり、善い人は道に従うので、結局、道が善い人とともにあるという結果になるのである。同じ文脈で、道はただ利するだけであり、善くない人は自らの選択と行いの結果として道に従わず、「自ら害を招いている」のであって、道が罰を下すのではない。
道の哲学では、天の賞罰を信じない。また、人間の行いが天を感動させて天を動かすという、神秘主義の土台である天人感応説も信じない。79 「天は自ら助くる者を助く」という格言は、神ではなく人間が自らを助けなければならないという意味である。天が善い人に賞を与え、善くない人に罰を与えるのではなく、天は一定であって、人間が自らの選択と行いによって自らに吉と凶を招くだけだという哲学である。この考えに従えば、善悪は人間の範疇にあるものであり、自然の原則、すなわち道はその彼岸にあることになる。
治乱は天か。曰く、日月星辰瑞暦は、是れ禹・桀の同じくする所なり。禹は以て治まり、桀は以て乱る。治乱は天に非ざるなり。(『荀子』天論)
陰陽論は自然の法則に従い、善悪論は啓示宗教や道徳的判断に従う。自由、平等、博愛、正義などは善であり、束縛、差別、憎悪、不正などは悪である。善と悪は対立の構造に従い、悪を克服することが道徳的な目標となり、社会正義の実現となる。宗教では救いと結びついて、神の意志に従う、いっそう強い力を発揮する。善悪論は陰陽論と比べて、人間に強い力を与えもするが、一方に偏って長く続かないという危うさをはらんでいる。反対に、人間の行動において、陰陽論は善悪論ほど強力ではないが、持続可能である。
理神論の登場と科学の発展によって、西洋では、神が奇跡を起こしたり擬人化を通じて人間の営みをつかさどったりすると信じる人の数は少なくなっている。しかし、啓示宗教が主張する奇跡や擬人化が問題になるからといって、啓示宗教の重要性が消えるわけではない。啓示宗教の神は、絶対的な神が自分を守ってくれるという心理的な自己保存の本能の次元で、重要な役割を果たしつづけるからである。人間の行動は、精神よりも心理から大きな影響を受ける。人間には、心理的に、自分を守り祈りに応えてくれる神の存在を必要とする面があるのである。
人間には、心理的に自分自身を守ろうとする深い本能がある。そのために人間は、神という存在をつくり出した。だから人間は、子どもが親に頼るように、自分の保護と安全を神に頼るのである。80
哲学的に分析すれば、人生を生きていくうえで、善悪論より陰陽論のほうが合理的で説得力があるように見える。持続力があるからである。しかし現実のなかで、善悪論は消えることなく、人生の営みにおいて有用に使われざるをえない。長くは続かないが、善悪論の強さは人性に訴えるところが大きいからである。
善と悪の判断基準は、それが我々の存在を保つのに役立つか、それとも妨げるかにある。つまり、我々の行動する力を増すか減らすか、促すか取り除くか、ということである。81
究極的には、人間は精神ではなく、本能と精神を合わせた人間の本性によって左右されるからである。悪への罰を強調する善悪論は、生存に有用に用いられうる。「悪い者は千代にわたって罰を受ける」という善悪論が現実のなかで用いられるのは、生存を直接脅かす状況では、悪の概念が「自己保存」のために、敵に備える強力な道具として使えるからである。
陰陽論の孫子の兵法 vs 善悪論のクラウゼヴィッツ
西洋文明の対立的・排他的な性格、分離的・闘争的な性格と、それと対照をなす東洋文明の和合的・受容的な性格、調和的・和解的な性格は、東西の宗教・思想・哲学などどこにでも見いだされるが、とりわけ、闘争か共存かを決める戦争と平和の問題において、いっそうはっきりと表れる。82 それは、東西の戦争論の最高峰である孫子の『孫子』とクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の『戦争論』に表れている。孫子は東洋の思考を当てはめて陰陽論に従い、クラウゼヴィッツは善悪論に従っている。孫子は、敵を壊滅させずに勝つことが最高の勝利だと定義し、クラウゼヴィッツは、敵の完全な壊滅が最高の勝利だと定義している。最高の勝利のために、孫子は勢の拡張を重んじ、クラウゼヴィッツは攻勢と勝利の追求を重んじる。
同じ主題を扱っているにもかかわらず、それぞれが生きた文化圏の影響で、孫子は、敵も陰陽にしたがって味方になりうることを考慮した長期的な視野を示しているのに対し、クラウゼヴィッツは、敵は悪い存在なのだから完全に破壊しようという短期的な視野を示している。この面から見れば、『孫子』は戦略的であり、クラウゼヴィッツの『戦争論』は戦術的である。孫子とクラウゼヴィッツの著作に表れる戦略と戦術の違いは、戦争についての二人の定義に表れている。
孫子:兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。83
クラウゼヴィッツ:戦争とは、敵を我々の意志に従わせるための暴力行為である。84
クラウゼヴィッツの『戦争論』は、敵の完全な降伏を最大の目標としている。紀元前5世紀、春秋戦国時代に書かれた『孫子』は、最上の戦略は敵を無傷のまま屈服させることだとはっきり述べており、敵を壊滅させて勝つことは、やむをえない手段とみなしている。
凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。85
こうした考え方では、必然的に、非暴力的な手段、すなわち謀略が、むき出しの武力の行使より重んじられる。老子が言う「兵無きを執る」のとおり、存在しない武器が槍や刀より重要なのである。クラウゼヴィッツは、謀略は重要な戦争でとりうる戦略ではないという立場をとる。クラウゼヴィッツは、敵の壊滅を最高の勝利とみなしている。
孫子:兵とは詭道なり。86
クラウゼヴィッツ:敵軍の壊滅こそが最も効果的で、最も優れた手段である。これと比べれば、ほかの手段は重要性を失う。87
孫子がひとつの戦略として高く評価した謀略・謀攻について、クラウゼヴィッツは、ニーチェがライプニッツとカントについて書いた表現そのままに、硬直した典型的なドイツ人らしく、ひとつの詐術として扱い、重要性を認めていない。数十年後にドイツを統一するときにビスマルクが用いたすべての外交術や政略は、孫子からは大いに評価されたであろうが、クラウゼヴィッツからはひとつの詐欺劇として扱われたであろう。クラウゼヴィッツにとっては、戦争の結果がどこに行き着こうと、勝ちさえすればそれで十分なのであり、この意味で彼は、野戦軍司令官の戦術を戦争論の全体にしてしまったのである。88
孫子は東洋人であったから、闘争についての哲学においても、調和という東洋の基本概念を取り入れている。彼は敵を壊滅させるべき対象と見たのではなく、味方にして調和させるべき対象と捉えたのである。西洋人は、味方でない者はすべてわたしの敵である、あるいはせいぜい、わたしの敵でない者は味方である、という程度にしか発展できなかった。しかし孫子によれば、戦争においても「泰山は土壌を譲らず」という東洋思想の本質が当てはめられなければならないのである。
現代の核の時代には、核を使えば相互の壊滅を意味するので、クラウゼヴィッツの戦争論は価値を失わざるをえない。彼が唱えた三段階の完全な勝利、すなわち「敵の軍事力の完全な壊滅、敵の領土の占領、敵の意志の粉砕」は、実現の可能性がないからである。クラウゼヴィッツの言う戦争の終結、敵の武装解除、勝利とは、徹底した敵の壊滅であり、第一次・第二次世界大戦で連合国がドイツに対してそうしようとしたように、敵を再起不能の状態にすることである。
クラウゼヴィッツは戦争計画を論じるとき、ある国家を武装解除すると主張する。それは何を意味するのか。敵の武装解除には、三つの重要な要素が含まれなければならない。それは軍隊、国土、そして敵の意志の三つである。
まず「軍隊」を破壊しなければならない……そして「国土」を占領しなければならない。国土から新たな軍隊が生まれうるからである。しかし、この二つが成し遂げられたとしても、戦争がやんだことを意味するわけではない。敵の「意志」が粉砕されなければ、すなわち政府とその同盟者が講和条約に署名するか、その国民が服従するかしなければ、敵対的な行為と緊張関係は続くので、戦争がやんだとは言えない。89
こうしたクラウゼヴィッツの考えとは反対に、『孫子』では、むしろ敵の戦争の意図を砕くことが最もすぐれた方策であり、意志さえくじくことができればそれで十分だとされている。敵の軍事力の壊滅は、やむをえない最後の手段としてのみ考えられている。軍事力の壊滅を勝利の必須条件と主張し、戦争はかならず武力行為であると規定したクラウゼヴィッツの戦争論は、孫子の戦略的な戦争論と比べれば、明らかに戦術的なものと見ざるをえない。
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。90
孫子とクラウゼヴィッツのこうした根本的な違いは、孫子が、敵も究極的にはわたしの側の者であり、また別の敵に対してはわたしの友邦になりうるという戦略的な調和の概念を失っていないのに対し、クラウゼヴィッツは、敵はつねに敵であって完全かつ徹底的に壊滅させなければならないという、分離的・闘争的な西洋文化の典型的な基本概念を、そのまま戦争論に持ち込んでいることに起因している。
クラウゼヴィッツの誤りは、第一次・第二次世界大戦を通じて明らかに証明された。第一次・第二次世界大戦の主導権を握っていたアメリカが、クラウゼヴィッツ式の敵の概念の代わりに、中国の孫子式の概念をもって両大戦に臨んでいたなら、ドイツと日本に「無条件降伏」を強いることはなかっただろうし、国際連合にソ連を加えるためにヤルタであれほど多くの譲歩をすることもなかっただろう。いや、それ以前に、ノルマンディー上陸作戦ではなく、バルカン上陸作戦があっただろう。レーニンはマルクスの思想をクラウゼヴィッツの戦略によって現実のものにしたとも伝えられている。分離と闘争を極限まで推し進めた共産主義とクラウゼヴィッツの戦争論がよくなじむのは、両者が同じ根を持っているからである。91
理想主義に対外政策が色濃く染まったアメリカが主導した、制度による平和の保障が失敗したことは、明らかになってしまった。それは、昨日の敵が今日の友に、昨日の友が今日の敵に変わったからである。ともに国際連盟を構想し創設した友である日本とイタリアは、十数年後、国際連盟を壊した張本人として敵となり、日本とドイツを仮想敵としてアメリカとともに国際連盟の創設に加わった友であるソ連は、数年後に敵となり、昨日の敵であった日本とドイツは、アメリカにとって今日の友となった。そして冷戦が終わった今日では、これらすべてが意味を失ってしまった。
西洋の文化に深く根を下ろしている二元対立論を当てはめれば、敵をなくすことで平和を保とうとする方法は、問題をただちに解決してしまおうという現実主義的な方法と見ることができ、制度によって平和を保とうとする方法は、理想主義的な方法と見ることができる。人間と自然、あなたとわたし、本能と精神を切り離してきた西洋の文化は、二元論、あるいは二分法的な方法しか持っていないように見え、戦争と平和をめぐる問題においても善悪論に集中してきたように見える。
しかし人類の歴史は、西洋式の現実主義的な方法も、西洋式の理想主義的な方法も、いずれも勝利を確保するための方便にすぎず、真に平和を追求するための方法とはなりえなかったことを明らかにしている。平和より勝利を追い求めた西洋の心理的な態度は、スピノザが描いたように、「戦争によって何を成し遂げたかを考えず、ただ勝って敵を懲らしめたことにいっそう満足する愚かさ」としか説明できない。92 西洋のこうした態度は、スピノザの時代以後も数百年にわたって続き、クラウゼヴィッツの『戦争論』のなかに結晶した。ベトナム戦争が決定的な傍証である。一方、孫子においては、戦争での勝利よりも、戦争の目的をつかむことの重要性が繰り返し強調されている。孫子は、戦争の目的は表面上は勝利にあるが、究極的には最大の利益を得ることにあるということを、繰り返し説明している。
故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は、未だ之れ有らざるなり。故に尽く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利を知ること能わざるなり。93
クラウゼヴィッツにとって、戦争での勝利とは、すなわち戦場での勝利を意味する。たしかに彼は、「戦争とは別の手段をもってする政治の継続である」という言葉によって、戦争は目的を達成するひとつの方法であり、戦争は政治的な目的に従属しなければならないことを明らかにしてはいる。94 しかしクラウゼヴィッツは、戦争の究極の目的、すなわち政治的な目的もやはり戦場での勝利を意味するかのように、それが意味するところについて具体的な説明をしていないため、その解釈はまちまちである。95 実際、「戦争とは別の手段をもってする政治の継続である」という命題は、第一次世界大戦のとき、ドイツの軍部が文民の政治家に対して主導権を握るために利用された。96
クラウゼヴィッツは戦争の目的を勝利だけと見ているので、その勝利がどのようなものであってもかまわない。孫子は『孫子』第2篇の作戦篇で、敵と味方を同時に滅ぼし疲弊させるような戦争手段を動員することは正しい戦争の法ではないと述べているのに対し、クラウゼヴィッツは、こうした配慮を取るに足りない博愛主義的な態度、戦争においては何よりも避けなければならない不要な妨げとなる態度と見ている。
博愛主義者たちは、多くの血を流さずに敵を征服し武装解除させることのできる巧妙な方法があり、それこそが真の戦争術であるかのように、たやすく想像するかもしれない。それがどれほど望ましく思えても、これは捨てなければならない誤った考えである。戦争のように危険な事柄においては、善意から生まれる誤りこそが最悪の誤りである。物理的な力を最大限に用いることは、知力もまた最大限に用いることであるから、容赦なく力を用い、いかなる流血もいとわない者は、それをためらう敵に勝つだろう。この法則は敵も用いることになり、互いに極限へと向かって進んでいくことになって、敵の持つ限界だけが、こうした極限がどこまで行くかを決めることになる。97
現代は『孫子』の時代と言うことができる。敵の壊滅がすなわち自らの壊滅を意味する核兵器の時代に、クラウゼヴィッツの戦争論は無用の長物となる。孫子は2500年前に、まるで我々が生きている20世紀を見通していたかのように、次のように述べた。21世紀の米中の覇権競争は、西洋式の攻勢と勝利ではなく、東洋式の勢の拡張によって決着がつくことになる。
故に其の途を迂にして、之を誘うに利を以てし、人に後れて発して、人に先んじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。98
直接戦略と間接戦略の違いは、勢の積み上げをどう活かすかにかかっている。『孫子』はとりわけ、目の前の対決と勝負を決めることよりも、国家の運営を念頭に置いた長期戦略に役立つものであり、こうした局面で結局勝利するのは、直接戦略と間接戦略の両方を活かして勢を広げていくことなのである。
囲碁、勢の拡張 vs チェス、攻勢と勝利
クラウゼヴィッツと『孫子』が説明するように、相手との競争において、西洋は攻勢と勝利を目標とし、東洋は勢を広げることに集中している。東洋には、最終的な勝利は相対的な勝利であり、それは勢を大きくする者のもとに結局おのずから帰ってくるのであって、直接勝利を目標として戦いつづける者が手にするのではない、という哲学体系がある。こうした哲学が、東洋の囲碁に表れている。これは、勝利を目的とするチェス、すなわち相手に向き合う西洋の哲学や姿勢と大きく異なる。
チェスでは目的がはっきりしている。その目的は圧倒的な勝利である。チェスの結果は、完全な勝利でなければ敗北である。チェスのゲームは、盤上で繰り広げられる正面衝突の連続である。囲碁は相対的な勝利を目標とする。囲碁のゲームは盤全体で繰り広げられるが、その目的は、自分の側の選択の範囲を広げ、相手の側の選択の範囲を狭めることにある。囲碁の目標は、一局の勝利ではなく、戦略的な優位を占めつづけることにある。99
戦略的な優位は、勢の流れによって決まる。東洋が自然の流れと人間の営みにおいて勢の重要性を強調するのは、全体を知らなければ、部分だけでは状況をつかめないと考えるからである。哲学的に見れば、東洋は、つねに変化していくなかで、知りえない未来の状況を推し量っていく帰納的な思考に従っている。変化していく勢の力をつかみ、それが結果に及ぼす影響を重んじようというのである。制度やモデルを重んじる西洋の存在論は、部分を見て全体をつかもうとする哲学的な傾向を生み出す。西洋の存在論的な体制は、演繹的な思考体系と結びついている。
勢の重要性は、中国の思想家、慎到(紀元前395―前315)によって強調された。慎到は、「飛竜は雲に乗り、騰蛇は霧に遊ぶ。雲罷み霧霽るれば、竜蛇も螾螘と同じ」と説いた。竜も雲(勢)を失えばミミズと変わらないということである。人間の社会において、外には現れないが隠れている戦略的な流れである勢の重要性を強調したのである。たとえばチンギス・ハンは、13世紀のモンゴルに生まれ、モンゴルが持っていた隠れた勢を見いだしてそれを糾合し、世界を支配する竜となった。しかし、もし彼が21世紀のモンゴルに生まれていたら、何をしても世界的な竜にはなれなかっただろう。チンギス・ハンが生きた13世紀のモンゴル騎兵と合成弓という隠れた勢は、21世紀にはないからである。
慎到は春秋戦国時代の趙の出身の哲学者で、斉の稷下の学宮で活動した。彼は道家と法家の思想を取り入れながら、権勢と形勢を重んじる現実的な哲学を発展させた。権勢と形勢こそが人間の社会と政治の本質的な力であるから、道徳や倫理ではなく、外的な条件と権力の流れが核心であると判断したのである。権勢とは権力と勢力を合わせた概念で、君主が臣下と民を統制する力の源であり、君主に権勢があってはじめて法と制度がうまく働くと考えた。道徳的な力や倫理ではなく、権勢そのものが秩序を保つ実際の力であると主張した。形勢とは、物事や状況の流れ、時代の条件、勢力の配置を意味し、逆らうことのできない自然的・社会的な力と見た。道徳や倫理も形勢に逆らっては無力であり、形勢に従ってはじめて安全と成功を得られると強調した。著書として『慎子』42篇があったが、現在は7篇だけが伝わっており、彼の勢の思想は韓非子(紀元前280―前233)が受け継いだ。韓非子は慎到の現実主義的な思想を高く評価し、自らの統治哲学を法、術、勢という三つの思想にまとめた。
近年、西洋の思想家たちも、東洋の勢という哲学的思考に関心を示している。西洋の言葉では、潜在力、可能性、隠れた力などを意味するポテンシャル(potential)が最も近い表現である。西洋の言葉にもトレンド(trend)のように傾向や流れを表す語があるが、これはすでに存在し知られているものに属する表現であって、勢のように、隠れていてこれから現れてくる力を表すものではない。米中関係の改善を主導したキッシンジャー元国務長官は、中国と東洋の文明について並外れた理解を示している。彼は、中国の指導者たちが戦略的状況を読み、目標を設定するやり方において西洋と異なる点を説明している。彼は、変化に隠れた勢に従う東洋と、存在論から生まれる即座の行動に従う西洋という、二つの世界の哲学的思考が根源的に異ならざるをえないことを分析している。
中国の指導者たちは、戦略の構図をひとつの全体的な流れとして見る。善と悪、遠と近、強と弱、そして過去と現在は、すべて連続している。西洋の歴史観は、歴史の流れを悪や後退に対する完全な勝利の過程として扱うが、中国の伝統的な歴史観は異なる……中国は歴史の流れのなかで、最善の選択を調和に求める。戦略と政治の手腕は、相手との闘争的な共存を実現することに集中している。目標は、相手を弱めながら、自らの潜在的な勢、あるいは戦略的な位置を強めることにある。100
『孫子』第5篇は、まるごと隠れた戦略的な勢についての説明である。勢をつかんで利用すれば、百戦して殆うからず、となる。孫子は、戦争における勢は戦略と戦術から成り、戦略をうまく立てることで戦争に臨み、戦術をうまく用いることで戦争に勝つと説明する。「故に善く戦う者は、之を勢に求めて、人に責めず」(『孫子』勢篇)。そして、戦略と戦術は相互に依存し、互いに影響を及ぼし合うものであり、その二つの組み合わせのなかから勢が形づくられると説明する。孫子は、戦略と戦術の組み合わせは無限であり、誰も完全にはつかみきれないという、勢の戦争論を展開する。
終わりて復た始まるは、日月是れなり。
死して更に生ずるは、四時是れなり。(『孫子』勢篇)
西洋は存在論による有の役割、すなわち行動を重んじる。東洋は、変化がつくり出す新しい状況、すなわち勢の動きに従う。勢の動きは、有ではなく無を原点とする。西洋の行動は法律、制度、モデルを追い求め、東洋は目の前の行動を追い求めるよりも、変化に隠れた勢の優位に集中している。人間が追い求める効能をどのように達成するかについて、東洋と西洋は異なる方法を選んでいるのである。
ギリシア人と中国人は、効能というものを達成しようとするとき、異なる哲学に従う。ギリシア人は行動に従い、中国人は変化に従う。両者のあいだで関係が逆転しているのが見てとれる。ギリシア人は、人間の行動というモデルにともなってくる自然の変化を考え、中国人は、自然の変化にともなってくる人間の効能を考える。戦争において将軍は、植物が育つ過程や川が流れる過程のように、戦略を自分に有利なように整えようとする……中国人は、行動がもたらす優位よりも、変化がもたらす内在的な優位を信じている。101
法律と制度、そしてモデルを尊ぶ西洋の習慣は、ギリシア・ローマ時代から現在まで続いている現象である。それは、神が創造した自然と人間にはつねに目的があるという目的論をもって、自然と人間を観察する西洋の習慣から生まれたものである。だからこそ、いつでもどこでも、それを法律で規定し、モデルと制度をつくって他人に広めようとするのである。
西洋の目的論は、人間の思考が真理に立脚していることを前提としているため、いったん立てられた目的への疑問や、別の方法の蓋然性を重んじない。そのため、西洋が発展させた理論とそれにともなう実践は、世界のあらゆる状況に当てはまると見たがる。ほかの国もこれに従わなければならないという立場で、他者に強いることができるようになる。一方、東洋の文明は変化論に立脚しているので、別の方策を探ったり変化したりしようとする立場に対して開かれている。押しつけがない。結局、東洋の人間の営みは、法、勢、術という効能を追求しながら、共存を認めるのである。
律法に拠る西洋の文明は、目的論と絡み合いながら、制度とモデルをつくる習性を保っている。目的をつかむと、制度を導き出すことに集中する。西洋人は、制度は変わらない存在であり、そこに潜む目的を達成する効率を高めるものだと考えている。そしてそうした制度をモデルにして、自分たちはもちろん世界に広めなければならないと考えている。一方、東洋人は変化の勢に頼る。物事どうしの関係について考え、全体をつかまなければ部分を理解することはできないと考えるのである。102
それゆえ西洋人は、自分たちがつくった制度やモデルは、世界の異なる文化を持つ人々にもすべて通用しうると考えている。神がつくった人間なのだから、すべての人に通用するという普遍性が保証されており、神が導いてつくられた制度やモデルも、同じ理由で普遍性が保証されていると見るからである。こうした普遍的な効用性には、自分たちの利益を保証する帝国主義的な意図と、人間をみな豊かに暮らせるようにしようという宗教的な善意の立場とが入り混じって、歴史のなかで働いてきたことがうかがえる。
米中の覇権競争:中国の勢 vs アメリカの攻勢
東西の哲学的な思考体系は、21世紀の米中覇権競争においてアメリカと中国が見せる戦略と戦術の違いに、そのまま表れている。攻勢による勝利の追求と、勢の確保の違いである。アメリカは中国を、21世紀のアメリカの覇権に挑戦する最大の脅威と定め、中国の台頭を妨げるためにあらゆる可能な手段を動員している。アメリカは同盟の強化や中国への経済的な圧力などによって中国に攻勢をかけ、勝ちつづけなければならないという立場を見せている。中国は、アメリカとの覇権競争は避けられないものではあるが、目の前の勝利よりも、中国の経済力の強化と内部の結束に集中しながら、勢、すなわち戦略的な位置を強めることに集中している。アメリカの戦略は、短期的で目に見える有為の攻勢戦略である。中国の戦略は、長期的で目に見えない無為の勢の戦略である。
今後、国際関係は「戦争から交易へ」とパラダイムが転換するなかで、「協力、競争、対立」(cooperation, competition, conflict)が多発的に起こる形をとることになる。同時に、米中間の核戦力の均衡のため、相互の破壊をもたらしうる戦争の可能性は、きわめて低く想定されている。核戦略においても、アメリカと中国は根本的な違いを見せる。アメリカは相互確証破壊(MAD、mutually assured destruction)の戦略をとっている。MADとは、敵対国が先に攻撃してきても、残った核兵器で敵を確実に破壊し無力化できるほど十分でなければならない、という核戦略である。米ソ冷戦の時代に、アメリカとソ連がともに従った戦略である。アメリカは現在、5000発以上の核兵器を保有している。中国はMAD戦略に同意しない。敵対国が先に攻撃してきても、残った核兵器で敵国を完全に破壊できなくても、敵対国に「十分な代価」を払わせることができれば、それで敵の先制攻撃を抑止できる、という戦略である。中国は現在、600発ほどの核兵器を保有している。アメリカのMADは西洋式の戦略である。
さらに重要なのは、アメリカと中国が国際関係を扱う文化的、歴史的、哲学的なパターンが異なることを念頭に置かなければならないということである。こうした状況のもとで起こる米中の覇権競争は、中国の勢の拡大と、アメリカの勝利のための攻勢として続いている。アメリカが同盟の強化、中国の経済と交易の牽制などに集中しているのに対し、中国は、経済力の拡大に必要な勢の拡大、すなわち研究人材の集中的な育成や未来産業への投資の拡大に集中している。103 結局中国は、さまざまな場で戦略的な位置を強めることに集中しているのである。そしてそれらが総合的に働くなかで、勝者は軍事力の衝突なしに「おのずから」決まる、というのが、アメリカとは異なる中国の覇権戦略である。
軍事力は重要である。しかし、かつての覇権競争では軍事力が攻勢的な役割を果たしたが、いまや防御的な性格を持つようになっている。米中間の競争は、西洋の歴史のなかで幾度も起こった既存勢力と新興勢力とのあいだの直接の「衝突」(confrontation)によっては決まらない。西洋の学者たちは、スパルタとアテネの衝突からイギリスとドイツの衝突に至るまで、数千年にわたる二つの勢力の歴史的な衝突の状況に慣れ親しんでいる。しかし、彼らが唱える、衝突を当然とみなす「トゥキディデスの罠」では、米中関係は説明できない。米中の競争は、チェスのゲームのように敵の壊滅によってではなく、囲碁のゲームのように勢の拡張によって、長い時間をかけて結果がおのずから決まっていく姿を見せるだろう。104
中国は、アメリカとの共存の政策のもとで、さまざまな方策を活かして、自らの持つ勢を大きくしようとしている。アメリカは攻撃的に中国への敵意を示している。アメリカには、自らの価値を宗教的な信念として、中国を含む世界に広めようとする傾向がある。キッシンジャーは、アメリカと中国のこうした外交のビジョンを説明している。
アメリカの例外主義は、自らの価値について宗教的な伝道性を持っている。アメリカは、自らが持つ価値を世界の隅々に広めなければならないという義務感を持っている。一方、中国の例外主義は文化的である。中国には、ほかの国を自分と同じように改宗させようという意図はない。中国は、自らの制度が中国以外の地域にも当てはまるとは考えていない。105
こうした文化的な背景から、アメリカと中国は、同盟国を扱うとき、それぞれ干渉と不干渉という方法をとる。アメリカと中国のこうした方法は、朝鮮半島で韓国と北朝鮮を扱うやり方にそのまま表れている。韓国は、アメリカの支援と干渉によって、強力な経済体制と民主主義を備えるようになった。同時に、ミサイルや核の問題ではアメリカの強い統制を受けている。北朝鮮は中国の友として支援を受けているが、中国は北朝鮮の経済体制や国内政治に一切干渉しない。北朝鮮が核とミサイルで武装しているのも、アメリカとは異なる中国の不干渉政策の表れである。
アメリカとは異なる中国の対外政策は、マテオ・リッチの報告書にも説明されている。ヴァスコ・ダ・ガマが切り開いた航路をたどって実際に東洋に来て長く暮らしたイエズス会の神父マテオ・リッチ(Matteo Ricci、1552―1610)は、西洋に送った報告書で、まさにこの点を強調している。
中国では、皇帝も臣民も誰ひとりとして、隣国を侵略したり征服したりする戦争を計画していない。彼らは自分たちが持っているものにとても満足している。だから隣国を征服しようという欲を見せない。この点で、中国人はヨーロッパの人々とはまったく違う。106
西洋は、ギリシア・ローマ時代以後、近世の大航海時代にも続く帝国主義を推し進めてきた。同盟国には自らの法律、制度、モデルを押しつけ、同盟国でない周辺国との関係は敵対的にならざるをえなかった。しかし中国は、押しつけるのではなく、必要なら持っていけばよいが、その場合は宗主権を認めよ、という自律的な立場をとった。周辺国とは、敵対ではなく友好の関係を保とうと努めた。
中国は自らを特別な存在だと考えていたが、自らの価値をほかの国に広めようとするのではなく、必要なら来て持っていけ、という態度をとった。周辺の国々には、中国と接触して文明を学んで帰れという姿勢であり、そのためには周辺の国々は中国の宗主権を認めなければならなかった。107
東洋式の国際関係では、違いと多様性を認める。隣国との平和共存の方法を追求する。変化は、勢を利用して漸進的に、デフォルトとしておのずから起こるやり方が好まれる。西洋は、法律、制度、モデルの普遍性を主張し、西洋のやり方を広めるために、自らの価値を伝えようと努める。
中国の皇帝は、隣国とかならずしも敵対的な関係を持つ必要はないと考えた。むしろ、そうならないように努めた。中国もアメリカと同じく、自分は特別な役割を果たさなければならないと考えていた。しかしアメリカのように、自らが持つ価値を世界に広めようとする普遍性を主張する意図は持っていなかった。108
道と神の概念は、変化論と存在論を通じて、国際関係における東洋式の不干渉の方法と、西洋式の干渉の方法を提供した。不干渉は静的である。紛争は小さくなるが、動的な刺激や進化の可能性も減る。干渉は動的である。紛争の可能性は大きくなるが、同時に刺激と進化の可能性が生まれる。
勝利と勢という戦略の違いは、東西の文明のなかに深く根を下ろしている。勢を追い求める東洋は、相手の文化をそのまま踏襲しない。自らの文化に照らして、自分に合うように変えていく。東洋と西洋は、19世紀以後、歴史上はじめて、双方の文化の積極的な交流を通じて変化していくことになる。とりわけ西洋のパラダイムが世界を支配していたため、東洋は西洋から文化的に大きな影響を受けることになる。
過去半世紀のあいだに、東アジアの近代化が成し遂げられた。ヨーロッパ、とりわけ西洋の経験が参考にされた。しかし西洋のものをそのまま写したのではなく、東アジアの国々の近代化はまったく異なる形をとった。自らの歴史と文化の影響を受けて、自らの制度、慣習、価値やイデオロギーをつくり上げていったのである。109
西洋の法律、制度、モデルが東洋に入ってきたとき、東洋はそれをそのまま受け入れたのではなく、形を変えるやり方をとった。制度は、どれほどよいものであっても、どこにでもそのまま広まるものではない。制度は文化に従属する概念だからである。110 東洋は西洋の制度と経験を取り入れながら、それを東洋の思考体系にしたがって自分に合わせていく、変化させた方法で導入している。勝利と敗北を意味する存在論的なイデオロギー式の導入ではなく、勢を考えた変化と変形のやり方なのである。
4) 神が善であるなら、悪はどこから来たのか
神は慈愛に満ち、慈しみ深い。同時に神は、千代にまで罰を与える懲罰の神でもある。神のこうした特性は、モーセ五書に具体的に示されている。啓示宗教は、死後も生き残る霊魂の重要性を強調し、人間は生まれたときから罪を負って生まれるという原罪説を唱える。そのため人間は、神を恐れて悔い改める人間となる。『道徳経』が説く道には、人間に罰を与えるという句はまったくない。人間を形づくる心身を安らかにすることが人生で大切なのであり、霊魂の重要性を強調することもない。人生において人間は、道が施してくれるものを歓迎し楽しめ、という姿勢を勧めている。一度だけ生きる人生こそが大切なのである。
神を畏れる人間は、人間の営みにおいて善悪論的な観点を持つようになる。ほかの宗教を信じる人や無神論者は、善悪論の立場からのみ扱われるにすぎない。改宗させられるか、善悪の観点から悪の存在として扱われる。啓示宗教では、人間は宗教が定めた厳格な教義によって、神から祝福と呪いを受ける。とりわけキリスト教では、人生は死で終わらず永遠の命があるという天国と地獄の教えを信じることで、善悪論はいっそう大きな影響力を発揮するようになる。死後の永遠の命の形は、いまこの世で善く生きたか、それとも悪く生きたかによって決まる。西洋の哲学では、善悪は存在論的なものであるから変わらない。悪は取り除いてしまわなければならない存在となる。
啓示宗教に必然的にともなう善悪論にはらまれた危うさは、悪はなぜ存在するのか、という疑問である。全知全能の神が治める世界で、正しくないことや悪いことが数多く起こるからである。善悪論の問題は、創世記に記された善悪の実の物語にすでに暗示されている。人間は蛇の誘いに乗って神の命令に背き、神に似た者になるために善悪の実を取って食べる。人間は神のようにはなれないのに、神のようになれるという蛇の誘惑に負けて、善悪の実を取って食べるのである。善悪の実によって、人間に不幸が降りかかる。
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神はご存じなのだ。」(創世記3:4―5)
この物語は、人間が神の領域である善悪を直接扱うことから生じる問題と、その結果の深刻さを暗示している。善悪論によれば、人間はたやすく悪くなりうるし、人間の悪い行いは続いていく。だから創世記で、神は早くも人間を創造したことを後悔する。
主は、地上に人の悪が増し、その心に思い計ることがいつも悪いことばかりであるのを見られた……「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを悔いる。」(創世記6:5―7)
こうした事態を防ぐために、神は善と悪についての道徳的な命令を与え、強力な律法を残す。神の命令に背けば神の罰を受けるというのは、啓示宗教の核心的な教義のひとつである。とりわけ、ほかの神に仕えることが最大の悪行となる。こうした悪を犯す人間に対しては、厳しい罰が下される。西洋では、神を善い存在、慈しみ深い存在と規定しながら、善い存在でない者たちへの警告を発しているのである。善悪論が核心に敷かれている。
主は正しい者を調べ、悪い者と暴虐を好む者を心から憎まれる。(詩編11:5)
そうなると、神は善であるという西洋の神の概念からは、「神が善であるなら、悪はどこから来たのか」という疑問が生じる。つまり、万物を「創造」する神が善であるなら、悪はどこから始まったのか、という問題が提起されるのである。悪もまた神が創造したものなのか。
主よ、わたしがあなたと争うとき、あなたは正しい。しかし、わたしはあなたに問いたい。なぜ悪しき者の道は栄え、裏切る者はみな安らかなのですか。(エレミヤ書12:1)
ギリシア時代から、「神が善であるなら、悪はどこから来たのか」という難題が提起されてきた。西洋の哲学体系のなかでは、善悪論はいまだに解けない問題とされている。神が万物を創造されたのなら、悪もまた神が創造されたのか。そうだとすれば、神はなぜ悪を創造されたのか。この問題について、西洋の神学者や形而上学者は長いあいだ悩み、理解しがたいさまざまな答えを示してきたが、いまなおその答えを探す努力を続けている。これはユダヤ教・キリスト教だけでなく、ギリシアの哲学者たちもすでに古くから悩んできた問題でもあった。西洋の賢人の第一人者に数えられるアテネの指導者ソロン(Solon、紀元前638―前558)は、「悪人のなかに富める者がおり、善人のなかに貧しい者がいる」と嘆く詩を残した。
紀元前8世紀から前7世紀に活動した、ホメロスと同時代のギリシアの詩人ヘシオドス(Hesiod)も、善と悪の問題に悩んだ。「正義にして全能の神が、どうして正しくない人間がこの世で栄えるのを許すのか。」111 続いてヘシオドスは、人間がどのようにして楽園を失ったかを説明しながら、善く正しい神々がなぜこの世で悪と不正がはびこるままにしておいたのかと嘆くのである。
人生において、自分の約束を守り、善と正義を行う者は何の報いも受けない。むしろ悪を行い、乱暴なことをする者たちがほめられる。暴力が勝ち、徳は消える。悪い者が善い者を苦しめる……人間は結局、過酷な苦しみを受ける。悪から救ってくれようとする者は誰もいない。112
こうした悩みは、エピクロス(紀元前341―前270)が抱えていた重要な問題のひとつである。それは、ギリシア時代から伝わる悪についての「エピクロスのパラドックス」(Epicurean Paradox)、あるいは「エピクロスの謎」(the Riddle of Epicurus)によくまとめられている。エピクロスのパラドックスについての記録は、エピクロス自身が残した文書にはない。初期キリスト教の学者ラクタンティウス(Lactantius、250―325)が残した記録に収められている。
神についてエピクロスはこう述べた。神は悪を取り除こうと望みながら、それができないのか。
あるいは、できるのに望まないのか。あるいは、望みもせず、できもしないのか。あるいは、望みもし、できもするのか。もし神が望んでいるのにできないのなら、神は弱い存在であり、これは神の定義に反する。もし神ができるのに望まないのなら、神はねたみ深い存在であり、これも同じく神の定義に反する。もし神が望みもせず、できもしないのなら、神はねたみ深く、しかも弱い存在であり、それは神ではない。もし神が望みもし、できもするのなら、それこそが神にふさわしい唯一の定義となる。では悪とは何であり、なぜ神はこれを取り除かないのか。113
2000年近くたって、イギリスの哲学者ヒューム(Hume)は、善悪についてのエピクロスの難題をこうまとめている。
エピクロスの古い問いには、いまだに答えがない。神は悪を防ごうと望みながら、できないのか。それなら神は無能である。できるのに、望まないのか。それなら神は悪意に満ちている。できもし、望みもするのか。それなら悪はどこから来たのか。114
善悪の問題は、それに慣れ親しんだ西洋人に、人間には解けない宿題を残している。ギリシア時代から現在まで、西洋の哲学はこの問題で悩みつづけている。彼らは善悪の問題を、示顕論と存在論に立脚して解こうとするからである。善は永遠に善であり、悪は永遠に悪であるから、悪は壊滅させなければならない存在となる。善悪論は人間に強い推進力を与える。とりわけ啓示宗教と結びつくと、その推進力は生死を超える境地にまで至る。
しかし東洋の陰陽論は、善悪論が与える強い推進力を持たない代わりに、善悪論がもたらす、なぜ人間に悪があるのか、という解きがたい問題に悩むこともない。東洋の陰陽論では、変化論に立脚して人間の営みを扱う。善悪の概念は、人間がつくった人間の活動の範囲のなかで、陰陽のように移り変わっていく。時が流れるにつれて吉凶が入れ替わるように、陰は陽に変わり、陽は陰に変わっていく。
道、一度だけ生きる人生 vs 神、死後の世界
善悪論は、人間が生まれながらに不幸を負って生まれてくるという概念をはらんでいる。原罪論の始まりである。善悪の実を取って食べた人間は、それによって神の命令に背き、自ら根源的な過ちを犯した存在となる。人間はつねに神を恐れる存在となる。人間は楽園であるエデンの園から追い出される。神から呪いを受け、苦しみを負って生まれ、人生を生きていくことになる。
神は女に言われた。「わたしはあなたの身ごもりの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。あなたは夫を慕い、夫はあなたを治める。」そしてアダムに言われた。「あなたは妻の声に聞き従い、取って食べるなとわたしが命じた木から食べた。地はあなたのゆえに呪われる。あなたは生涯、苦しんで地から食べ物を得る。」(創世記3:16―17)
善悪論は、西洋において、人間がなぜ一生を苦労して生きなければならないのかを説明する根拠となる。こうした物語は西洋の宗教だけでなく、ギリシア神話にもある。ヘシオドスは著書『仕事と日』(Works and Days)で、パンドラの箱の物語を語っている。それは、創世記で善悪の実を取って食べた人間が、罪によって受ける罰と似た状況を描いている。エピメテウスの妻パンドラに、ゼウスがつくった「パンドラの箱」が渡される。人間をつくり、人間に火をもたらしたプロメテウスを罰するためである。プロメテウスはゼウスからの贈り物を受け取るなとエピメテウスに警告しており、パンドラも箱を開けるなと戒められていた。しかし好奇心の強いパンドラは箱を開けてしまう。箱を開けた瞬間、なかに隠れていたあらゆる悪いものが飛び出して、人間を苦しめはじめる。驚いたパンドラが慌てて箱を閉じると、箱のなかには希望だけが残された。
エバとパンドラの物語によれば、人間こそが問題の根源である。人間は精神と好奇心を持つようになることで、善悪を判断する道へと入っていく。人間のこうした過ちは、人間に避けられない苦しみをもたらし、人間は「悔い改める心」を持つようになる。人間の本性に内在するこうした傾向にしたがって、人間は罪の代価として一生を通じて罰を受け、悔い改めることになる。西洋のある詩人の言葉を借りれば、人間は「生きているあいだは働き、苦しみに耐える存在」となる。115
神を信じる西洋の世界では、現世が苦しみに満ちているため、死後の世界を思い描くようになる。いわゆるあの世の天国を思い描くのである。同時に、神の存在について確信を持てない不顕論者たちは、人生において、死後の天国に似た、この世での幸福を追い求めるようになる。
幸福を追い求める西洋の思想家たちは、悪の存在を否定している。なぜ人間は神を恐れなければならないのか。エピクロスは、善悪論を背景にして、神に対して人間がとるべき立場を定義する。彼は、善く正しい神と悪の存在は両立しえないと考えた。だから人間は神を恐れる必要はないと説いている。不必要に神を恐れる憂いから解き放たれることが、エピクロスが唱えた幸福論「アタラクシア」(心の平静)の要諦である。
神を恐れるな。神は永遠で幸福な存在である……しかし多くの人々は、神を自分たちの望むように定義している。人々は神が賞を与え罰を与えると言うが、それは、自分と同じ道を行く者に賞を与え、反対する者に罰を下す神を、彼らが望んでいるからである。こうした見解に反対することで、信仰心がなくなるのではない。そうした見解を押しつけることこそが、信仰心を捨てることなのである。116
しかしエピクロスのこうした哲学は、彼が生きた紀元前4世紀から前3世紀には広く語られたものの、結局は不顕論の一部として扱われ、西洋で力を失ってしまう。キリスト教がローマ帝国の国教となった4世紀末以後、西洋ではすべての人が示顕論に埋もれてしまったからである。中世1000年の宗教国家の時代には、不顕論者はみな無神論者として扱われ、糾弾と迫害の対象となった。死後の天国が人々の生きる目標となった。こうした現象は、ルネサンスと啓蒙時代を経て変わっていく。
東洋の文明における人生の意味の追求は、人生の解釈が西洋とはまったく異なるところから始まる。神とは違って、道はすべての人間に例外なく役立つと宣言する。人間は道を恐れない。道を人生の伴侶として迎え入れる。道の範囲のなかで、他者とともに人生の喜びを見いだす人間となる。人生は一度しか生きられない。あの世についての考えは、東洋の思想では重要ではない。『道徳経』は、人間が道を守りながら人生の喜びを見いだす姿勢を持つよう勧めている。『道徳経』は終わり近くで、人生の楽しみについて語っている。
其の食を甘しとし、其の服を美しとし、其の居に安んじ、其の俗を楽しむ。(『道徳経』第80章)
道家のこうした楽しみは、人生において自然が施してくれるものを楽しむ姿勢、すなわち人間と自然の関係のなかに楽しみを見いだそうというものである。道家が唱える無為自然とは、人間と自然が調和をなして生きようということであり、人間が自然の法則に逆らわず、自然とひとつになって生きていく生の態度をいう。儒家もまた、人間のさまざまな感情のなかで「人生を楽しむ姿勢」を、生において最も重要な価値として表している。
之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(『論語』雍也6:18)
人生を楽しむ人は知識よりも重要だという儒家の言葉は、西洋のエピクロスと似たところがある。エピクロスの快楽主義は、肉体的な享楽を求めようというのではなく、不安と恐れのない平静な状態を求めようというものであり、死は霊魂と肉体の消滅であるから恐れる必要はないと主張した点も、儒家の哲学に似ている。しかし重要な違いは、儒家では楽しみは関係主義から来るものであり、エピクロスの快楽は個人主義に基づくものだという点である。儒家の『論語』の最初の一文は、まさに人生の楽しみを「友と学び」のなかに見いだすよう勧めることから始まっている。東洋では、人生の楽しみは個人がひとりで楽しむものではなく、「ともに」という関係主義に基づいているのである。
学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。(『論語』学而1:1)
東洋は、宗教的な善悪の問題や人間の原罪意識から自由である。善悪は神ではなく、究極的には人間がつくり出す好ましいか好ましくないかの問題だと見るからである。東洋の古典のどこにも、善悪にこだわる説明や哲学はない。東洋の文明では、人間が自ら善悪を区別し、善悪を人間の社会に当てはめることに同意しない。東洋の思想は、人間は自然から生まれて自然に帰ると想定している。
神や死についての考えは、東洋の思想においては、その重要性が西洋とは比べものにならないほど小さい。『道徳経』はあらゆる状況を、人間が接する自然に集中させており、自然のなかで生きる人間を想定している。こうした思想は、儒家においていっそう実際的に表現される。死後の世界や鬼神、あるいは死について関心を持つ必要はないと宣言しているのである。
季路、鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。(『論語』先進11:11)
東洋の思想が紀元前に展開した死についての考えは、啓蒙時代の初期に西洋で表現される。西洋では2000年たって、きわめてよく似た思想をスピノザが表したのである。
自由な人間は、何よりも死について考えることが少ない。その知恵は、死についての省察ではなく、生についての省察である。117
死ではなく生についての省察のなかで、西洋の文明は、神への恐れから幸福論へと傾いている。神や形而上学的な恐れがなくなったという面で、東洋の道の思考と西洋の思考のあいだに似たところが生まれた。東洋でも、西洋のように幸福を目的として追い求める人が増えている。しかし西洋の個人主義的な幸福論は、なお東洋の関係主義的な意味論とは異なる点を持っている。東洋では、自然、学び、友のなかに人生の意味を見いだす関係主義が続いているのである。
人間の営みをつかさどる神の存在は、人間につねに恐れを与える。とりわけキリスト教は、復活と、この世の生は永遠のあの世の生に備える過程であるという教義を掲げた。そのため、あの世への信仰が重要になり、教義によるあの世の描写と、天国、地獄、善悪の区別がいっそう重要になる。こうした過程はキリスト教の教団の力を強め、教団は免罪符を売る慣行まで持つようになった。この世の生は、悔悛と悔い改めで埋めつくされた。
啓蒙時代の理神論によって、「悔い改める人間」という哲学が挑戦を受けることになった。神は人間の営みに介入しないのだから、人間は「神を恐れる人間」として生まれてくるのではない。ルソーの性善説が代表的な反証である。理神論の後、西洋の哲学は、人間はなぜ生きるのかという問題に新たに取り組みはじめる。これを機に、西洋はふたたび「幸福論」に近づいていく。ベンサムとミルの功利主義、最大多数の最大幸福が、社会と個人の生の目的として浮上する。これはエピクロス哲学の再生を意味する。エピクロスは幸福を人間の最高善と見た。彼の言う幸福は肉体的な快楽ではなく、苦痛の不在、すなわち肉体の苦痛と精神の不安のない状態を意味する。恐れ、とりわけ死の恐怖から抜け出したとき、人間は幸福になれると考えた。友のような共同体が、精神の平静を保てるよう助けてくれると考えたのである。
しかし幸福は瞬間的で個人的なものである。幸福という感情はたやすく消えてしまう。そのとき、幸福にすがっていた人間はどこへ行くのだろうか。東洋でも、個人の幸福を目的とする人々が増えているように見える。しかし東洋の文明は、個人主義(individualism)ではなく関係主義(relationalism)に立脚している。118 関係主義の文明では、ひとりで「幸福」になることが人生の目的にはなりえない。一度だけの人生で、自然、学び、友など、他者とともに人生の「意味」を見いだすことが目的となるのである。
